第26話 プレゼント

 そこはいわゆる創作料理屋だった。和洋中なんでもメニューにある。もちろん地の物も取り揃えている。観光客にはうってつけ。余所から移ってきた年若い夫婦が切り盛りする感じの良い店だった。


 夕食にはまだ早いからか、店内にはそれほど人は多くはなかった。ちらほらまばらな客模様。人口密度を気にしながら案内された4人掛けのボックス席で、暁と2人、メニュー表を覗き込んでいると、突然肩に腕を回された。


「よっ、都築じゃん!」

「…篠原っ!?」

「うぇーい。てか、払うなよ」


 篠原は大学時代の知り合いだ。触れられた肩を無意識に払っていたようで、笑いながら睨まれた。いやいや、そんなことよりも。


「なんで篠原がここに?」


 篠原はどこぞの商社に就職が決まったと聞いていた。ここへは飛行機の距離である。篠原は最初からそこが自分の席だったかのような雰囲気で、隣にどかっと座ってきた。


「明日、この近くでカルタの公式戦があるのよ。教え子たちが出るから引率兼応援。で、そっちは?」


 そう言って、篠原は無遠慮に都築と暁を指差した。しかし、途中で疑問が湧いたらしい。篠原の視線がまっすぐ暁を捉えていた。


「きみ…もしかしてだけど…都築の…」


 篠原は指先を唇につけ、考える人のポーズで固まり、そして、パチンと指を鳴らした。


「弟!」

「違います」


 暁にしては素っ気ない返答ぶり。居酒屋での経験からか、基本的に誰とでも上手くやる暁だが、篠原のことはなぜか苦手そうに見えた。たしかに篠原は癖が強い。都築は篠原の注意を自分に戻させた。


「俺に男兄弟はいない。いるのは姉だ」

「だっけ? 都築、秘密主義だから分かんなくなっちゃったよ」


 別に、そんな主義ではない。多くを語る必要性を感じないだけである。


「彼は、若槻くん。俺の高校の生徒で、俺が顧問をしているカルタ部の部員」

「てことは、明日、若槻少年も試合に出るってこと? え、何級何級? オレの教え子と当たるかな」

「D級だ」

「じゃあ、当たんねぇわ。B級とC級しかいねぇわ」


 途端に興味のなくなる篠原。「うちの暁はB級にも引けを取らないD級ですけど?」と言ってやりたいのをぐっと堪え、新たな質問を投下する。


「そもそも、教え子ってなんだ? おまえ、商社務めじゃなかったか?」

「そうよ。仕事終わりに近くの学校で外部コーチ引き受けてんの。オレが教えてから、めきめき上達してさ。自分の才能が怖いわ」

「かぐやちゃんだって教えるの上手い…です」


 暁が割り込んできた。急にそんなことを言われると気恥ずかしい。篠原はキョトンとしていた。


「カグヤチャン…?」

「それに、かぐやちゃんの詠み、オレはすごく好き…です」

「カグヤチャン…」


 篠原がゆっくりとこちらを振り向いた。顔をぷいっと背けると、豪快な笑い声が聞こえてくる。


「都築、ちゃんと先生してるじゃん。安心したわー」

「当たり前だ―おい、ここで吸うなよ」


 篠原の手には電子タバコが握られている。


「この店、電子タバコ可ですけど?」

「この席は不可だ。俺の目の黒いうちは」


 都築は自分ではタバコを吸わないが、別に毛嫌いしているわけではない。吸いたい奴は勝手に吸えばいいと思っている。だけど、今は、暁がいるのだ。


 篠原はわざとらしく「ちぇっ」と言いつつも席を立ち、


「オレ、ビール。あとは適当に頼んどいて」


 と言い残し、外へ出ていった。


 篠原はどうやら一緒に食べるつもりらしい。メニュー表をめくる暁に、


「あいつ…篠原、大学のサークルの同期なんだ。一緒でも大丈夫か?」


 と聞くと、


「うん。全然大丈夫だよ」


 と微笑んだのでほっとした。篠原は第一印象こそ好き嫌いが別れるタイプとはいえ、付き合ってみれば案外良い奴だ。雰囲気は全く違うが、芯の通ったところや、人から可愛がられるところなんかは、暁と似ているかもしれない。


「悪いな。あいつ、あんな感じだけど、根は良い奴なんだよ。意外と」


 せっかくの食事だ。嫌な奴と同席するより、嫌じゃない奴と一緒のほうが、気分も良いだろう。そう思っての篠原のフォロー。


「かぐやちゃんがなんで謝るの? おっ、唐揚げうまそう。頼んでいい?」


 暁の反応は微妙だった。似ているなんて言わなくて良かった。


 ♢


「そういえば、ユカさん、結婚したらしい」


 新鮮な刺身盛りに舌鼓を打ちながら、篠原が言った。その名前にどきっとした。何食わぬ顔で無視しようと思ったのに、暁が拾ってしまった。


「ユカさんって誰ですか?」


「サークルの先輩」と答える前に、篠原が都築に親指を向けた。


「都築の元カノ」


 なんでわざわざ言うんだ。テーブルの下で篠原の足を踏みつける。


「痛っ。何すんの」

「悪い。足が滑った」

「しょうがない。写真を見せてやろう」

「は? 何の」


 怪訝に思い、嫌な予感がした時にはもう遅かった。篠原はスマホをテーブルの真ん中に差し出した。写っているのは幸せそうな笑顔を向ける新郎新婦。純白のドレスに身を包むのは、紛れもなくサークルの先輩で、元カノのユカさんだった。


