第15話
硬い何かの上に横たわっている感覚。細波のように遠く聞こえる人々の声で意識が浮上していく。
瞼の向こうに淡い光を感じて僕は目を開けた。
「……?」
漆喰の壁に囲まれた小部屋。天井からの光が木目の美しいテーブルを照らしている。
僕はどうやら連なった椅子に寝かされているようで、身じろぎをするとそれがカタカタと音を立てた。
椅子に手を付き上半身を起こす。視線を巡らせると、テーブル向かいの椅子に座り携帯端末を操作している人物と目が合う。
「あっ、新人くん!良かった、目が覚めたんだね」
欅丘ニレはスマートフォンをテーブルに伏せると立ち上がり、僕の方へ歩み寄った。
「気持ち悪かったり、苦しかったりはしない?」
そう尋ねられて僕は首を横に振る。僕の顔を覗き込んだ欅丘さんはほっと息を吐いた。
「呼吸は正常だったし顔色も悪くなかったからレストランの個室を借りて様子を見ていたけど、気分が悪いようなら今からでも救急に電話するから言ってね。…お冷、飲めそう?」
欅丘さんはピッチャーからお冷を注ぐと僕へ差し出す。
「ありがとうございます…」
お冷を受け取ろうと手を伸ばしながら、僕は朧げな記憶が蘇っていくのを感じていた。
(歓迎会があって、お手洗いで吐いて…)
それから先は記憶がない。
ふと欅丘さんの持っているピッチャーを見遣る。ピッチャーは表面が酷く結露していて、長く放置されていた事が伺えた。
「あの…僕、どれくらい寝ていましたか?」
「2時間くらいかな?」
その言葉を聞きながらお冷を口に含んだ僕は、ある可能性に思い至り恐る恐る欅丘さんの方へ向き直る。
「もしかして、その間ずっと僕について…?」
僕の疑問を受けて欅丘さんはこともなげに頷いた。
「うん。吐いちゃった人を放置しておく訳にはいかないから」
それを聞き頭を抱える。
「新人くん…?」
微動だにしない僕を見て欅丘さんは心配そうに僕に呼びかけた。僕はゆっくりと椅子から立ち上がり床で正座の姿勢を取る。
「し、新人くん…?何をしているの…?」
頭上から欅丘さんの困惑したような声が聞こえる。その声を耳にしながら僕は勢いよく頭と両手を地面に伏せた。
「すみません!ご迷惑をおかけして本当にすみません…!」
平身低頭しながら、何度も欅丘さんに向かって頭を下げる。
「えっ!?何!?いきなり何なの!?」
「すみません、すみません…!」
「や、やめてよ新人くん!ボク気にしていないよ、大丈夫!」
おろおろと欅丘ニレが僕を制止しようとした。しかし僕は床に頭を打ちつけ続ける。
「すみません!すみません!」
「こ、怖い!何か怖いよ!」
欅丘さんの顔に恐怖の色が滲む。そんな彼の表情に気がつく事なく僕はヘッドバンギングの如く謝罪を続けた。
「すみません…!」
「やめて!もうやめて!」
欅丘さんが僕の頭を掴む。
「もう謝るのはやめて!怖いよ!」
強烈なアイアンクローが決まる。遠のく意識の中、僕は思った。
(僕、まだ酔っているな)
「ごめんね、まさかもう一度気絶させちゃうなんて」
欅丘さんが申し訳なさそうに縮こまる。
「あっ、いや、それは酔っ払っていた僕が悪いので…」
すっかり酔いが覚めた僕がそう返答すると欅丘さんは目を潤ませながらこちらを伺った。
「今度は5分程度で目を覚まして良かったけど、きっとつらかったよね。本当にごめんね」
「こちらこそすみません…」
「再度気絶させてしまった訳だし」
「元はと言えば僕が泥酔したのが原因でしたから」
「いや、それでも気絶させるのはいけなかった」
謝罪し合ううち、どちらともなく目が合う。
「…もうやめましょうか」
「そうだね…。これ以上の謝罪の応酬は何も生まない気がする」
