第1話
僕の思いなど知る由もなく、透けるように白い肌の上でサラサラとした白い髪を揺らめかせながら彼女は話を続けた。
『そういえばね!この間まりちゃんと遊びに行ったんだけど…あっ、分かる?Bright Future2期生で同期の薔薇園まりちゃん。私のバディなんだ。
待ち合わせの時間になってもまりちゃんが来なくて。
どうしたのかな?と思って電話したらまりちゃん寝坊したみたいで凄く慌てていてね。でも寝起きで声がふにゃふにゃしているから臨場感が全然なくって!』
右肩に垂らした太い三つ編みを揺らしながら画面の中の蘭ちゃんが笑う。
『暫くしてから待ち合わせ場所にまりちゃんがやってきて「遅れて本当にごめん!じゃんけんしてあたしが勝ったら許して欲しい!」とか言うの。
いいよって言ってじゃんけんしたら私がチョキで勝っちゃったんだけど、まりちゃんがいきなり私の手を取ったかと思ったらソッと私の手の形をグーに変えて「あたしの…勝ちだね…?」とか言い出して笑っちゃった』
乳白色のドレスが彼女に合わせて動く。
『そんな事しなくても私は最初から怒っていないのにね。
その後一緒にパイナップルジュース飲みに行ってきた。美味しかったー!
パイナップルのジュースってあんまり飲んだ事なかったけど良かったなー。皆んなにもおすすめ!』
話す彼女をじっと見つめていた僕は、俊敏な動きでキーボードに向き直り猛然とコメント欄に文字を打ち込み始めた。
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蘭ちゃん、君の身に危険が迫っているかもしれない!
最近何かおかしな事は無かった?
このままだと君は…
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そこまでタイピングして我に返る。
(こんなコメントが急に流れてきても不審がられて終わるのが関の山だ)
打ち込みかけた文字列を消去する。
少し考え込んだ後に僕はまたコメントを打ち込み始めた。
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[¥600]
パイナップルジュース美味しそう。
最近他にどんな事したの?
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僕がエンターキーを押すと、他のコメントとは明らかに違う色のついたコメントが投下される。
ハイパーチャット…略してハイチャは、配信をしているライバーに投げ銭を出来る機能だ。
普通のコメントと違って背景色が設定されているので目立つし、ハイパーチャットは配信しているライバーに話題として拾ってもらえる可能性が高まる。
しかしながら、白鈴蘭という人気配信者の枠だけあって僕のハイパーチャットは瞬く間に流れていってしまう。
やはり駄目だったか…と僕は肩を落としたが、画面から僕のコメントが押し出されるという段階になって蘭ちゃんは僕のハイパーチャットに気がついたようだった。
『ハイパーチャットありがとう!
パイナップルジュース本当に美味しかったよ!また行こうねってまりちゃんと言い合っていたくらいだもん。
あとは…えーっと…』
そう言ったきり彼女が沈黙する。
急に黙り込んだ彼女を心配するコメントが流れ始めた頃、蘭ちゃんは微笑んだ。
『えへへ…ごめんね黙っちゃって。
最近はね、Bright Future 2期生の皆んなである企画を進めているよ!
まだ詳しい事は言えないんだけど、近々告知されるはずだから楽しみにしていて欲しいな。
運営さんも力を入れていてね、マネージャーさん達も頑張ってくれていて…』
そこまで話すと、彼女は満面の笑みを浮かべる。
『きっと、すーっごく素敵な企画になる!
私のリスナーである"花屋"の皆んなも、それ以外の人たちも、たくさんの人達が笑顔になれるような企画にしたいと思っているよ』
コメントが俄に活気付く。
新情報に驚く者、喜ぶ者、期待する者…。
そこに彼女の明るい未来を疑う者などいない。
彼女の顔を注視する。
柔らかく微笑む彼女の表情には翳りなど微塵も見当たらない。
…当たり前だ、彼女の姿はあらかじめ作られた物…平たく言えばイラストなのだから。
(でも口調も明るいし、今の時点で蘭ちゃんが何かトラブルに巻き込まれているとかそういう訳ではないのかな…?
そうすると死因として可能性が高いのは交通事故…病気…うーん…?)
