第2話 はぐれ狼の少年

「おお、まさに神の化身じゃあ…………!!」


 自分より1/8小さい村の長にそう崇め奉られて、悪い気のしないイドだった。


 現代日本暮らしが染み付いたイドの身体に未だ残る女神の権能チートがスーツで増幅されて、彼らの言わんとすることは声を聞かずとも理解できるが、逆にイドの言葉にほんごは誰も理解できず何かまじないの言葉のように聞こえるらしかった。


 今年は豊作に違いないとか、きっと病が治るとか、イドにしてみればわけのわからないことを話し合っている。


「そもそも私、豊穣ほうじょうの神じゃないしなぁ……」


 あぐらで顔をぽりぽりかいていると、村長むらおさがまくしたてた。


「おお、神はニエを所望じゃあ! 皆の衆、今宵こよいの祭りはパーッと盛大に盛り上げるぞお!」


 おおー、と歓声が湧く。


 ウフフフ……。イドの笑い声が村に低く響き渡った。


 とはいえ、電気もなければ上下水道もままならない田舎の村のごちそうである。


 家畜を丸ごと潰して焼いた肉に塩と香草をまぶしたものと、よく煮炊きした麦と米の粥が女神に捧げられた。


 スーツのから光る魔力エネルギーに変換して食しながら、イドは現代日本のコンビニで何度も買ったインスタント豚汁の味を思い出していた。


「味が薄い……お肉もなんか筋張ってる……」


 だけど眼下に広がる小さな人間たちのお祭り、神に捧げる舞踊を見ていると、そんな文句もご馳走の隠し味に思えてくる。


 ただ八倍も大きいだけで畏敬の念を込めて接してくる彼らの面には怪獣災害に対する恐怖がある。


 本来このお祭りは「怪獣がこの村を襲わないように」もしくは「怪獣の怒りを鎮めるために」祈るためのものだ。自分達に友好的な巨大生物がもしいるのなら、一日に五食以上も食べる彼らの貴重な食糧をいくらか分け与えても構わない。そうして巨大生物同士で争う間に逃げて生き延びることができるからだ。


 だが、そんな祝祭に異を唱える者が一人いた。


「フン。まだあいつが俺たちの味方かどうかもわからないくせに、神様神さまって祭り上げやがって。面白くねえ」


「ンだよ、ゴウト。お前付き合い悪いぞ。ほら、お前も飲め飲め。お堅い村長が俺たちにも回してくれてンだぞ。いっちゃえって」


 現代日本で言うところの梅酒うめしゅ──それもすでに多量の飲み水で薄めに薄められている──を、ゴウトと呼ばれた少年は突っぱねる。


「俺は飲まねえ。あのトリみてぇな頭の、どこが神様なんだ。首から下の手足が俺たちと同じだからって、信じていいのかよ」


 確かにレトロンがよこしたスーツの首から上は目付き鋭いタカのような猛禽類を模した仮面マスクだった。毛皮のないつるっとした銀色の肌に青みがかった縞模様が走っている。


 ゴウトを囲む少年の一人が嫌らしい顔をして推論をぶつけた。


「あ……さてはオマエ、あの神様がだからってエンリョしてるんだろ?」


 スーツを身に付けた時点でそれまでイドが着ていた衣服はスライムの服だけを溶かす酸によって消え、彼女の全身に余すところなくフィットしていた。


 自然とイドの椀をふたつ伏せたような胸に目を留めたゴウトは、急に目をそらし、ムキになって反抗する。


「ち、ちげぇし! お前らとは目の付け所が違うんだよ。目の付け所がっっっ」


「ふーん。目の付け所がねえ」


 ニヤニヤと笑う少年たちに、なおも誤解だと強く否認するゴウトにイドは苦笑した────その瞬間だった。


 カンカンカンカンカン。カンカンカンカンカン。


 火の見やぐらの半鐘はんしょうが打ち鳴らされ、悲鳴のごとき報せが届いた。


「怪獣だ! 前に山向こうの町を襲ったってやつだ! こ、こっちに来る────────!」


 どよめきが広がって祭りの会場はあっという間に打ち壊される。食器がひっくり返され、踊り子たちの帯と衣服が脱ぎ捨てられて散乱する。みな農具や種籾、家財道具を持って逃げるために文字通りび回る。


 1/8サイズの人類とその文明を成り立たせるための、質量保存則に反するごまかしチートは働いているが、その飛蝗バッタめいた跳躍力は単純計算で現代日本人の二倍だ。つまり逃げるなら走るより跳んだ方が早いのである。


