第28話 帰路
結論から言うと、暁はカルタの公式戦D級の部を優勝した。
夜中まで都築の介護をさせられ、火照った体を冷ますように、うすら寒い広縁に布団を敷き、ようやく眠りにつけたのは明け方だった。おかげで体調はすこぶる不良。
それでも、暁は優勝してみせた。対戦相手が可哀想になるくらいの気迫を見せつけて。圧勝である。
「だって、勝たなきゃ、かぐやちゃん土下座し続けるでしょ?」
助手席の暁は、あくびを噛み殺しながら言った。
「すみません…」
「だから、謝んないでってばー」
都築は今日一日謝り続けている。この旅行の目的は、暁を大会に引率することだった。決して、生徒を誘惑することではない。これでは、ただの淫乱鬼畜教師である。その上、試合を控えた暁をサポートするどころか、逆に気遣われ、あれやこれやと世話される始末。これでは、ただの要介護淫乱鬼畜教師である。都築はハンドルをきつく握りしめ、歯ぎしりした。
暁がスマホの画面に視線を落とした。
「篠原さんからメッセ来た」
「あいつ嫌いだ!」
篠原! 元はと言えば、あいつのせいだ。あいつにさえ出会わなければ、昨夜、あんな失態を犯すことは無かったのだ。そしたら、これまでどおり何食わぬ顔で、都築と暁は教師と生徒として程よい距離感で過ごしていけたのに。
それはそれとして、ふと疑問が湧いた。
「いつの間に連絡先交換した?」
「試合終わって札を返しに行ったときに、見つかって声掛けられた。その時に交換しようって」
「消せ消せ、縁起でもない」
「今度、篠原さんとこと、うちのカルタ部で練習試合しようってさ。遠いけど来てくれるのかな」
「俺に連絡してこい!」
どうして暁に連絡するんだ。相変わらず思考回路トリッキー野郎め。舌打ちしそうになるのをなんとか止めて、ため息で勘弁してやる。ちらりと見た暁は楽しそうに返信していた。
「そもそも、篠原のこと苦手じゃなかったっけ?」
納得行かずそう問うと、暁がはっとした顔で振り向いた。半開きの唇に、昨夜のことが頭を過り、都築は慌てて前に向き直った。安全運転最優先。暁はスマホを持った手を膝の上に投げ出すようにした。
「苦手…っていうか…いけ好かない…っていうか…でも、今は、結構好きだよ。だって、篠原さんのおかげだし」
「何が」と聞き返そうとして、途中で察した。暁は窓の外を見ていた。窓に映る暁の顔が、行きよりも大人びて見えるのは気のせいだろうか。外を見たまま、暁は口を開いた。
「オレさ、帝だったんだと思う」
帝。それは、竹取物語に出てくる最後の求婚者。都築は黙って先を促した。
「夢の中で、オレたちはたしかに、愛し合っていたんだ。かぐや姫は5人の公達には無理難題を言って困らせてた。それは、5人のうちの誰のものにもなりたくなかったからじゃない?」
「無理難題…ね」
「だけど、帝にはそんな無茶言わなかった」
都築はおもいっきり眉間にシワを寄せた。
「帝って偉いからな。翁に迷惑をかけたくなかったんだ、たぶん」
「最初はそうかもだけど、何度も何度も迫られて、最後はかぐや姫も絆されてた」
「そうかなぁ」
「そうだよ。かぐや姫は別れの時に、不死の薬と歌を帝に贈ったでしょ。『天衣を着るときになって、あなたのことを慕わしく思い出している』って」
「よく勉強しているな」
都築は素直に感心した。かぐや姫が別れ際、帝に贈った歌の意味まで理解しているとは。褒められて嬉しかったのか、暁は少し口元を緩めた。
「帝のさ、何度断られても諦めずにアタックし続けたところ。めちゃめちゃ親近感湧くんだよね。オレ、絶対帝だったよ」
「…そこは、似ているかもしれない」
誰にとは言わなかった。暁の声は弾んでいる。
「オレたち、前世では結ばれなかったけど、今なら…! だって、かぐや姫はもう月に帰らなくて良いんだ…。オレたちにはもう、愛し合えない理由なんて何もないんだよ」
「あるよ」
あるよ。理由はたくさんある。2人が一緒になるのは無理だ。どうしたって無理なのだ。そして、去るのは暁の方なのだ。都築の元から、暁は、きっといなくなってしまう。
