第3話 十字のあとさき

「ハァ、ハァ、クソッ! やっぱ役に立たねえクソ駄女ダメがみじゃねえか。

 もっと動けよ俺の足! 死んじまう、みんな死んじまうぞ。だからべ!」


 停止したイドの数百メートル先にいる怪獣──後の名をローグラ──は、火の点いた松明を握って丘陵地帯をピョンピョンと跳び回るゴウトに残忍にも目を細めて、進路をそちらへと変えた。


 少年の作戦は当たった。怪獣はなぜか人類の文明を狙ったように破壊する。それは原始のヒトが手にした石と棒、そして火やヒトそのものも該当する。


 そのうえ怪獣にとって文明は、大も小も関係ない。どうせ怪獣の前と後にはことごとく踏み潰され蹂躙され尽くすのみだ。


 いま目前で跳ね回る虫のごとき人間とその向かい側にある村との「重さ」を量る天秤は、少なくとも存在しない。


 そう、怪獣にとって人間は虫と同じだ。足元の邪魔をすれば踏み潰す。余計な巣があれば破壊する。それだけの価値しか、いやそれ以下の値打ちもない。


 だからこそゴウトのような人間がたねばならなかった。村のはぐれ者は、村の危機を排除するその時にようやっと真価を発揮する。すなわち村を群れとして存続させるための、生け贄スケープゴートだ。


 だからこそ少年は今まで無頼ぶらいを装いながら知識をたくわえてきた。行商人が運んでくる都会の品物から怪獣に関する本なら何でも買い込んで、怪獣の特性を頭に叩き込んだ。


 なんなれば先のローグラ出現の報もいち早く調べ上げ、奴のをひどく嫌がるが月のない夜にも外で活動できる比類なき暗視能力を突き止めていた。無策に飛び出したわけでは、断じてない。


 だが────野良仕事で鍛えた足腰ももう限界だ。着地時間が徐々に増えていき、幅跳びの飛距離も落ちてゆく。ローグラの視線が、ゴウトの肉体にぴたりと吸い付いていった。


「まずい…………!!」


 思ったよりも飛距離を稼げなかった。そして着地に失敗、尻餅をついてしまう。その瞬間をローグラは見逃さなかった。


「GRRRRRRUFFFFFF…………」


 小さい脳の計算に唸り声を立てながら目標物に狙いを定め、鋭く伸びた口吻こうふんの前に魔法術式を展開する。地底を掘り進む際に使う超振動の衝撃魔法だ。


 ローグラの顔の回りで空間の気が波打ち、唸りを上げて回転し始めた。


「ヒゅっ…………」


 ゴウトは立ち上がれない。完全に腰が抜けてしまったようだ。……改めて怪獣に顔を向けた瞬間、食われるでも潰されるでもなく負の想像力が働き、彼をして失禁させた。


「ちくしょう、ここまでかよ。……みんな、逃げろ……」


 ゴウトに高速のドリルが振り下ろされる、まさにその間隙をイドは逃さず両腕を広げて横あいから滑りこんだ!!


『ヌワッ…………アァアア……アア……!!』


 ドリルが今にもイドの背中を削り取らんと、固くにぶい音をごりごりと立てる。


 表皮のシルバースライムが硬化しても振動は骨を叩く。彼女の苦悶の声がくぐもって丘にとどろく。


「た……?? ……助かってる。俺、ダメ神にかばわれて」


 眼前の光景が信じられず、ゴウトは初めて落涙した。


 ふと、そのおかしさに我に返り、頬をひっぱたいて腰を抜かしたまま減らず口を叩く。


「ば、ばかやろう! 俺一人はいい! そいつを早くなんとかしろ!」


 うん、とイドはうなずく。そして硬化したスーツに穴が空かないことを認めると、背中に受けていたドリルごとローグラの頭を脇で締め抱え、ダッと一足飛びにゴウトをまたいで宙を舞った。


「うお……」


 プロレスの技で言うブルドッキングヘッドロックか、ネックブリーカー・ドロップのような鮮やかな返し技だった。


 振動波が緩んだ隙をついて、イドはローグラの首筋にチョップを連発。一度、二度、三度。そしてその場で飛び、脳天唐竹割りを一閃。怪獣がひるんだところを正面から前に蹴り跳ばしていった。バキバキと樹木を折り破っていく。