 ちなみにそのジャンプ力ゆえ、何の気なしに建物を1/8倍して作らせると天井に頭を打ち付けてしまうので、この世界の人類はみな揃って1/4スケールに近い建築物を設計するというのがこのフラスコの創造主クリエイターのこだわりのようだ。


「松明が一本え」


 先刻の少年グループの一人が何ごとかに気づいて声を荒らげる。


「あ、ゴウトのやつ! あいつ、一人だけ一目散に逃げやがった────」


 いやそれは違う、とイドの鷹のごとき目には映っていた。


 なぜならゴウトは、怪獣が向かってきているという方角へ向かって、いったのだから。


 その理由わけにボウと沈思黙考しかけたイドは、


「かしこみ、かしこみ申し上げます。鳥神ちょうじんさま。何とぞ、何とぞ怪獣を我らの前からお払いくださいませ。かしこみ、かしこみ……」


 足元で地面に伏せるほど懇願している村長に気が付いて、うなずき返して立ち上がり、少年の背を追いかけるようにして歩き始めた。


 ゴウトの謎めいた行動を、イドは論理的に推理した。


 とはいえ、簡単な結論だ。ゴウトはこれから怪獣の目の前まで行き、注意を引き付けて逃げ回るつもりなのだ。おそらくは村の反対へ、反対へと。


 そうすれば、怪獣が村を襲うまでに少しだけ時間を稼ぐことができる。たった一人で、数十人の村民を救えるのだ。


 小が大を残すために行動すれば種族が生き延びる。群れなす生物の原則に彼は忠実に従っている。


 しかしそれでは、一人で怪獣に襲われるゴウトはどうなる?


 イドの目には、すでに怪獣の全貌が見えている。爪や自転で地底を掘り進むことに適している、錐体形の頭をした地底怪獣だ。


 あの爪にせよ、小さく尖った口にせよ、人一人を切り刻むなどあっけなく済ませてしまうはずだ。


 この状況下であんな機転を思い付くゴウトにも、それがわからないはずはない。


 なぜなのだろう。


 イドはすぐにゴウトを追い越して怪獣の目前へいけるところまで来ていたのに、足を止めてしまった。


 ここからはイドの推論だ。


「文明を興しても、興しても、そのたびに怪獣が現れて何もかも破壊し尽くしてしまうアンバランスな世界。もし頼れるのなら神にだってすがりたい。

 そんな人類の群れのなかに、たった一人…………人間の力だけで怪獣と戦おうとする人間がいた」


 それがゴウト業人だ。それがこの理不尽で残酷な世界に残された、人類の希望なのだ。


 その命の灯火が今、風前に消え失せようとしている。そう、これから彼は消えるのだ。


 そもそもイドがこの村に訪れる以前から、この村が襲われる運命は確定していた。あのゴウトならイドがいなくとも、村から怪獣を引き付けるために走っただろう。


 もちろん、死なないという可能性は万に一つ残されている。だけど同じだ。仮に怪獣を一度や二度退けたとしても、三度四度怪獣はこの村と村民を襲うだろう。その度にゴウトの命は危険にさらされ、生と死の狭間で彼は逃げ続ける。


 そんな人生を彼は、長生きしてもたった八年という制限時間じゅみょうの中で選んだ。村という群れの生存確率を高める、ただそれだけのために。


 なぜそこまでして彼らを救うのかを、イドが理解する術はない。


 だが彼こそがこの世界における人類が絶滅しないための、このを半永久的に持続させるためのロジックに過ぎないことを、イドは完全に把握した。


「それを……」


 それを私がどうこうする立場にあるのかとイドは迷って、目の前の現実から逃避する。


 頭の中で今までどうしても開けられなかった、傷んだ記憶トラウマの蓋を、こじ開けた。


「────、あなたもこんな最悪の世界を救ってきたの? 何度も、何度も。私は一回でイヤになってしまったのに…………」


 イドは異世界転生担当女神コンサルタントの中でも下っぱで、日々昇天する魂を選別し異世界へ振り分ける仕事についていた。


 そこで異世界転生に選ばれるもの、選ばれないもの、転生を望むもの望まないものと色々な魂を見てきたが、彼女は唯々諾々と上からの指示と慣例マニュアルに従うだけだった。


 その日出会った魂にも営業スマイルで同じように接した。自分から身の上話を持ちかけて同情までの時間を稼ぐものはごまんといる。それはそれと聞き流して手短てみじかにマニュアル通りの対応を済ませればいい。