ならばせめて、このままでいさせてほしい。そう願うことさえ、都築には許されないのだろうか。
都築の否定に暁は明らかにムッとしていた。口調もいつもより刺々しい。
「ないよ。男同士で恋人だって、別に隠すようなことじゃないし、オレだってあと1年ちょっとで高校卒業する。そしたらもう、オレは生徒じゃない。1人の大人の男だ」
本来ならば「そうじゃない」と言わなければならないのだろう。しかし、都築はその言葉を黙って呑み込んだ。言わなければ、もう少しこのままでいられるのかもしれない。結局、いつだって、自分はずるい。こういう時、都築は自分自身を激しく罵りたくなる。
突然の振動音。車内の沈黙を破ったのはスマホの着信だった。
「お袋だ…ごめん、出るね」
女将と話す暁は普段よりも素っ気なかった。まるで急に反抗期がやってきたみたい。暁はしばらく相槌を打っていたが、「分かった」と言ったきり、スマホをスピーカーにして、都築に聞こえるようにした。
「お袋が、かぐやちゃんに話あるって」
何の話だろうと、不思議に思いながら、注意を少しスマホに傾ける。昨日ぶりの女将の声が溌剌と聞こえてきた。
「かぐや先生、昨日、今日と息子がお世話になりまして、ありがとうございました」
都築は思わずむせた。お世話されていたのは自分の方だとはとても言えなかった。昨夜のことは門外不出。絶対に誰にもバレてはいけない。都築は咳払いをして、平静を装った。
「今、帰っているところです。あと2時間くらいで着くかと…何かありましたか?」
「えぇ。今回のお礼がしたいと思いまして」
お礼? 都築はとっさに頭を振った。
「いえいえそんな。こちらが好きでしたことですから」
そう、好きでしたことだ。鹿音に半ば脅されて。もちろん、それは言わないでおく。
女将の遠慮がちな声が問いかけてきた。
「お礼と言ってもそんなに大したものじゃないの。先生は、年末年始帰省されるのかしら?」
お盆同様、都築は年末年始も地元に帰るつもりがなかった。あの家にいると息が詰まる。気を遣うのだ。お互いに。それなら、1人で年越しするほうが断然良かった。
そんな家庭事情をわざわざ伝える必要はないので、ごく短く返事する。
「いえ、帰りません」
その瞬間、電話越しに手を叩く音が聞こえてきた。女将の声は嬉しそうだ。
「それなら、年末年始、『月見荘』にご招待させて下さらない? 一泊2日食事付き。それが今回のお礼です」
「え? いやいや、本当に気にしなくていいですから…」
さすがにそれは申し訳ない。断る都築に、電話越しでも有無を言わせぬ押しの強さで、女将がトドメを刺しに来る。
「目には目を、旅館には旅館を、ですから」
「それ復讐法…」
こうして、都築の年末年始のスケジュールは図らずも決まってしまった。
電話を切ったあと、暁は静かに呟いた。
「かぐやちゃんとの年越し。嬉しいな」
「その割には、あんまり嬉しくなさそうだけど」
暁は浮かない顔をしている。それはそれで面白くない自分がいる。突き放したり、引き留めたり。我ながらなんてわがままなのだ。己の欲深さに辟易する。
暁は拗ねたように唇を尖らせていた。
「嬉しいけど、他のお客さんもいるし、二人っきりにはなれないから。それに―」
大きなため息が車内に響く。
「お袋の声聞いたら…なんだか…子どもに戻ったみたいで…嫌だった…」
信号は赤だ。暁を振り返る。つい意地悪したくなったのだ。
「若槻くんは、子どもだろ」
「すぐに大人になる。ほとんど大人みたいなもんだよ」
「でも、まだ子どもだ」
言われてむくれる暁の横顔はすっかり子どもじみている。信号が青に変わった。都築はゆっくりアクセルを踏み、発進させた。
向かうは、知り合いばかりの寂れた温泉街。そして、暁の母親、女将の待つ月見荘――
こうしている間にも、刻一刻と暁は生徒へ、子どもへ、戻っていく。都築にとって、それは名残惜しくもあり、心安らかでもあった。
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