第9話

「うおおお!ぶちかませぇぇぇぇ!」


ゲームのコントローラーを握りしめながら、鮮やかな金髪にパステルカラーのピンをいくつも留めた女性が叫ぶ。

その横で同じくコントローラーを持った茶髪の少女が歓声を上げた。


「やったー!タイミングばっちりだよ、まりりんナイス!」


彼女の茶色の髪に留められたライムグリーンのシュシュがふわふわと揺れる。


「ちょっと2人とも!少しは手加減してよ、ボクは2人と違ってレースゲーム下手なんだから!」


そう言いながらツーブロックのいかつい青年がコントローラーを傾けると、彼の操作するゲーム内の機体は盛大にスリップした。


「うわあ!?」


悲鳴と共に彼の機体は崖下へ転落していく。青年は呆然とそれを見つめていたが、涙目で僕の方に向き直った。


「新人くーん!新人くんだけが頼りだよ…仇を取って…」


「そんな事言われても、僕も瞬発力は…。うっ!?」


突如、僕のゲーム画面の視界が真っ暗になる。


「そのジャマーはオマケだ、新人!…アハハッ!1番乗り!」


「春は2番乗りー!いえーい!」


スタジオに彼女たち…薔薇園まりと桜木春の笑い声がこだまする。後ろの方で蘭ちゃんがパチパチと手を叩いた。


「まりちゃんと春ちゃんのチーム、今ので2連勝だね。3本勝負先取おめでとう」


蘭ちゃんの言葉に、ツーブロックの青年である欅丘ニレは眉を下げる。


「ううっ…今回は行ける気がしたんだけどな…」


そう言って彼はガックリと肩を落とした。












Bright Futureのライバーとしてデビューして3日目。新人の僕の初コラボは同プロジェクト2期生たちとのレースゲーム配信に決まった。


(いきなり蘭ちゃんとのコラボなんてついている)

そう思った僕であったが…




「じゃあ約束通り、負けたニレと新人はコンビニな!」


「春はオレンジジュースね、果汁100%のやつ!えーっとあとポップコーンでしょ?ポテチでしょ?あと…」


「えー!?そんなに!?」




2期生の先輩たちの騒がしさに

(思った以上にこれは大変な事になったかもしれない)

と認識を改めていた。







「春ちゃん、そんなに頼んだら流石に買い物組が可哀想だよ。特にササラくんは初コラボをこの後に控えて緊張しているんだから…」


そう言って蘭ちゃんが苦笑する。


「ええー!春、色んなものがいっぱい食べたい気分なの!」


桜木さんが頬を膨らませると、薔薇園さんが桜木さんの肩に手を置いた。


「桜木、あたしには分かっているぞ。敢えてたくさん菓子を調達し、新人におごりで食べさせてやろうっていうつもりだろ。そういう奴だお前は」


薔薇園さんのその言葉に桜木さんが顔を背けた。


「な、何のこと?春はただお菓子食べたいだけなんだけど?」


桜木さんの顔が僅かに赤くなる。欅丘ニレはそんな彼女たちを微笑ましげに眺めていたが、


「あっ!?」


と急に声を上げて立ち上がった。


「マネージャーさんに呼ばれていたの忘れていた!ごめん、すぐ戻ってくるから!」


そう言って彼はスタジオから駆け出していく。後に残された僕たちは開け放たれた扉を呆気に取られて眺めた。


「…あと1時間で配信始まるのに何やってんのアイツ」


呆れたように薔薇園さんが呟く。


「にれち、そういう所あるよね。あーあ、お菓子はお預けかぁ」


「ぼ、僕行ってきます、コンビニ」


桜木さんが伸びをしながらそう言ったので、僕は吃りながらも言葉を発した。


「えっ?でも1人だと重いよ?」


目を丸くして桜木さんはこちらを見る。その横で蘭ちゃんが徐に腰を上げた。


「じゃあ私も行くよ。それならきっと大丈夫」


彼女は僕に向かって柔らかく微笑む。


「行こうか、ササラくん」






















「んー…どれにしようかな…」


飲み物の棚で真剣に吟味するキャラメル色の瞳。


「どれも捨て難い…。バナナジュース?それともコーヒー牛乳…」


そう呟きながら飲み物を選ぶ彼女だったが、棚から視線を逸らしたかと思うと僕の方を一瞥した。


「…ササラくん、そんなに熱心に見つめられたら私穴があいちゃうよ」


その言葉にハッとして顔を俯かせる。


「すっ、すみません!」


僕が慌てて謝罪すると、彼女はくすくすと笑った。


「いいよ、そんなに謝らなくても」


鷹揚な言葉をかけられるが顔が上げられない。

思いがけず蘭ちゃんと2人でコンビニへやってきて数分。


(またやってしまった)