 だけどの魂の言葉は何か他と違った。彼は嘘偽りなく──魂そのものが発する言葉から真偽を読み取るのに道具はいらない──心から異世界転生というシステムを憎み、次なる生を拒絶し続けていた。


 そんなわけにはいかない。そもそも輪廻転生の原義に照らせば彼はまだ解脱できるほど悟ってもいない。むしろ永遠に畜生道をさまようことに比べれば、よほど恵まれているではないか。


 それがイドの第一印象。だが彼について彼自身の言葉で理解を深めていくうちに、ただ日和見していた彼女の心にどうしても拭えない罪悪感と同情心が芽生えてしまったのだ。


 その男(転生のたびに肉体の性別は変わるが、彼はオトコを自認した)────は、いわゆる凄腕の勇者だった。


 確かに女神によるチートの類いは使う。しかし剣技、魔術、権謀術数をたくみに使いこなし、いくつもの異世界を救ってきた。


 いくつもの、いくつも世界を。そう────救いすぎるほど、救い抜いてしまった。


 そもそも異世界転生が現代日本の疲れきった人類を救済する福祉からいつしか巨大な世界ヴァース間ビジネスに変貌して、現代日本では数十年でも外なる世界では天文学的な年数が経過していた。


 例外的な人助けを行えば、芋づる式にその例外が増えていく。それと同じで、現世を救う勇者を求める異世界は増え続けても減ることがない。に。


 もともと神でさえない天の使いやその使い魔に至るまでも名ばかりの「女神めがみ」の資格と権能チートを得て、このあまりに肥大化した滑車をぐるぐると回している。


 それでもなお足りないのは、転生する人間ヒトの総量だ。


 勇者が魔王を倒すだけ、または広大な土地を開拓するだけのような単純な冒険クエストでも、その異世界ごとの争いもあれば恋愛もあるし、それぞれに出会いも別れもある。


 そうして無事に天寿を全うしたら、今度は別の異世界が困っているから助けに行ってやってくれとこう来る。


 これでは現代日本での仕事と何が違うのか────男は確かそんなことも言っていた。


 無論、異世界転生の窓口でそんな体制批判をされても下っぱ女神であるイドには何のかかわりもない。


 それに、こんなふうにメンタルを壊してしまった魂は彼ばかりじゃない。もっと大人の対応が取れる担当者ならば、自主的に彼が忘却レーテーの泉水を呑むことを促すよう立ち回ったかもしれない。その場合彼の凄腕のスキルも幾分失うことにはなるが、その類いまれな潜在能力までも喪失そうしつすることはない。妥協点としては悪くない……と、イドでさえ思う。


 だが、悲観ひかんの感情をむき出しにしてゆるしを乞う彼を営業スマイルと一工程ワンクリックで指定の異世界へ配送した瞬間に、彼女の心の歯車ひとつがガチリと動かなくなってしまったのだ。


 それ以来、異世界転生者のリストをあらゆる角度から読んでも頭に入らず、ボウと仕事をしている間にケアレスミスを叱られる回数が増え、彼の魂のゆくえを考えると昼でも夜でも涙があふれてきた。


 嗚呼、現世リアルに疲れた迷い子を刺激に満ちた冒険とファンタジーの世界に連れていってやれる。


 それは、現実逃避ではなくどこまでもどこまでも飛んでける天使の翼を授けるようなやりがいのある仕事であったはず、なの、に。


 転生担当女神の任を解かれ、天界社会から捨てられた彼女は、逆に人間として現代日本での生活をするべく、天界の役人であるレトロンのもとを訪れたのだ。


 時間の区切りなく命の限り働き続けることのできていた彼女にとって、下界の労働は過労とも思わなかったし、そこで求めたのはお給料カネでもやりがいでもない。


 かつての自分が理想に掲げた異世界転生しごとへの喜び、天界で美しいモノに囲まれて羽根を伸ばす日々がただ一度の挫折によって遠くなってしまったことによる郷愁きょうしゅうのエネルギーを、わずかでも並行世界マルチヴァースの熱量に充てて社会へ貢献するために。


 そして今、異世界ここにいる。


 なんのために? 娯楽あそびか────否。そう、


「私は戦う! 定められた命の限り今も戦っている、このか弱き人類のために!」


 そして────もう二度と自分のほんとうの気持ちを裏切らないために。

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