第18話


「今日の配信はここまで!お送りしたのは欅丘ニレと…」


「桜木春と!」


『薔薇園まり!』


「白鈴蘭と!」


「…あっ、ササラです!」


「それでは皆んな、またね!」


そんな挨拶と共に配信が終了する。それと同時にスタジオ内の空気が和らいだ。


「ああー!終わったー!」


桜木春は大きく伸びをする。


「長かったよー!」


欅丘ニレが両手を上げて喜びを表現すると、スピーカーから薔薇園まりの声が響いた。


『まぁ、うにクエで6時間は上々な方だ』


収録中と違う、さっぱりとした声音。それを聞いて僕はやっと配信の終わりを実感する。


「とにかく今日はもう帰らないと。使う人がいなかったから良いものの、使用予定時間をだいぶ過ぎちゃった」


『蘭、お前そろそろ終電が迫っているんじゃないか?そこのスタジオから家遠いだろ』


欅丘さんの言葉を受けて薔薇園さんが指摘する。


「そうじゃん!らんらんは帰らなきゃ。片付けもそんなに大したものは無いし、後はわたしたちに任せてもう出て」


桜木さんがそう言うと蘭ちゃんは迷うように眉を寄せたが、スタジオに備え付けられた時計に視線をやると素直に頭を下げた。


「ありがとう、埋め合わせは今度するから」


またね。と言い残して蘭ちゃんは荷物を持ち扉から出て行く。それをぼけっと見送った僕は欅丘さんに軽く肩を叩かれ目線を上げた。


「そういえばササラくんは最寄りどこなの?」


「あ、----駅です…」


「えっ!?遠くない!?」


何となしに答えた僕の最寄駅の名前に桜木さんが大きな声を出す。


「ササぴょん、ボーッとしている場合じゃないじゃん!早く帰って!」


「えっ…でも…」


僕は新人だし一応片付けを手伝った方が良いのではないか。そう考えて突っ立つ僕の背を桜木さんが強く押しやった。


「いいから、早く!帰って!」


自分の荷物と共に廊下へ放り出される。

僕は少しの逡巡の後、蘭ちゃんの後を追って駆け出した。




















「し、白鈴さん!」


建物の出入り口。丁度扉を出ようとしている彼女へ声をかける。


「ササラくん?」


彼女は不思議そうに首を傾げた。


「もう片付け終わったの?こんなに早く終わるなら私も一緒にやればよかったね。…春ちゃんとニレくんは?」


疑問を投げかける彼女の横に立つ。


「いや、あの…。僕の最寄駅が遠いので、早く帰れって…」


それだけで蘭ちゃんは大体の事情が分かった様だった。彼女の黒髪が出入り口から吹き込む風に揺れる。


「そうなんだね。帰りは電車…だよね?」


「は、はい」


「せっかくだし、駅まで一緒に歩こうか」


「えっ!?」


急に大声を出した僕を彼女は見上げる。


「あ、無理にとは言わないよ。途中で用事があるなら…」


僕を気遣い、言葉を撤回しようとする彼女。その様子に僕は噛み付くように声を張り上げた。


「一緒に帰りたいです!」


僕の台詞に彼女は目を瞬かせる。その反応の薄さに、言ったことが正確に伝わっていないのかと思った僕は再度声を上げた。


「あの!一緒に歩かせて下さい!」


「大丈夫、聞こえているよ。大きな声だったから少し驚いて」


蘭ちゃんはふわりと微笑み、踵を返す。


「行こうか。せっかく春ちゃんとニレくんが送り出してくれたのに、終電へ乗り遅れたら悲しいもの」
















スタジオから歩き出して少し。僕は今更ながら"蘭ちゃんと2人きり"という事実に頭が煮えそうになっていた。


(蘭ちゃんと、ふたり…。ふっふっふたりっきり…)


蘭ちゃんと2人きりになったのはこれで2度目。デビュー時のコラボ前にコンビニへ行った時以来だ。

あの時は目の前の女性が蘭ちゃんであるという認識が薄かった為に何とか平常心を保てていたが…。


(普通に考えてガチ恋しているVtuberと2人きりとか無理…!)


僕は長年彼女への想いをあたためてきた。

Vtuberの白鈴蘭。彼女の鈴のように鳴る笑い声に、その人を思いやる性格に、僕は恋をしてきた。


そういえば今日のコラボでも彼女の手が僕へ触れた。彼女の柔らかな指が、僕の背や手を撫でて…


(うっ、うわぁぁぁぁ!)


