喜多羅村の森の噂

 この村には都会とは比べ物にならないほどの自然で溢れている。例えば。

「中塚さんはこの村の森の噂知ってますか?」

 そう、店番中の私に尋ねたのは玉村先生の作品を心待ちにしていた氷上莉子という子だった。ここ最近は暇潰しだと足繁く通ってくれ、店番中の私の話し相手になってくれている。

「森の噂?そもそも森って?」

 この辺りはどこを見ても緑がいっぱいだ。そして、私にはその中のどれが森なのかなんてわからない。

「中学校のそばだよ。一本太い木が生えてるでしょ?」

「ああ、あそこ。」

 そういえば、ここに来て数日の頃に、ばあちゃんに村を紹介してもらった時に見た。少し開けたところに枝を悠々と広げてどっしり構えている木が一本。ばあちゃんはこの辺では一番古い木なのだと教えてくれた。

「それで、噂って?」

「毎年ね、夏になるとあの森から女の人の泣き声が聞こえてきたり、白い光がフワフワ浮いていたりするんだって。それでお盆が近づいてくるのと一緒に、大昔に死んでしまった人たちの魂があの森に集まってるんだって言われてるの。私は、そんなのただの酔っ払いが見た幻だと思ってるんだけど、わりとお年寄りの人たちはその噂を信じてるみたい。」

 莉子ちゃんが楽しそうに話しているのとは裏腹に、私は自分の中で何かがスッと下がっていくような心持になった。鼓動が痛いほどに脈打つ。手のひらがジワリと湿ってくる。口の中はカラカラだった。

「どうしたんですか?」

 私の異変に気付いた莉子ちゃんがいぶかし気に聞いてくる。どうしたのか。そう自分自身に聞きたいのはむしろ私の方だ。どうしてこうなったのか、わからない。

「……ううん、なんでもないの。」

 わからないから答えられない。だから心配させないためにもこう言うしかなかった。

「そうだ。噂と言えばね、レンさんのもあるんだよ。」

「レンさんの?」

「うん。これは友達のおばあちゃんから聞いたんだけど———」

「僕に噂なんてあるのかい?」

 莉子ちゃんの声にかぶせるようにして遮ったのは話題の張本人、レンさんだった。どうやら配達から帰ってきたらしい。突然頭上から降ってきた声に私も莉子ちゃんも顔を引きつらせていた。

「あ、いや、別に……そしたら私は帰りますね。」

 眩しいくらいの笑顔を私たちに向けた莉子ちゃんはそそくさと店を出ていったしまった。

「そ、そういえば、今日はいつもより遅かったですね。何かあったんですか?」

 残された私はこの場をどうにかしようと話題を無理やり変えた。でも、レンさんの帰りがいつもより遅かったのは本当のことだ。

「ああ、配達の帰りに滝本さんとばったり会って、そのまま世間話をしていたら遅くなっちゃったんだ。ごめんね。」

「いえ、大丈夫ですよ。」

 レンさんがお年寄りの人たちと世間話をして帰ってくることはよくある。聞くまでもなかった。でも、今日はいつも以上に長かったような気がするのだ。

 莉子ちゃんの言っていた噂とはいったい何だったのだろう。

 ちら、とレンさんを見やると小さなクーラーの傍で涼んでいる。その汗ばんでいる背中がどうしてか、寂しげに、何かを語っているようなそんな気がした。

 

 

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