欅丘さんはため息をつく。彼は背筋を伸ばすと僕の方を見た。
「それにしても、歓迎会の序盤で酔い潰れちゃうなんてどうしたの?新人くんってお酒弱い?」
当然の疑問に言葉に詰まる。どう答えるか考えあぐねた後に、僕は顔に笑みを貼り付けた。
「人並みに飲める筈なんですけど、ちょっと今日は飲みすぎちゃって…へへ…」
欅丘さんはそんな僕を見て考え込むように首を傾げた。暫くして、彼は躊躇うような素振りを見せながら口を開く。
「新人くんってさ。もしかしてだけど、人と話すのが苦手だったり…する?」
その指摘は完全なる図星。
「そんな、ことは…」
ない、とはいえなかった。中途半端な沈黙はその言葉が正解であることを欅丘ニレに悟らせるに十分だった。
「そっか…」
欅丘さんは目を瞑り深く息を吸う。何回か深呼吸を重ねた後に、彼は目を開き僕の顔を見つめた。
「もし新人くんが良ければだけど、今度ボクとコラボ配信しない?」
唐突に欅丘ニレはそう言った。
「えっ…?」
思わず漏れ出た僕の声を聞き、彼はさらに言葉を続ける。
「ボクと…あと、新人くんが話してみたいなって思っている人とか呼んでさ、パーティーゲームでもしてみたらどうかなって。
ボクは新人くんのデビュー時に一回コラボしているし、少しは話し易かったりするんじゃないかって…。どうかな…?」
そこまで話した欅丘さんは慌てたように両手を軽くあげた。
「あっ!気が進まないとかなら断ってくれて大丈夫だから、ほんと!」
僕は彼の言葉に首を左右に振る。
「そんな、気が進まないとかは無いです!でも…何で…?」
Bright Future内でもダントツで登録者が少ない僕とコラボする旨味など欅丘ニレにはない。
それどころか嘔吐している様を見られた上に寝落ちの世話をさせるという体たらくだ。好感度がマイナスに振り切れていてもおかしくない。
(何故突然こんな申し出を…?)
混乱する僕に、欅丘さんは静かに目を伏せた。
「…ボク、昔から気が弱くて。そんな自分を変えたくてVtuberになったんだけど、全然ダメで。Vtuberって、何だかんだ言っても結局エンターテイナーとしての働きを求められるからさ。表現が得意じゃない人間は振り落とされていくんだ」
彼の瞳は過去を思い出すように憂いを帯びる。
「ボクみたいな人間が何人も辞めていくのを見てきた。ボクは幸いにも同期に恵まれて何とかここまで続けられたけど、新人くんはそういう存在がいないんじゃないかなって」
顔を上げた欅丘ニレは僕に視線を合わせた。
「だから、これはボクの単なる自己満足。勝手に仲間意識を持ってコラボに誘ったっていうだけ。気に障ったらごめんね」
「欅丘さん…」
彼の言葉に僕は俯く。
(蘭ちゃんの未来を変えたいと願いながら、僕は今まで殆ど何も出来ないでいる)
(自分では頑張っているつもりで、でも結局成果は得られなくて、他の人から与えられる善意やチャンスをただ享受して。今回だってそうだ)
(僕は自分が情けない。でも、)
「…僕、コラボしたいです。是非やらせて下さい」
僕は欅丘さんの顔に視点を定める。
(もしチャンスが目の前にあるなら、それを僕は掴む)
欅丘ニレは僕の言葉を受けて頷いた。
「新人くん…いや、ササラくん。やろう、コラボ」
欅丘さんは手を差し出す。僕はそれを取るとガッチリと握手した。
「誰を呼ぶ?ササラくんの呼びたい人が僕の交友関係の内にいれば良いんだけど…」
その言葉に僕は口を開く。
「僕が一緒にコラボしたいのは…」
僕の口から出た名前を聞いて、欅丘さんは僅かに瞠目した。
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