『三千唱のカタルシス』

 東の空が白んできた。

 青白く浮かび上がるストルメント山脈と霊長砂漠——。

 時間は午前五時。

 三千唱は間もなく終わろうとしていた。

 その頃には祈禱者らの声も枯れつつあり、降霊界の僧侶たちの誦経でかろうじて体面を保っていた。

 午前五時三十五分。

「おん あぼきゃあ べいろしゃのう まか ぼだらまに はんどま じんどま はらばりたや うん」

 光明真言三千唱は終わった。

 エリックは後ろを振り返ると、ガラガラ声で言った。

「みんな、生きてるか――?!」

「おおーっ!」

 帰ってくる声もガラガラだった。

「よーし、みんなお疲れ! 細かいことは後回し。休憩しようぜ」

 うああ……という呻き声とともに、全員がしゃがみ込む。

 エリックなどは持っていた錫杖を手から離して、大の字になって倒れ込んでしまった。

 レンナは彼らのもとに淹れたてのハーブティーを配り歩き、僧侶たちも残って治癒に手を貸した。


「——エリックさん?」

 レンナがさっきからピクリとも動かないエリックの顔を覗き込んだ。

 エリックは何とか薄目を開けて、手をパタッと上げた。

「おーっ、レンナちゃん」

「大丈夫ですか? ハーブティーです。気力が回復しますから飲んでください」

「サンキュー。んでも起き上がれないんだな、これが」

 レンナはエリックの脚を跨いで、片手を掴んで引っ張り起こした。

「割と強引なんだね」

 苦笑しながら、差し出されたハーブティーを乾いた喉に流し込む。

「あーっ、熱くもなく、いい感じ。生き返ったよ」

 それを聞いてレンナも一安心する。

「気温が上がる前に帰んないとね。今何時?」

「六時二十四分です」

「よし、七時に帰ろう。ところで、あのお坊さんたち、何者?」

「降霊界マンダラーヴァの僧侶様です。三千唱のお手伝いと皆さんの治癒のためにおいでくださったんですよ」

「マジで? すげぇ……レンナちゃんの人徳かなぁ」

「皆さんの行が素晴らしかったからです」

 レンナは即座に言った。

「そうかい。みんな久々に全力だったろうから。天はちゃんと応えてくれるんだ」

「はい!」

 ストルメント砂漠から朝日が差し込んでいる。

 エリックたち、百五十人の祈禱者にとって、清々しい達成感を与えてくれる、晴れやかな朝だった。

 朝日に気を取られて、パラティングス大樹海がギラッと輝いたことに、誰も気づかなかった。

 大いなる生命の環に千もの魂が戻ったことに対する祝福なのかもしれない。


「あーっ、最高のカタルシス。俺今、すっげえ幸せ!」

「?」

 エリックが座ったまま伸びをしながら、しみじみと言った。

「こんな大きな仕事を成し遂げたのもあるけど、みんなで協力し合うのが、こんなに楽しいとは思わなかった。普段は個別で仕事してるから、目標も小さいでしょ。俺、今初めて仕事の喜び知ったかも」

 側で聞いているレンナにも、エリックの内から迸る喜びが伝わってきた。

「限界ギリギリまでやったっていうのも、達成感の一因かもね。何よりもスケールの大きい仕事に関わってるっていう、言い様のない優越感が気持ちいいのなんのって。あ、んなことを言ったらまずかったか」

 クスクスとレンナが笑うと、周りにいた仲間も僧侶も笑い出した。

「おまえ、その一言で、ありがたい行が台無しだぞ」

 友人のルイスが突っ込む。

「いいんだよ、俺は正真正銘の俗物なんだから! ついでに言わせてもらうと、レンナちゃんに介抱されて、自分の気持ちがはっきりわかった」

「な、何だよ」

 ぎょっとしてルイスが引く。

 エリックは側にいたレンナの手を握ると、力強く言ったのである。

「五年、いや十年待つよ。俺のお嫁さんになってくれないかな。言っとくけど本気だから。何でも言うこと聞くし、何でもさせてあげる。修法者になってほしいって言うんだったら、必ずなるから。だからお願いします、俺とのこと、本気で考えてほしいんだ」

 














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