第14話
流れるジャズの音。洒落た照明にてらされた料理。
都内の洋食レストランの広間で、1人の男性が声を張り上げる。
「諸君!本日は新人ライバーの歓迎会に集まってくれてありがとう!司会はこの岩阿玉博嗣が務めさせて頂く!」
いかにも熱血そうな声音をした彼…一期生の岩阿玉博嗣は、シャンパンの入ったグラスを掲げた。
「では!新人たちの前途を祝して!」
広間にいるいくつもの人間の手が次々にグラスを掲げていく。それを確認すると岩阿玉博嗣は口を開いた。
「乾杯!」
その音頭を皮切りにグラスを打ち合わせる硬質な音がそこかしこに響く。立食式に料理が整えられた広間の隅で僕は申し訳程度にグラスを持ち上げると、シャンパンをちびちびと口に含んだ。
今日はBright Futureの新人ライバー歓迎会。その主役の1人として、僕はここに招かれていた。
(蘭ちゃんは…)
会場を見渡すが、彼女の姿はない。
(今日の歓迎会に蘭ちゃんは参加していないんだな)
人知れず肩を落とし料理の並ぶテーブルへ近づく。
(…蘭ちゃんがいないのは残念だけど、それでも出来る事はある。他のライバーさんと仲良くなって、今後協力してくれるような関係を構築するんだ。この新人歓迎会中に、とにかく誰かに話しかけなくちゃ…)
そんなことを考えながらきょろきょろと視線を動かしていた僕は、1人の少女が僕の方へ向かってきている事に気がついた。
少女は僕の近くで立ち止まると上目遣いでこちらを伺う。
「あの…新人のササラさんですか?」
「そ、そうです…」
そう問われて僕が頷くと、少女の表情はパッと華やいだ。
「やった!きっとそうだと思ったんです!」
何故か僕に話しかけてきた少女は無邪気に喜んでいる。その様子に目を瞬かせていると、僕に話しかけてきた少女の背中に2人の女の子が飛びついた。
「赤緒ちゃんってば、抜け駆けしちゃダメ!3人で一緒に挨拶しようって言ったじゃん!」
「そうだよ!もう、赤緒ちゃんったら!」
「ごめんごめん!謝るから髪の毛掻き回さないでー!」
キャッキャと戯れ合う3人の少女たち。僕が困惑しながら眺めていると、少女たちはその様子に気がついたのか動きを止めた。
「あっ、自己紹介もせずに騒いじゃってごめんなさい!わたしたちもササラさんと同じくこの間入ってきた新人なんです。わたしは青村ららって言います!」
「赤緒ねねです!」
「黄岡ななです!わたしたち、信号シスターズです!」
そう言うと3人の少女はポーズを決める。戦隊ヒーロー物のようにビシッと決まったポージングは一糸乱れぬチームワークの賜物であった。
「おお…」
その勢いに気圧されて僕はたじろぐ。ポーズを決めていた少女たちは少しの間の後にスッと元の位置に戻った。
「わたしたち、新しく入ったササラさんはどんな人なんだろうって気になっていたんです。同期もなしにたった1人で投入されるなんて普通じゃない!絶対何かある!」
「そう、それは飛び抜けたカリスマかもしれない…。ゲームセンスがある?それとも変人だから誰とも組まされなかった?」
「謎は深まるばかり。…ほんの少しだけれど信号シスターズの方が先にデビューしているという事で、わたしたちはあなたの先輩。先輩特権で今日は洗いざらい質問に答えてもらいますよ!」
両手の指をワキワキと動かしながら迫ってくる信号シスターズ。じりじり近づいてくる少女たちのニコニコとした表情に何となく恐ろしさを感じて逃げるように僕は後退した。
「何で逃げるんですか?」
「お話しましょうよ」
「ほら、美味しいご馳走もある事ですし」
好奇心を剥き出しにした3人の視線に晒される。
「えっ…おっ、あの、ちょっと怖い…。こわ…ひぇっ…!」
ぐいぐいと迫ってくる彼女らに僕が本気で恐怖を感じ始めた、その時。
「何をしているんでスか、アナタたちは」
僕の後ろから張りのあるテノールボイスが聞こえてきた。
「あっ!ノアムさん!」
黄岡ななが僕の後ろへ声をかける。僕が振り向くと、そこにいたのは背の高い男性。彼は緩く括った長髪を靡かせるようにこちらへツカツカと歩いてきた。
「まったく、新人同士で固まっテいてはダメじゃないデスか。せっかくの歓迎会なノですから」
何らかの外国訛りの日本語を話す彼は、高級そうなベストをかっちりと着こなしている。
「お嬢さんたち、いけまセンよ後輩に迫っては。彼が困っています」
そう言いながら少女たちに指を振った男性は、不意に僕の方へ向き直った。
「失礼。割って入っておきながら名乗っていませんでした。ワタシの名前はノアム・デュボワ。しがない科学者です。気軽にノアムと呼んでクダサイ」
そう言ってその男性…ノアムさんは僕へグラスを差し出す。
「どうぞ。グラスが空だったようなノデ持ってきました」
「あ…ありがとう、ございます…」
僕は手を伸ばしシャンパンが注がれたグラスを受け取った。
「可愛い信号たちも、ほら。レモネードを」
ノアム・デュボワはもう片方の手に持ったピッチャーを取り出す。そのピッチャーを見て、信号シスターズは歓声を上げた。
「やった!さすがノアムさん!」
「未成年に対して相応の気遣いが出来る大人!」
「痺れる!」
口々に浴びせられる賞賛の言葉にノアムさんは微笑む。
