第11話


「なるほど…。超が付くほど人見知りの笹崎氏がVtuberになるなんて一体どうしてしまったのかと思い申したが、そんな事情が…」


そう言いながら能田くんが深く頷いた。


「…とは、流石にならないでござるよ?」


眼鏡をギラリと光らせてこちらを見る彼の目は鋭い。


「うう…!信じてよ能田くん!」


僕が涙混じりで懇願するが、彼は顔を険しくしてサーモンの炙り寿司を頬張った。


「いきなり回転寿司に連れてきて『奢るから話を聞いて欲しい』なんて怪しいと思っていたであります!平石氏もそう思うでござろう!…むっ!このサーモン、旨い!」


猛然と寿司を食べる能田くんの横で平石くんがマイペースに茄子の漬物を口へ放る。平石くんはゆっくりとそれを飲み込み、お茶を啜った。


「良いんじゃない別に。誰かに洗脳されたとかじゃ無さそうだし。それともこの後、俺たち何かに勧誘されたりする?」


その言葉に僕はぶんぶんと首を左右に振る。


「そ、そんな事しない!」


急くようにそう言った僕を見て能田くんは顎に手を当てた。


「まぁ、笹崎氏は嘘をつくような質ではありませぬからな。うーむ仕方ない。一旦さっきの話は真実と仮定して、…笹崎氏、何を笑っているのでござるか?」


そう指摘された僕は自分の口角が上がっている事に気がつく。


「あー…えーっと…」


訝しげな能田くんの視線に僕は口元を押さえた。


「こんな荒唐無稽な話、自分でも信じられないくらいなのに…2人は毎回僕の話を信じてくれるなって思って…」


僕の言葉を聞いて能田くんが妙な表情をする。


「それは、まぁ…」


能田くんは眼鏡を掛け直しながら黙り込む。平石くんは我関せずという顔をして新しく取った鉄火巻きへ醤油を付けていたが、静かになった僕たちを一瞥した。


「そりゃあ友達だし?」


それだけ言うと平石くんは鉄火巻きを口へ運ぶ。


「平石氏、よくそんな臆面もなく口に出来ますな…」


何とも言えない顔で能田くんが平石くんを見ると、平石くんは無表情で鉄火巻きを頬に含んだ。


「事実でしょ。むしろ言い淀んでいるの何って感じなんだけど」


「だって…改めて"友達"だとか口にするの恥ずかしくない…?」


「ええ…?」


僕の返答に当惑したような声を漏らした平石くんだったが、気を取り直すように咳払いをした。


「…で?俺たちにそれを話してどうするつもり?聞いた感じ俺たちに出来そうなこと何も無さそうだけど」


「そうでござるな。もう既に笹崎氏は要となる場所への潜入に成功している。部外者である我々に出来る事は限られるが…何か頼みたい事でも?」


その問いかけに僕は動きを止めた。


「そう、だよね。うん。そうなんだけど…」


箸を開閉しながら目を泳がせる。


「何ていうか、ただ知って欲しかった…っていうか」


テーブルに置かれた小皿の醤油の赤さがいやに目につく。


「…僕だけなんだ。蘭ちゃんがいなくなるって知っているの」








そう、僕だけが知っている。僕しか知らない。彼女が死んでしまうのを。


僕だけしか。









「笹崎氏…?」


能田くんの声が耳に届く。

その瞬間、僕は我に返り顔へ笑顔を貼り付けた。


「へへへ、意味分からないよね!ごめん!」


そんな僕の様子を平石くんは観察するように眺めていたが、やがて静かに頷いた。


「うん」


「そうだよね!ごめ…」


僕が尚も謝罪の言葉を重ねようとした時、平石くんは僕の言葉を遮った。


「確かに分からない。けど、」


彼は何事も無いかのように言う。


「何度でも話せばいいんじゃない」


その言葉に僕は瞠目した。


「あ…」


自分の喉から吐息が零れ落ちる。平石くんは再び茄子の漬物をレーンから手に取る。


「正良も茄子食べる?」


「頂くであります!」


茄子の漬物を頬張る平石くん。差し出された皿から茄子を取る能田くん。

僕は暫く彼らを見つめていたが、囁くように声を吐き出した。


「ありがとう…」


僕の言葉が聞こえたのか聞こえなかったのか、平石くんは僕の言葉に対して何も言わずに漬物を齧る。


「…やっぱり茄子の漬物って旨いな」






















「ふぅ、腹一杯であります。やはり昨今の回転寿司はレベルが高い!」


出入り口の機械音声に見送られながら能田くんは満足そうに腹を摩る。


「能田くん海鮮系好きだもんね」


「拓也、次は肉が食いたい」


「え…平石くんまだ食べるの…?もう僕今日は持ち合わせがないんだけど」


「いや梯子してまでたかろうとは思っていないから。次は俺もちでいいよ」


そんな会話をしながら歩き出そうとした僕は視界の端に引っかかるものを感じてそちらを向いた。


「!?」


それを認識した瞬間、僕の身体は咄嗟に物陰へ隠れる。


「笹崎氏?急にどうしたのでござるか?」


能田くんの訝しげな声を聞きながら僕は再度そちらを伺った。


色付いた並木の下。煉瓦色の街路に立つ2人組。

白いシャツにベージュのワイドパンツを履いた黒い短髪の女性。ド派手な柄シャツを着た、金髪にパステルカラーのピンをいくつも留めた女性。


「ふ…」


急速に口の中が乾いていくのを感じながら、僕は能田くんと平石くんへ目を向けた。


「フラワーズの2人が…いる…」


僕のその言葉に能田くんが口を閉じる。暫くの後、能田くんは僕の両肩を掴んだ。


「笹崎氏…」