 暁が唐揚げを頬張る手をぴたっと止めた。視線は画面に降り注がれている。


「きれいな人ですね」

「サークルいちの美人さんだったかんね」


 篠原がえっへんと腰に手をやる。どうして篠原が偉そうなのか。かと言って、都築が偉ぶるのもおかしいが。


 篠原はスマホの画面を都築に向けた。ユカさんの懐かしい笑顔がこちらを見ている。


「写真送ろっか?」

「いいよ」

「あそ」


 しばし、沈黙が訪れる。篠原が箸を持ったまま肘をつき、ふっと笑った。


「良かったな。オレからのクリスマスプレゼントだ」

「どういう意味だ」


 篠原は人より頭の回転が速い。だから、よく過程をすっ飛ばす。みんながみんな篠原と同じ回転数の脳みそを持っていない。そのことをいつまでも理解しない篠原は案外頭が悪いのかもしれない。


 篠原はアスパラベーコン巻きを頬張ると、恍惚の表情を浮かべていた。そして、もぐもぐと喋りだす。


「だって都築、ユカさんに罪悪感持ってただろ。好きじゃないのに付き合って、傷つけたって」

「はぁ? ちゃんと…好きだった」

って何よ。てか、別に責めてるんじゃない。ユカさんだって責めてなかった」

「…意味が分からない」

「分かんなくて良いよ。振ったのはユカさんだけど、振らせたのは都築だ。おまえはそれを気に病んでた」

「もういい、黙れ。黙って、飲め、食え」


 これ以上、篠原の話を聞くつもりにはなれなかった。気を利かせた暁が存在感を限りなく消している。都築は篠原を横目で睨みつけた。いつもみたいに楽しい話だけしてくれればいいものを。


 篠原は不穏な空気を察したらしい。きまり悪そうに肩をすくめると、鶏の炭火焼きをつつきながら、軽くため息をついた。


「オレは都築が好きなんだよ」

「は?」

「え?」


 都築と暁が同時に声を上げる。篠原は柚子胡椒の辛さに痺れていた。身悶えながら、話を続ける。


「都築ってさ、クール振ってるけど、ほんとは存外情に厚いよ。みんな気づいてないけど」

「オレはとっくに気づいてる」


 暁の挑戦的な目が篠原をまっすぐ捉えた。その視線の力強さに都築はドキッとさせられた。篠原は怯み、背筋を正している。


 都築は2人を混ぜるんじゃなかったと後悔した。どうやら相性が宜しくない。主に、暁が仕掛けているが、きっと悪いのは篠原だ。そういうものだ。


 話題を逸らそうと口を開きかけたとき、背中をバシバシ叩かれて思わずむせた。篠原が嬉しそうに笑って、こちらを見ている。


「随分慕われてんな! なんか、少し安心したわ」

「叩くな」


 睨むと、今度は背中を擦りだした。


「オレさぁ、都築のこと少し心配してたんよ。だって、都築、誤解されやすいタイプの人間だから」

「擦るな」


 再び睨むと、篠原は菩薩のような笑みを浮かべて、今度は肩を揉みだした。都築は篠原をコントロールすることをもう諦めた。


「ほんとは熱血漢なのに、冷血漢だと思われて、生徒に煙たがられてたらどうしようかと思ってたの! 都築のことだから、思いつめるだろうなって……ユカさんもそれを心配してた」

「…」

「だから、良かったな。今、ユカさんは世界で一番幸せだ」


 ユカさんとの2年間が蘇る。桜並木を並んで歩き、夏の海岸で夕日を眺め、秋にはぶどう狩りで食べ過ぎた彼女に和み、雪降る窓辺でキスをした。


 記憶の中の彼女はいつも穏やかな笑顔を浮かべていた。都築に別れを告げたあの日以外。最後に見た彼女の顔は泣き顔だ。そこで止まっていた記憶が、今塗り替えられようとしている。


 写真の中の、純白の花嫁はとても美しく、とても幸せそうだ。


「ユカさんが幸せで嬉しい。本当に嬉しい。ありがとう…」

「どういたしまして」


 泣くのは嫌だった。自分にそんな権利はない。やっぱり、そうは思ってしまう。それでも、心の中で長年凝っていた何かが、じんわりと、だが、確実に解されていく実感がある。


 暁がおずおずと口を開いた。


「オレからも…ありがとうございます」


 なぜだか暁は篠原に頭を下げている。都築は思わず笑ってしまった。


「なんで、おまえが感謝するんだ」

「どういたましてー」

「なんで、おまえも受け取るんだ」


 それからしばらく、3人は楽しいひと時を共に過ごした。暁と篠原はすっかり打ち解けた。都築はそれもこれも何もかも嬉しかった。だから、少し飲みすぎた。

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