「フフフ…煽ても何もでませんヨ…」
盛り上がる彼らを横目に僕はシャンパンを口に含んだ。シャンパンの香りを味わうのも束の間。今度は太い声と共に細身の男性が顔を覗かせた。
「諸君!楽しんでいるかね!」
「ムッシュ岩阿玉」
ノアムさんがその男性に振り向く。やってきた男性はこの歓迎会で乾杯の音頭をとった一期生の岩阿玉博嗣だった。
「ノアム、新人たちを独り占めだなんてズルいじゃないか!混ぜたまえ!」
そう言いながら岩阿玉博嗣はノアムさんの肩に手をかける。彼は朗らかな笑顔を浮かべると少女たちへ口を開いた。
「青村君、赤緒君、黄岡君、歓迎会はどうだ!」
そう尋ねられて青村ららはパッと笑う。
「楽しいです!お料理も美味しいですし」
「そうか!むっ?君は…」
岩阿玉さんは僕の姿を認めるとノアムさんの肩にかけていた手を外し、こちらへ歩み寄ってきた。
「ササラ君!話には聞いているよ、つい最近入ってきたライバーだろう!」
その言葉に僕は愛想笑いをする。
「あ、へへ…そうです…」
「うむ、うむ!」
岩阿玉さんは力強く頷いた。
「今日は君たち4人への歓迎会なのだから、思う存分食べて飲んでくれ!他のライバーたちも君たちと話したくてうずうずしているだろう!宴はまだ始まったばかり、存分に語り合おうではないか!」
そう言って岩阿玉さんは僕の背中をバシバシと叩く。
「へへへ…」
曖昧に笑いながら僕は手元のシャンパンを飲み干した。そしてソッと輪から身を引く。
「あの…僕、ちょっとお手洗いに…」
「む?」
岩阿玉さんが僕の顔を見る。
「そういう事なら食器はあそこへ置いていくといい。手洗いの場所は分かるか?」
僕は問いかける彼の声に首を縦に振った。岩阿玉さんの隣では3人の少女と科学者の談笑が続いている。
「大丈夫です…失礼します…」
その言葉を残して、僕はそそくさとその場を後にした。
賑やかな場から遠去かり、場所はレストラン内の男性トイレにある洗面所の前。
「はぁ…」
僕は遠くから聞こえてくる喧騒を耳にしながら1人溜息をついていた。
(帰りたい…)
鏡には情けない表情をした僕の顔がうつっている。
(大勢の知らない人に囲まれるだけでもいっぱいいっぱいなのに、その上で上手く立ち回るなんて無理だったんだ)
「うう…」
僕は呻き声を上げると、その場にしゃがみ込んだ。
(もう帰ろうか。急用が出来たと言えば止められはしないだろう。…それで家で蘭ちゃんの配信のアーカイブでも見て過ごしたい)
この場を離れ安息の地へ旅立つ。精神が疲弊しきった僕にとって、それはとても良い案のように思えた。
「……」
しかし僕の足は動かなかった。それでは駄目だと、分かっていたからだ。
(…並大抵の事じゃ未来は変わらないって今までで十分理解しているだろう。今回初めてBright Future内部に潜り込めたんだ。そのチャンスをふいにするつもりか)
「蘭ちゃん…」
心の中で蘭ちゃんの笑顔を思い浮かべる。
「助けて蘭ちゃん…つらいよ…」
今まで何度も僕を励ましてくれた蘭ちゃんの笑顔。しかし今は蘭ちゃんの存在が重圧として僕にのしかかる。
僕が諦めた先。そこに蘭ちゃんの笑顔は存在しないのだから。
「………」
僕はその場で立ち上がる。洗面台に備え付けられた鏡から自分が見つめ返した。
(…会場に戻ろう)
両手で自身の頬に喝を入れる。小気味良い音が自分の顔から鳴った。
男性トイレの出入り口に向かって歩き出す。
しかし、何歩か行った所で不意に視界が揺れた。
「あれ…?」
足元が覚束なくなり壁に手をつく。
「なん…う、おえっ…」
その瞬間、急激な吐き気と共に何かが食道を上ってくる感覚があり僕はトイレの個室に駆け込んだ。
「おっ…うっ、おえッ…」
強烈な気持ち悪さ。
個室の扉を閉める間もなく、口から吐瀉物が溢れ出る。
(そういえばこんなにハイペースでお酒飲んだ事なかったな)
甘ったるいような酒臭いような匂いに包まれながらぼんやりとそんな事を考えていると、出入り口の方から扉を開ける音がした。
「うわっ!?何このトイレ、酒くさ…って、新人くん!?」
扉から入ってきたその人物は驚愕したように声を上げる。
(聞いた事ある声だ…。この声は、確か2期生の…)
僕が思考している間にも足音はどんどん近づいて来た。
「大丈夫!?」
そう声をかけながら僕の背中を摩ったのは、ツーブロックのいかつい肉体をした青年。
「欅丘さ…ん…。ゔっ…!」
彼の姿を確認する間も無く再び吐く。
「…お酒飲みすぎたのかな?苦しいと思うけど、胃の中の物を吐き切ろう。もし急性アルコール中毒だとしたら胃の中にお酒が残っているのは危険だからね」
欅丘ニレは僕を落ち着かせるようにゆっくりとした声音で語りかける。
僕の喉からは暫く吐瀉物が流れ出していたが、何回か嘔吐すると内容物が無くなったという証左のように吐き気が収まって来た。
それと同時に強い眠気が僕を襲い、瞼がゆらゆらと落ちていく。
「大体おさまったみたいだね、良かった。…新人くん?新人くーん?えっ…寝てる…」
欅丘さんの声を子守唄のように聞きながら、僕は意識を手放した。
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