その眼光に嫌な予感がして僕は後退りする。

次の瞬間、能田くんは僕の身体を物陰から強く押しやった。


「GOであります!」


「無理無理無理!」


僕は能田くんに抗うようにその場で踏ん張る。


「せっかくの機会、今モノにせずいつモノにするのか!」


「街中でいきなり会って話すなんて無理だよ!こ、心の準備が…」


僕は青い顔で主張するが能田くんの力は弱まらない。


「しのごの言わずに…」


ひときわ強く背中を押される。


「行ってくるでありますよ!」


「うわぁ!?」


物陰から押し出され、たたらを踏む。


「ちょっと、能田くん…!」


後ろを振り向きかけた僕は、


「ササラくん?」


という聞き覚えのある声に挙動を停止した。そろそろと声のした方を伺う。

そこにはきょとんとした顔でこちらを見る蘭ちゃんと怪訝そうな顔をした薔薇園さんがいた。


「おっ……お、お疲れ様です…」


挨拶を喉から搾り出す。


「どうしたの?こんな所で会うなんて奇遇だね」


「へ、へへ…へへ…」


誤魔化すように僕は口の端を上げる。そんな僕に向かって薔薇園さんが口を開きかけた時、


「わっ!」


不意に蘭ちゃんが声を上げた。


「どうした?」


薔薇園さんが蘭ちゃんに問いかける。蘭ちゃんは申し訳なさそうな顔をしながら薔薇園さんを見上げた。


「ごめんまりちゃん!さっきのお店に忘れ物してきちゃったみたい、ちょっと待っていて!」


そう言いながら走り出す。


「急がなくていいぞ。転ぶなよー」


遠くなっていく蘭ちゃんの背中に薔薇園さんが声をかける。薔薇園さんは暫く蘭ちゃんの背中を目で追っていたが、やがて僕の方に目を向けた。


「んで、新人はどうしてここに?」


その言葉に僕はおどおどしながら喋る。


「あ、えっと、お寿司食べていて…」


「ふーん。いいじゃん」


「へへ……」


「………」


訪れる沈黙。

背中に冷や汗をかきながら僕はきょどきょどと薔薇園さんを見た。


「何?」


不躾に彼女を見ていた僕は、その言葉に慌てて口を開く。


「いや!あの、この間も思ったけど配信の時と口調が何か違うなって…思って…」


「はぁ?」


薔薇園さんは目を見開く。風に揺られて耳に付けられたいくつものピアスが揺れた。


「新人、お前ってサンタクロースの存在とか信じているタイプ?」


「え?」


唐突な問いに僕が聞き返すように声を漏らすと、薔薇園さんは額に手を当てて顔を顰める。


「や、悪い。所によってサンタクロースって実在するものな。この例えは適切じゃなかった。あー…」


彼女はしばし考え込むようにしていたが、ふと顔を上げると僕の顔を見た。


「めんどくさ。特に説明しなくていい?」


「あっ、はい」


その怠そうな雰囲気に気圧されて思わず頷く。そのまま僕たちは黙って道の端に立っていたが、薔薇園さんはこちらへ視線を向けないまま僕へ話しかけた。


「…槙原のおっさんがマネになったって聞いた」


薔薇園さんは自身のポケットに手を突っ込む。


「良かったな。おっさんはよく面倒見てくれる人だから色々頼ればいいよ」


話しかけてくれたのは彼女なりの気遣いなのだろう…と思いながら僕は薔薇園さんの言葉に頷く。


「はい…。あの、蘭ちゃ…白鈴さんと薔薇園さんって今日は何を?」


僕がそれとなく聞いたその質問に、薔薇園さんは目を細めた。


「あー…」


薔薇園さんは少しの間思案した後、僕をちらりと見遣る。


「………下見的な?」


「下見?」


その返答に僕が重ねて疑問を投げかけようとした時だった。


「まりちゃーん!」


高く澄んだ声が辺りに響く。僕たちが揃って声の方を向くと蘭ちゃんが息を切らせて走ってくる所だった。


「待たせてごめんね!行こっか」


にこりと笑ってそう言った蘭ちゃんは、そこで僕の存在に気がつき驚いたような表情をした。


「ササラくん!もしかしてササラくんもずっと待っていてくれたの?」


「い、いや…」


僕が答えに窮して言い淀むと、薔薇園さんが不意に僕の肩へ手を置く。


「全くもってそうなんだよ。先輩ライバーの暇を潰してくれる新人…なんと親切な後輩なんだろうって感激しちまったね。な、新人」


同意を求めるように薔薇園さんに顔を覗き込まれて咄嗟に首を縦に振る。

それを見届けるや否や薔薇園さんは僕の肩から手を離した。


「という訳で、あたしたちは行くから。あばよ」


ひらひらと手を振りながら間髪入れずに薔薇園さんは歩き出す。


「えっ?まりちゃん、ササラくんは…」


蘭ちゃんは立ち尽くす僕と去り行く薔薇園さんを困ったように交互に見ていたが、そんな彼女を薔薇園さんが振り返った。


「蘭」


薔薇園さんは蘭ちゃんの名を呼び彼女を見つめる。その眼差しに蘭ちゃんはハッとしたような表情をした。


「…うん」


蘭ちゃんは静かに頷くと僕の方へ向き直り微笑む。


「ササラくん、まりちゃんの話し相手になってくれてありがとう。またね」


そう言うと彼女は足早に薔薇園さんと同じ方向へ歩いていく。

その時、彼女の鞄の隙間から何かが覗いた。


(紺色の、紙袋…?)


僕がそれを認識する間にも彼女たちは遠ざかっていく。


僕は蘭ちゃんが見えなくなるまでその場に突っ立っていたが、寸刻の後のろのろと帰路に着いた。







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