心の中で僕はのたうち回る。暫く顔を赤くして黙々と歩いていたが、ふと彼女の頭を見下ろした。


その艶やかな黒髪を見て、僕の中で微かな違和感が首をもたげる。


僕の横を歩いている人物。"彼女"は白鈴蘭なのか?


(僕は"彼女"が白鈴蘭だから好きになったし、関わろうとしている。でも…)


灼熱の太陽の下でフレーバーウォーターを差し出した彼女。僕と分け合ってミルクアイスを食べている彼女。僕の背に手を添えてくれた彼女。


("彼女"は白鈴蘭だったのだろうか)


そんな事を考えていた僕は、程なくして重大な事実に気がついた。


(僕、あの時のお礼を言っていないのでは…?)


これは深刻な事態だ。

彼女の方へ体を向け、口を開く。


「あの…」


「うん?」


彼女はその垂れがちの目をこちらへ向ける。


「あの時、ありがとうございました…!」


僕がお礼を言うと、きょとんとした顔で彼女はこちらを見上げた。


「あの時?」


「ボーナスステージの…」


「ああ!」


合点がいったというように彼女が目を見開く。


「僕、凄く緊張していて…白鈴さんが落ち着かせてくれなかったら、きっと失敗していました」


僕の言葉に彼女は考え込むようにしていたが、やがて真摯に頷いた。


「失敗していたかは分からないけど、ササラくんがそう思うのならさっきの感謝の言葉は素直に受け取っておこうかな」


真面目な表情をした彼女の顔を見る。

もしかしたら、2人きりの今こそ彼女の事に迫る好機なのかもしれない。


(そうだ、笹崎拓也。悶々としている場合ではない。今こそ蘭ちゃんの核心に触れるべきだ!)


顔を引き締めた僕は彼女の瞳を見つめる。


「白鈴さん。最近何か悩みはありませんか?」


急に表情が変わった僕を不思議に思っていたのだろう。怪訝そうな顔をしていた彼女はそう尋ねられてよりその表情を深めた。


「随分唐突だね。どうしてそんな事を聞くの?」


当然の疑問である。

勇ましい戦士のような気持ちで話を切り出した僕だったが、その返しに答える術を持たず狼狽える。


「えっと…特に理由は無いんですけど…。白鈴さんの事をもっと知りたくて」


「うーん、相手を知りたいという目的にしてはだいぶ個性的な切り口」


苦し紛れに絞り出した言葉はやはり彼女の疑問を解消するに至らなかったようで、蘭ちゃんはその目を細めた。


「私、悩みが多そうに見える?」


問いかけに首を左右に振る。


「そんな事は…無いですけど…」


自身の消え入るような声が夜闇に吸い込まれる。

段々と意気消沈していく僕の様子を見兼ねてか、彼女は思案するように自身の顎へ手を当てた。


「悩み…。そうだな」


蘭ちゃんは誂えた細工のように繊細なまつ毛を伏せる。


「…人間だから、もちろん悩みはあるけれど。でも、」


彼女は顔を上げた。その瞳には煌々と煌めく月が写っている。


「私は幸せだから」


「幸せ…?」


「うん。幸せ」


蘭ちゃんは踊るようなステップで石畳の上を歩く。


「だから悩みがあっても問題ないの。幸せだから」


僕は彼女を凝視する。

蘭ちゃんの顔は穏やかで、とても彼女が嘘を言っているようには思えない。


「それは…どうして…?」


僕の質問に彼女は微かに目を見開いた。


「『幸せ』っていう言葉に対して『どうして』って言われたのは初めてかもしれない。ササラくんは哲学的な問いを投げかけるね」


すい、と僕から視線を逸らし前を向いた蘭ちゃんは口を開く。


「私にはヒーローがいるの。私に生きる意味を与えてくれた、世界を変えてくれた、そんなヒーローが」


形の良い唇が、尊い事実を告げるように言葉を紡ぐ。


「私が今ここに居られるのはその人のおかげ。その人がいる限り、私は幸せであり続ける」


軽やかに数歩先へ行った彼女は舞うように僕の方へ振り向く。


「だから私は幸せなの」


そう言うと、彼女は月明かりを浴びて美しく笑った。








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