第30話 初詣

 おせちを食べた。お雑煮も食べた。お雑煮は透明の出汁で、白菜と人参と丸餅と鶏肉と豆もやしが入っていた。都築は正月を満喫していた。


「かぐやちゃん、初詣に行こう」


 暁に誘われ、近くの神社に初詣に行くことにした。旅館のチェックアウトが終わり、暁も忙しさから開放された昼ごろ。2人は昨年の破魔矢とお守りを持って、出かけていった。


 目の前を、振り袖姿の女子グループが横切っていった。都築は暁の袖を引っ張った。


「神社、あっちじゃないのか?」


 振り袖女子グループの行く先に人の列が出来ている。みんな初詣に行くのじゃないだろうか。


「あっちに大きな神社があるんだ。でもうちは、昔からこっちの神社」


 暁が指差す方を見れば、そちらにも疎らながらに人がいる。


「そうか」


 ならば若槻家のしきたりに従おう。都築は黙ってついていった。


 その神社にも人は多かった。屋台が並び、駐車スペースは1台出ては1台入るの繰り返し。もういっぱい、入らない。こっちの神社でこの有様なら、あっちの大きな神社とやらは今頃どうなっているのやら。都築の考えを見透かしたように暁が笑った。


「こっちで正解だったでしょ」


 混み具合もそうだが、都築はこっちの神社を気に入った。参道の両脇には大きな杉がまっすぐ立ち並び、参拝者を厳かな気持ちにさせた。どれもこれも樹齢200年以上、御神木に至っては400年以上らしい。暁が言うには、昔はもっと大きな杉もあったとのこと。雷に打たれて燃えてしまったらしいが。


 2人は参道の列に加わり、手を清め、賽銭を投げ入れ、願い事をした。暁は随分長く願っていた。その姿に和んだ。


 古いお守りや札を返納し、新しいお守りを授かりにいく。暁は女将からたくさん頼まれていたらしい。両手から零れ落ちそうになっていた。もちろん御神籤も引いた。久しぶりの大吉に、当たるわけないと思いつつ、やっぱり嬉しいものは嬉しい。


 暁との初詣はあっという間に終わってしまった。参道の階段を下りながら、都築はずっとタイミングを考えていた。


 思えば、昨年の4月、都築はこの街にやってきたのだ。まったく縁もゆかりもないこの土地を選んだのは偶然だった。だけど、今思えば運命だったのかもしれない。暁と出会っていろいろあった。この街のいろんなことを暁が教えてくれた。


 好きになった。


 この街のことも、何もかも。本当に楽しい1年だった。


 赤い鳥居をくぐり抜けた。初詣はおしまいだ。今日は元日。今日から新たな1年が始まる。新しいことを始めるには最高の日。新しい関係を築くには最高の日。


「若槻くん」


 呼ばれて、嬉しそうに振り返る暁の笑顔が、堪らなく眩しい。


「実は、言わなきゃいけないことがある」

「なになに?」


 暁は屋台のイカ焼きを見ていた。きっとまだ都築と初詣をしているつもりなのだろう。都築は黙って見ていた。ようやく暁も都築の様子がいつもと違うことに気がついた。


「何。改まって」


 暁がまっすぐ都築を見つめてくる。都築もまっすぐ見つめ返した。もう目は逸らさない。今朝、覚悟を決めたのだ。


「若槻くんは、帝じゃない」


 暁は少し面食らったようだった。まさか都築の方から夢の話をされるとは思っていなかったのだろう。暁はしばらく都築の様子を伺っていたが、冗談めかして首を傾げた。


「じゃあ誰? もしかして…翁とか? ていうか、かぐやちゃんなら知ってるの?」

「知ってる」

「なんで」

「俺も同じ夢を見ていたから。俺は、若槻くんの言うとおり、かぐや姫だよ」


 その瞬間、暁が固まるのが分かった。嬉しさと困惑が混ざったような顔をして、色素の薄い両目を大きく見開いている。


「え、いつから?」

「初めて見たのは小学生のころかな」


 暁に出会う前から、都築はとっくに自分の前世がかぐや姫だと知っていた。


 みんながみんな前世の記憶を持っているわけじゃない。小さい頃はそれが分からなかった。これは普通ではないと気が付いたのは、随分後になってからだ。当然、周りからは気味悪がられた。嘘つきで妙にませた子ども。それが子どものころの都築に対する大人たちからの評価だ。