僕が考え込んでいるうちにも配信は進んでいく。
最初は難しい事を考えていた僕も時間が経つにつれて久々に見る彼女の配信に夢中となり、気が付けば配信は終わりの時間に近づいていた。
『でね、その時に階段で…
…えっ!?もうこんな時間!?
ごめんね、おそくなっちゃった…そろそろ終わろうかな。この話はまた次回。
今日は来てくれてありがとう!
また会おうね!おつすずー!』
その言葉と共に画面がエンディングへ移り変わる。
僕は彼女のエンドカードを最後まで見届けると詰めていた息を吐いた。
(久しぶりに蘭ちゃんの配信を見た…)
訃報が発表されてから彼女のチャンネルのアーカイブは大部分が非表示となってしまったため、実際に彼女の声を聞くのは久しぶりだった。
(楽しかったな…)
静かになったPCの前で余韻に浸る。
(生きているんだよな。今、蘭ちゃんは生きている)
思い立って携帯電話を起動する。
SNSをチェックすると蘭ちゃんが投稿を更新していた。
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[白鈴蘭]
今日は雑談配信に来てくれてありがとう!
よく休んで疲れを取ってね。
良い夜を!
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「蘭ちゃん…」
投稿を食い入るように見つめる。
彼女の存在を実感し、僕の中に決意が漲った。
部屋の中で1人拳を突き上げる。
「蘭ちゃん、僕頑張る。未来を変えてみせるよ!
蘭ちゃんのいない未来なんて嫌だ!」
彼女のSNSアイコンに向かって叫ぶ。
「大丈夫、蘭ちゃんが亡くなったのはきっと何かの間違いだ!そうだよ、そうに決まっている!」
声に出すとそれが真実のような気がしてきた。
「デビュー当時から蘭ちゃんを追い続けているリスナーの僕に分からないことはない!大船に乗ったつもりで僕に任せて!」
SNSアイコンの中で彼女は静かに微笑んでいる。
僕は携帯電話を机に置くと鼻息荒くPCに向かった。
[2022年7月6日]
『【訃報】当事務所のライバー、白鈴蘭が永眠いたしました』
未来は変わらなかった。
何一つ。
彼女宛に事務所へ手紙を送った。
『健康診断を受けて下さい』
…何も変わらなかった。
彼女と仲がいい配信者の枠でコメントした。
『蘭ちゃんを気にかけて欲しいです』
…何も変わらなかった。
ちょっと勇気を出して、彼女が所属している事務所Bright Future付近をパトロールしてみた。住所は公式サイトに書いてある物を参考にした。
『不審者がいたらこれで撃退できるな!』
…何も変わらなかった。
何も変わらなかった。
『こんすずー!花屋の皆んな元気だった?
Bright Future所属バーチャルライバーでスズランの妖精、白鈴蘭だよー!
昨日すこし予定を話したけど、この枠はゆるく雑談していこうかなって思っているよ。
よろしくね!』
狭い部屋。
切れかけた蛍光灯が点滅し、床にはごちゃごちゃと足の踏み場なく物が散乱している。
「…?」
柔らかく微笑む彼女。
ぼんやりとそれを眺めていた僕はPCの日付を見た。
[2021年7月24日19:03]
何も変わらなかった。
彼女は死んでしまった。
だから、僕は…
「…………………」
時の球を握って…
『そういえばね!この間まりちゃんと遊びに行ったんだけど、待ち合わせの時間になってもまりちゃんが来なくて…
あっ、分かる?Bright Future2期生で同期の薔薇園まりちゃん。私のバディなんだ』
PCの駆動音と彼女の声。
『どうしたのかな?と思って電話したらまりちゃん寝坊したみたいで凄く慌ててね。でも慌てているのに寝起きで声がふにゃふにゃしているから臨場感が全然なくって!』
「………ッ…うっ…」
彼女の存在を実感する。
それと同時に目から熱い物が零れ落ちた。
「…うっ…ううっ…蘭ちゃん、生きてる…蘭ちゃん…うっ…」
どうしようもなくぼろぼろと涙が流れていく。
「何にも出来なかった…ごめん蘭ちゃん…ごめん…」
PCの前で泣き崩れる。
懺悔する僕の前で画面の向こうの彼女はただ笑っていた。
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