「すげ……え。……でも、あれじゃ倒せねえ」


 巨大生物どうしの肉弾戦に思わず目を奪われたゴウトは、思い出して割れんばかりの大声でイドにアドバイスする。


「そいつはカンのいい目玉が弱点だ! あんたも神様なら、太陽の光ぐらい眩しいのをバーッと浴びせてやれ! ────真夜中だけど、なんとかしてみせろ!」


 内心、イドはその的確さに舌を巻いた。だいたいの生物にとって目は弱点だが、こと怪獣のそれは何かしら桁外れの性能と頑強さを併せ持つ。


 だがそれ故に、夜行性の地底怪獣とくれば強烈な光線で一時的に網膜を焼き付かせることが可能なはずだ。


『ヌワ…………フラッシュ!』


 肩から腰へ袈裟がけのように点々と配された、エネルギー残量を確認するためのタイマーから一斉に、指向性のある光度60万カンデラの光を直接怪獣の目に向けて照射する。


 これだけの数の人工的な光を、この世界の存在はまだ体験していない。


「GYAAAAAAAAAAAA!!!」


 初めて大きな叫び声を上げた地底怪獣は目ぶたをひっかいてイヤイヤをした。


「よし、今すぐとどめだ! なんかあるんだろ、やっちまえ!」


 ゴウトは無茶振りを言うが、地底怪獣に衝撃魔法が使えるようにイドのスーツにも光波こうはなる魔法の術式がまれている。それをどのように撃ち放つのかは、術者の裁量次第だ。


 イドは────自然と目前の怪獣を右手で拝んでいた。その腕に光の粒子と波動が収束していく。フラスコの異世界へ潜航する女神を支える体内の魔力エネルギーの残量が、その限界近くまで。


「ごめんなさい、怪獣さん。あなただって多分住みかを人間から追われてここにいる。

 あなた達怪獣にとって文明は、人類は不倶戴天の敵。『迷惑』なのはどちらか、ほんとうはあなた達の方がよく知っている。

 だけど、いえ……だからこそ、人類を許さないあなた達怪獣を私はゆるさない。これはあなた達への手向けであり、あなた達の……墓標です」


 その独白は彼らの耳にどのような呪文として届いたのだろう。


『ヌぁッッッッ!!』


 感情の爆発とともに青白く発光し震える右の手を、左手で十字クロスに押さえる。


 真横にした右のたなごころから噴き出す光の奔流が、肉眼ではっきりと捉えられる線流となってあんぐりと口を開けたローグラの頭部に集中する。


 その場にいるすべての人間がその光を見た時、ただ一柱ひとりイドだけが異常を察知していた。


「だめ、力が溢れる…………制御できない!!」


 まさか、暴走?


『ン゛ニ゛ュウワァァアアアッッッ!!!』


 予想を裏切るエネルギーの濫用らんように女神は悲鳴を上げた。線流はなおも増幅されて怪獣に襲いかかる。


 地底怪獣は、ローグラはとうに光波線流の直撃を脳に受けて絶命している。


 なおも正射され続けるエネルギーに肉体だけは耐え…………いやしかし耐えきれず、ぶくぶくと肉腫が太るような膨張を始めている。


『ヌワッ……アア……………………』


 突然十字を解いたイドはがっくりと膝・肩を落とす。


 光線が止まったのではなく光線に利用できる魔力エネルギーの残量が尽きた。スーツの最も頸部に近いカラータイマーが、早鐘はやがねを撃ちならすように激しく点滅し術者の脳内に警告音を鳴らす。速やかに戦闘を終わらせるかその場から逃げろと、本来は。


 そして現にそれは警鐘けいしょうなのだ。


 異形となって固まったローグラがたちまち、肉も骨片も残さず爆発四散し、体内に残留──否、された光波エネルギーを拡散させる。


 疲れ果てたイドは最後の力を振り絞ってゴウトだけでも爆破の衝撃から救おうと手を伸ばした。


 だが、もう何もかも遅すぎた。爆縮の衝撃でふわりと浮いたゴウトはそのまま、松明の灯火ともしびごと吹き消されるようにして命を落とした。


 ……のちの世に巨大隕石落下とも新兵器の陰謀論的実験とも謳われる、最初の事件はこうして幕を下ろす。


 一夜明けて朝になると、まさに爆心地、すり鉢状の空間にあの光波めいた青白いエネルギー球が浮かんでいたことを、その後の人は誰も知らない。

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