「じゃあ、なんで、黙ってたの」


 暁の目は責めていた。いや、悲しんでいた。都築は目をそらしたくなった。だけど、まっすぐ見続けた。


「怖かったんだ」


 4月に、初めて教室に足を踏み入れたときの、窓辺で微睡む暁を見つけたときの、あの瞬間の都築の気持ちが分かるだろうか。

 横顔を見た瞬間、すぐに分かった。電流が走った。夢の中でかぐや姫が愛した男だ。来世にまで、その想いを激しく燃やさせる、あの男だ。泣くのは我慢した。嘘だ。実は、少し、泣いた。


 そして、体が震えるほどの喜びのあとに、叫びだしたくなるほどの恐怖が、都築の胸に押し寄せてきた。


 声が震える。


「若槻くんが見ていない夢がある」


 それを見たのは高校生のときだった。夢を見るたび前世の時は進んでいた。かぐやと男と金色の日常。夢の中のかぐやの気持ちは都築にも共有された。かぐやが男を愛し始めていることには、嫌でも気が付かされた。男が現れるたびにかぐやの心が踊るのだ。都築は夢を見るのが楽しみになっていた。だけど、あの日以来、夢を見るのが怖くなった。


 結果として、都築はあの夢を繰り返し見ることになった。悪夢だった。朝、泣き叫びながら目が覚める。だけど、人は薄情なもので、そのうち慣れるのだ。心を殺せば、慣れるのだ。


「若槻くんの夢に、月は出てきたか?」


 暁は都築の質問の真意を図りかねているようだった。眉間にシワを寄せ、心細そうに返事を寄越した。


「2人は空を見上げてた。だから、一緒に月を見ていたんじゃ…」

「月なんて無かっただろ」

「…どういう意味」

「あるわけないだろ。だって、あそこがなんだから」


 都築と暁が見ていた前世の夢。あれは、かぐや姫が地球に来る前の夢だ。だから、暁が帝なわけがない。当然、翁でも石作皇子いしつくりのみこでも庫持皇子くらもちのみこでも、その他の公達の誰かでもない。そして、かぐや姫が地球にやってきた理由。それは、罪を償うためなのだ。


 これ以上、本当は言いたくない。だけど、言わなくちゃならない。暁を解放してあげなければならない。自分を奮い立たせるように、拳を握ると、語気が荒ぶった。


「おまえの前世は、月の敵国のスパイだ。かぐや姫は愛してはならない人を愛してしまった」

「だから…地球に降ろされた?」


 そう。だけど、そうじゃない。


「だから、地球に降ろされるだけで済んだんだ。だって…殺したから。愛した人を、自分の手で」


 その瞬間、暁の顔が歪んだ。握った拳が震えている。


「嘘だ」


 怒っている暁を見て、都築は却って冷静になった。


「嘘じゃない。俺は見た」


 ―かぐや姫、愛している―


 銀色の砂の上で、愛を囁いた男を、かぐや姫は刺し殺した。死ぬ間際の男の顔は穏やかだった。少しの恨みも見せなかった。きっと、かぐや姫に殺されると分かっていたのだろう。赤い血が銀色の砂に染みて、どす黒い塊になっていく。かぐや姫は微動だにしなかった。涙1つ零さなかった。


 あの日、2人は月からの逃避行を企てていた。首尾よく屋敷から逃げ出したものの、すぐに月の兵たちは、かぐや姫が連れ出されたことに気がついた。追っ手から逃げ切るのは、とても不可能だった。だから、かぐや姫は男を裏切ったのだ。自分だけ罪を軽くしようとして。


 それなのに――


 その夢は、都築に感じたことのないような悲しみを与える。暁を一目見ただけで、胸を焦がすような恋しさを募らせさせる。


 かぐや姫とは、なんて性悪女なのだろう。


 暁は混乱しているようだった。「でも」「だって」「そんな」を行ったり来たり繰り返している。


 都築と出会って、暁の夢は少しずつ都築の夢に近づいていた。どっちにしろ、遅かれ早かれ、暁は夢を見たのだ。だから、結局、無理だったのだ。


 それでも、暁との楽しい時間を、少しでも長引かせようとした自分の浅ましさは、やはりかぐや姫譲りなのかもしれない。


「今まで黙ってて悪かった。俺だって嫌われるのが怖かったんだ」


 都築は暁に背を向けて歩き出した。神社の拝殿で都築は神に願っていた。


 ―暁が、これからずっと、幸せに暮らしていけますように―


 そのためにはまず、かぐや姫の呪いから暁を解放してあげる必要があったのだ。

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