第4話


真夏の太陽がじりじりと肌を焼く。

垂れていく汗を袖で拭えば、作業服の厚い布地に濃い色の染みが出来た。


「ああ〜…」


暑さのあまり漏れ出る息を吐き出すと、僕は手に持っていた箒を握り直す。

その頭上には[Bright Future]と書かれた看板が日差しを浴びて光っていた。


何人ものタレントを抱える株式会社Bright Future。僕は今、かのビルの清掃員としてその目の前に立っている。


「何でこんな事に…?」


僕は風に飛ばされそうになった帽子を押さえながら思いを馳せた。




















「とにかく関係者になるしかないんじゃない」


とは平石くんの言葉。


「確かにそうでござるな。無関係な第三者という立場で情報収集出来る範囲は限られている」


眼鏡をずり上げながら能田くんが頷いた。


「でも、どうやって…?」


僕は縋るような目で2人を見遣る。


「そのシロスズランって奴が所属している事務所のタレントオーディション受けるとかしたら」


平石くんが無表情でそう言い放ったので僕は後ろへ飛び退り椅子の背もたれにへばりついた。


「無理!無理無理!!」


首を勢いよく左右に振る。

自分の顔から一気に血の気が引いていくのが分かった。


「知らない人の前では殆ど喋れなくなるのにいきなりタレント活動なんて無理だよ!第一、受からないし…」


僕がそう主張すると、能田くんが自身の額にペシリと手を当てた。


「そうでござった…笹崎氏のあがり症は筋金入りでありましたな…」


そう呟きながら能田くんは天井を仰ぐ。その隣で平石くんは何でもないような顔で口を開いた。


「まぁ、そう言うだろうなとは思っていた」


平石くんはテーブル下から自身の携帯端末を取り出す。暫く操作した後、彼は僕の目の前に画面を突きつけた。


「事務に応募。今の職場の仕事内容が事務系の拓也なら勝算はあるでしょ」


「…!」


僕は至近距離で向けられたスマートフォンの画面に目を瞬かせる。そこには[Bright Future 採用情報 サポート事務募集]という文字が踊っていた。


「…一応言っておくけど、今の仕事は辞めない方が良いよ。どうしてもって言うなら休職にしておきな。副業扱いにしてもらうとかやりようはあるだろ」


そう言いながら平石くんは携帯電話をしまう。彼はテーブルに肘をつくと頬杖をついた。


「そのシロスズランっていう奴がどうなろうと拓也の人生は続いていく。馬鹿馬鹿しいだろ、他人の為に自分の人生を棒に振るとか」


平石くんの突き放したような言葉に僕は口を開きかけるが、彼の伏せた目の奥にちらつく憂わしげな光に気がつき言葉を飲み込んだ。


「はっきり言って阿呆らしいと思うよ」


そう吐き捨てるように言った平石くんは頬杖をついたまま僕を見据えた。


「でも、本気みたいだからさ」


彼は真っ直ぐに視線を僕へ向ける。


「平石くん…」


そう呟く僕の視界の端にきらりとした物が映る。

そちらを向くと、能田くんが眼鏡を掛け直している所だった。


「拙者は」


能田くんはそう口を開くや否や僕から目線を外す。眼鏡をカチャカチャ言わせながら彼は早口で捲し立てた。


「世渡りは上手じゃないが、サブカルチャーには詳しい自負がある。だから多少の事なら…頼ってくれても構いませんぞ?」


「能田くん…」


自分で言って照れているのか能田くんの外耳が微かに赤くなっている。

僕は2人からの気持ちに胸がいっぱいになった。


「2人とも、ありがとう」


彼らを交互に見遣りながら僕は満面の笑みを浮かべる。


「僕、Bright Futureの事務職に応募してみるよ!」























「そんな会話をしたにも関わらず…僕、履歴書時点で落とされたんだよね…」


事の顛末を思い返した僕は思わず苦笑した。


(そのあと運良くBright Futureの事務所がある地域のビル清掃アルバイトへ転がり込めたけど、殆どはBright Futureと関係ない場所を掃除している感じだし…)


強い日差しが僕の体に降りかかる。


(いっそこのアルバイトは辞めて事務所の近くに張り込みでもしようかな?)


