泣いているのは

 誰かが、泣いている。どっしりと構えた大木の前で縋るようにして。でも、いつもの嗚咽でも吐息でもない。もっと荒々しく、大きく抱えきれないほどの恨みを含んで。その声には聞き覚えがあった。


 あなたは。



「・・・・・・っ!?」

 レンさんを傷つけてしまった翌日、私はガバリと飛び起きた。着ているパジャマは汗で湿っていて気持ち悪い。心臓はどっくんどっくんと大きく脈打つ。

 ほんの数秒前まで、夢をみていた。男の人が、大木に縋るようにして泣いていて、私は遠くからそれをじっとみている。そうだ、あの人は。

「レン、さん」

 名前を読んだ後に残るざらりとした不快な感覚。ごくりと唾を飲む音とまだ少し荒い呼吸音がやけに大きく響いた。

 嫌な予感がする。

 私はその辺にあった服に着替え、急いで家を出た。

 

 走る、走る、走る。息を弾ませて、寝起きの体に鞭を打ちながら、前に、前に。

 別に、走るのは苦手じゃない。どちらかというとクラスでも真ん中よりは上の方だった。でも今は体が鉛みたいで、一挙手一投足全てが自分のものじゃないみたいだ。

 東堂を通り越して、道なりにあるはずの中学校の方へ向かう。あの人は、レンさんはここにはいないような気がしたから。そしているのはたぶんあそこーーー森の大木のところ。

 私の必死に走る姿を、今にも泣き出してしまいそうな黒い雲がじっとりと見下ろしていた。


 目的地に、レンさんはいた。でも、夢の中のように嗚咽を漏らしながら泣くことも、大木に縋るようなこともしていない。ただ、ポツリと一人立っている。それだけなのに、違和感を感じる。言うなればそう・・・・・・自然達と一体化しているような。

 そう自覚した途端、急にお腹の底が冷えるような心地がした。もうレンさんがこの世のものではないのではないかと怖くなった。

「れんさんっ」

 気づけばたまらず名前を読んでいた。こちら側に呼び戻すように、強く。

 レンさんは名前を呼ばれたことでようやく私の存在に気づき、ゆらりとこちらを振り返った。顔は昨日最後に見た時よりも白くて、こちらに向けられた瞳は虚で、何も写されていない。

「れん、さん」

「・・・・・・に、しないで。」

「え?」

 ボソリと小さくつぶやかれた言葉は風に揺れる木々のざわめきでかき消されてしまった。でもそれは一瞬のことで。音は次第に小さくなっていき、また静寂が訪れる。

 もう一度、レンさんに聞き返そうとした時だった。はっとレンさんの目が見開かれたかと思うと、ぐらりと視線が揺れてその場に力なく崩れ落ちた。

 死んでしまったかのような白い顔、細い息、だらりと放り出された四肢。

 時が、止まったようだった。

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