初対面の時の失態に引き続き再び不審な態度を取ってしまった僕はじわじわと沸き上がる後悔の念に苛まれていた。






「…せっかくだからササラくんにわたしの飲み物を選んでもらおうかな。ねぇ、どれがいいと思う?」


無言の僕をどのように見たのか、突如彼女はそう言うと棚に並ぶ飲み物の列を指し示す。


「えっ!?」


動揺する僕に彼女はいたずらっ子のように微笑んだ。


「十数えるうちに私が好きな飲み物を当てられたらご褒美をあげるよ。いーち…」


いきなりカウントダウンを始めた蘭ちゃんに慌てふためく。


「えっ、ええっ!?」


「にー、さーん、しー、ごー…」


焦りながら僕は飲み物の棚に視線を向けた。


(好きな飲み物…好きな…飲み物…?)


「ろーく、なーな、はーち…」


進んでいく数字に思考力が奪われかけた時、


「きゅー…」


視界に見覚えがあるラベルが飛び込んできて、僕はそのボトルを彼女へ突き出した。


「これ!」


彼女はそのボトルに瞠目する。


「…正解」


驚いたように目を瞬かせると、彼女は僕の手からフレーバーウォーターを受け取った。


「正解だよ、ササラくん。何で分かったの?」


そう尋ねられて僕は狼狽える。


「あっ…えっと…」


(違う時間軸のあなたに渡された飲み物がこれだったから、なんて言えない)


散々迷った挙句、僕は口を開いた。


「好きそうだなって、思って…」


何ともお粗末な回答。しかし、そんな僕の答えを彼女は追求しなかった。


「そっか」


目を細めて僕を見ていた蘭ちゃんはくるりと方向を変えると、コンビニの細い通路を歩き出した。


「何はともあれ、正解したササラくんには先輩からご褒美をあげましょう」























「はい、ササラくんの分」


2つ続きのアイスをぱきんと折って片方を差し出す蘭ちゃん。


「あ、ありがとうございます…」


それを受け取りながら僕はおずおずと彼女を伺った。


「美味しい!やっぱりミルク味は鉄板だね」


コンビニ前、まだ夏の気配が残る道路でアイスを食べる。

彼女の言っていたご褒美。それは2人で分けるタイプの棒アイスだった。


「…蘭ちゃんって」


ぽろりとこぼれ落ちた言葉に蘭ちゃんはこちらを振り向く。


「あ、いや、白鈴さんって…何でVtuberになったんですか?」


僕のその問いかけに蘭ちゃんは僕から視線を外した。


「んー…」


アイスを咀嚼しながら彼女は道路を行き交う車を見ていたが、少し経って僕の目に視線を合わせるようにこちらを見上げる。


「それって白鈴蘭として聞いている?それとも私として?」


「えっ…」


その疑問に僕は目を見開いた。


「分かるよ、"中の人"である私の志望理由を聞いているんだよね。でもね…うーん、何て言うのかな…」


蘭ちゃんは小さな口でアイスを頬張る。それを嚥下すると彼女は再度僕へ向かって口を開いた。


「便宜上『私は白鈴蘭だよ』って自己紹介したし、うちの事務所ではよっぽど親しくない限りライバー同士で本名は名乗り合わない。だから私は白鈴蘭なんだけど…」


彼女の髪が秋風に靡く。


「白鈴蘭はバーチャルの世界に存在している、私であって私じゃない存在なんだよね」


その言葉を聞いて僕は瞬きを繰り返した。

蘭ちゃんはそんな僕を暫く見つめていたが、やがて薄く笑みを浮かべる。


「…ごめんね、分からなくていいよ。私がこの業界に入ったのはね、槙原さん…私のマネージャーさんに声をかけてもらったから」


そして彼女は僕の手元へ目線を移した。


「アイス、落ちそうだよササラくん」


そう言われて視線を下げれば、僕のアイスは今まさにずり落ちてきている最中だった。

急いでアイスを口に含むと、その冷たさに口の中で痺れが広がる。


「…さて!アイスも食べ終わった事だし、戻ろうか」


蘭ちゃんは僕の手からアイスの棒を攫うと自分の物と合わせてゴミ箱へ捨てる。

そのまま歩き出した彼女を追って、僕も足早に歩みを進めた。




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