レンさん
「いってきます」
誰もいないのに、そう小さくつぶやいてと、私は半ば駆け足で家を出た。
喜多羅村という小さな村の一角にひっそりとたたずんだ長屋に、私———中塚風花は住まわせてもらっている。家主のばあちゃんは、小学生のラジオ体操の見守りとして朝早く家を出てしまっているために誰もいない。
そんなラジオ体操が始まるくらいの朝早く。まだ完全に熱される前の、草花や土のにおいを含んだ澄んだ空気が呼吸をするたびに体中に巡っていく。都会とは大違いだ。
今日もきっと、いい日になる。
そんなことを思いながら、やっと慣れてきた道を行く。この町唯一の書店で、私のバイト先である「
ばあちゃんの家から東堂までは急いで行っても20分もかからないほどのところいある。青緑の瓦屋根の上に「東堂」と書かれた大きな看板が掲げてある、木造二階建ての古びた古民家。そのガラス戸はもうすでに空いていた。ああ、遅かったと、ちょっとした期待がしゅわしゅわと沈んでいく。
「おはようございます。」
「ああ、おはよう。今日も早いね。」
「何言ってるんですか。レンさんの方が早いじゃないですか!」
「僕はほら、歳だから。」
「そんな歳じゃないでしょう、レンさん。」
もうお決まりになってしまったやりとりを一通り終えて、私たちは顔を見合わせてにっこりと笑う。
この店の店主であるレンさんはああは言っているけれど、見た感じまだ二十代かそこらだと思う。(実年齢は知らないけれど)その割に言動やおおらかで落ち着いた雰囲気はどこか世の中を達観したような、お年寄りを思わせる。
「さあ、今日も始めようか。」
「はい!」
店の奥に下げていたエプロンをつけ、後ろでキュッと紐を結べば1日が始まる。レンさんと過ごす、1日が。
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