「あの…」


(いやいや、それはただの不審者でしょ。しかも張り込んでも何か情報は掴めるのか分からないし…)


「あの…!すみません、聴こえていますか…!」


「へぇ!?」


突如耳に飛び込んできた声に僕は間抜けな声を上げながら振り向く。


先程まで誰もいなかった場所。灼けた石畳の上にはいつの間に来たのか女性が1人佇んでいた。

艶やかな短い黒髪の彼女は、僕の様子を見てほっとしたように表情を緩ませる。


「良かった、意識ははっきりしているみたいですね。暑い中でぼんやりしていたから熱中症かもしれないと思って」


そう言われて初めて、その女性は僕の体調を心配して声をかけてくれたのだと気がついた。


「あ、へへ、ありがとうございます…へへへ、すみませんボーッとしていて…へへ…」


曖昧な笑みを顔に貼り付けながらお礼を述べる。滑舌が良いとはお世辞にも言えない僕の言葉を、彼女はちゃんと聞き取ったようだった。


「いえ、そんな。大事ないなら良かったです。ごめんなさい、お仕事中に声をかけてしまって…」


「めっ…めっそうも…ない…です…」


僕がそう応えると、その女性は僕の顔をじっと見上げる。


「あの…何ですか…?」


視線に耐えきれず逃げるように顔を逸らすと、彼女は慌てたように口を開いた。


「不躾に見てしまって申し訳ないです。やっぱり顔が赤いというか、体調が悪いんじゃないかと思って」


そう言うと、彼女はガサガサと自身の鞄から何かを取り出した。


「あの、良ければこちらどうぞ。未開封品ですので」


彼女から差し出された物。

それは自動販売機などによく並んでいるフレーバーウォーターだった。


「えっ…あっ…何で…?」


予想外の事に驚く僕へ、真剣な眼差しをした彼女が言葉を続ける。


「だいぶ汗をかいているし、水分補給した方がいいですよ。お節介かもしれませんが…」


そう言うと彼女はフレーバーウォーターのペットボトルを建物の壁面に沿っている塀の上へ置いた。


「ここに置いておきますから。知らない人間から貰った物を口にするのが気持ち悪ければ無理して飲まなくて大丈夫です。このまま放置してあったらまた私が回収するのであまり気にしないで下さい」


彼女は鞄のファスナーを閉めると顔を上げる。


「出来れば暫くの間、日陰で休む事をお勧めします。それでは」


そう言い残して、その女性はBright Futureの事務所へ入っていく。


僕は何を言うでもなく、呆然とそれを見送った。

入り口の向こう側からうっすらと会話が聞こえて来る。


「あ!ら…!なー、どう…たんだ。めず…しく遅かったじゃん」


「待た…てごめんね、…りちゃん」


「事務…前で誰かと喋って…けど知り合い?」


「そうじゃな…けど、ちょっと」


「ふーん…」


女性らしき2人組の声が遠ざかっていく。

声が聞こえなくなって暫くしてからやっと僕はのろのろと動き出した。

先程の女性が置いて行ったフレーバーウォーターを手に取る。ついさっき買った物なのか、ペットボトルはまだ冷たかった。


(さっきの女性、Bright Futureの関係者だったのか)


ぼけっとしながらそんな事を考える。

僕は暫くそこに立ち尽くしていたが、やがて我に返るとビルの影に移動した。





















それからも僕は清掃のアルバイトを続けて情報収集を試みた。

短い黒髪をしたあの女性の事はあれから遠目に何度か見かけたけれど、だからといってどうという事もなかった。


冬頃に配置換えで違う地区の担当になってしまい、僕は清掃アルバイトを辞めた。


それからはネット等で蘭ちゃんについて調べたり、能田くんや平石くんに協力してもらいながら何か打開策を模索する日々を送った。


焦燥感を覚えながら自分が何をするべきか考える。


(このままじゃ、また…)















そして、あの日になった。
















[2022年7月6日]

『【訃報】当事務所のライバー、白鈴蘭が永眠いたしました』























気がつくと、僕は蘭ちゃんの事務所の前に来ていた。

どうやら無意識にここへ来てしまったらしい。


僕は建物から少し離れた所で蹲った。


(何も変わらなかった)


黒い淀みのような感情が押し寄せる。


(期待していたのか?分かっていたじゃないか、今回も僕は何も出来なかったって)


小さく縮こまり唇を噛み締める。切れた皮から血が滲んで鉄臭い匂いが口の中に広がった。














どれくらいそうしていただろうか。そのままの姿勢で丸まっていた僕の耳に事務所の扉の開く音が聞こえた。


「…でさぁ、これからどうなるのって話でさぁ!」


壮年の男性らしき声が辺りに響き渡る。


「これからどうするんだよホント。自殺なんてさぁ!白鈴さんもえらい事やってくれたよねぇ!」


(…白鈴?)


その単語に僕は顔を上げた。

見ると、事務所の扉から2人の男性が出てくる所だった。


「…さん、声を抑えて下さい。彼女が自死したって事は公にしない方針なんですから、誰かに聞かれたら大変な事になりますよ」


(え…?)


その言葉に頭が真っ白になる。


「ああ、そうだった。でもホントさぁ…何でそんな事しちゃったのかね!?めちゃくちゃだよ」


「言いたい気持ちは分かりますけど、もう事務所の外ですよ。この話はやめましょう」


「分かったよ…。ところでさ、この間の…」


「ああ、…は……だから、……」


男性たちが歩き去っていく。

彼らが完全に見えなくなった後も、僕の身体は彫像のように固まったままだった。




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