第24話 抽選会

 秋は去った。そして、あまりにも早い冬がやって来た。「年々、春と秋が減って、夏と冬が増えているなぁ」と誰もが思うことを人並みに思う今日この頃。分厚い雲に覆われた空の下、都築は昼に食べたカツカレーの腹ごなしに、近所の商店街を散策していた。


 商店街といっても、この街のそれは大したものではない。色褪せ、年季の入った「銀天街」のアーチを抜けると、アーケードもない「蓬莱通り」が続いていく。背の低い建物がスナック、スナック、小料理屋、対面は八百屋、スナック、スナック…といった感じで建ち並び、今は昼間なので半分くらいはまだ閉まっている。


 あまりオシャレとはいえないイルミネーションは、そのなんちゃって商店街の有志で飾られたもので、夜になればビカビカと主張激しく光り輝く。店先からは定番のクリスマスソングが漏れ聞こえ、冬のビッグイベントで「稼げるだけ稼いだるっ」という商魂の逞しさを感じさせた。


「カグヤちゃーん!」


 聞き馴染みのある馴れ馴れしい呼び声。振り返ると、吉良キララがぶんぶん手を振っている。彼女の横にはメイドの石榴がいて、相変わらず淡々としている。都築と目が合うなり、礼儀正しく頭を下げた。


「お買い物…ですか?」


 近づいてきた2人にそう問いかけたが、すぐに聞くまでも無かったと気がついた。石榴の両手には、もはや中身のはみ出しているビニール袋がぶら下がっていたからだ。


「こういう所でもお買い物するんですね」


 意外だった。大富豪吉良家のことだ。てっきり、海外から高給な食材や日用品を取り寄せているものとばかり思っていたのだが。


 石榴が手のひらに食い込むビニール袋を持ち直した。そして、なぜか鼻で笑われた。


「この街はキララ様に選ばれた街。さすがはキララ様と言わざるを得ませんが、この街には吉良家に相応しいものがたくさんあります。値段や産地でしか、価値を測れない方々が、残念ながらこの世にはたくさんいらっしゃることも十分承知しておりますが」


 吉良家至上主義ここに極まれり。石榴の丁寧な嫌味に都築が苦笑していると、キララが自分にも構ってとばかりにぴょんぴょん飛び跳ねた。


「それに、チューセンできるよ!」

「ちゅーせん? あぁ、抽選」


 商店街の店先に飾られたのぼり旗に「年末大抽選会」の文字がでかでかと踊っている。2千円以上の買い物につき1枚貰える抽選券。それを5枚集めると、商店街真ん中の抽選会場で、ガラガラを一回、回すことできる。よくある抽選会である。


「これ、あたった!」


 そう言って、キララがくるりと背を向けた。背中にはキララと変わらないくらいの大きさのうさぎのぬいぐるみが運搬ベルトで縛られている。


「ラスト1回で引き当てるとは、さすがはキララ様。うさぎ様も吉良家の一員になれて晴れがましいことでしょう」


 とっさに、都築は財布の中を覗き込んだ。思ったとおり、黄色い紙きれが入っている。


「抽選券1枚あった。あげるよ」


 どうせ都築は、あと4枚集めなければ抽選出来ない。8千円分何かを買えば良いのだが、そうまでしてガラガラを回したいとも思わない。


 ほら、と抽選券を差し出すと、キララの空色の瞳がキラキラ輝いた。見れば、体もウズウズしている。「あ、マズい」と思った時には時すでに遅し。都築はキララに抱きつかれていた。


 その瞬間、石榴の悲鳴が商店街にこだまする。


「キララ様!! そのようなハレンチお止めください!! あなたも何ボサッと突っ立ってるんですか!」


 両手のビニールをがしゃんと振り落とし、石榴が都築とキララの間に割って入る。傍から見れば女2人による都築の取り合いにしか見えない。


 なんとかキララを引き剥がした石榴は、しょんぼりするキララに、その場でこんこんと説教を始めた。


「キララ様、いつも言っておりますが、キララ様の魅力はご自分が思っているよりも凄まじいのですよ! こんな男、イチコロなんですから!」


 石榴の荷物を拾っていた都築は、思わず手を滑らしそうになった。黙って聞いていれば言いたい放題。石榴の都築への印象は初めて会った時から、あまり良くない。別に、石榴に嫌われているとして、困ることはないのだが、それにしても、ここまで言われっぱなしは癪に障る。たまにやり返すくらい、別に良いだろう。


「いやいや、私にも選ぶ権利がありますからね」

「何ですって」


 都築から荷物を受け取ろうと、伸ばされた石榴の手を躱す。腹立たしそうにこちらを見上げる石榴に、都築は渾身の微笑をお見舞いした。


「ご自宅までお持ちしましょうか」

「うわ、眩しっ。け、結構です!」


 キララはたしかに美人だが、都築だって負けてはいない。この笑顔に心揺さぶられない人間などそうはいないのだ。今にも腰砕けになりそうな石榴を見下ろし、ブラック都築は心の中で勝利のガッツポーズを決めた。


 突然、手から重みがふわっと消えた。キララが都築の手から荷物を受け取っていた。


「ザクロ、カグヤちゃんはキョウちゃんのハニーなの!」

「キョウちゃん…若槻暁…のハニー?」


 一瞬、石榴の目が見開かれた。探るような視線でこちらを見ている。誤解だ、誤解! 都築は慌てて否定した。


「違います! ただの教師と生徒です! だよな、な?!」


 不思議なもので、慌てれば慌てるほど怪しくなってしまうのはどうしてだろう。早く否定してくれとキララに懇願の視線を送る。キララはニコニコ笑顔を向けてきた。違う、そうじゃない。ぶんぶん頭を振ると、キララは面白くなそうに唇を尖らせた。


「まだ、キョウちゃんのカタオモイなの?」

「まだっていうか、若槻くんだって、別に…」


 都築はそれ以上言うのを止めた。暁は都築を好きだ。それは、本人からはっきりと言われている。だけど、その気持ちを他人の石榴に知られることは暁にとってマイナスなのではないだろうか。一瞬そう思ったから、とっさに誤魔化そうとしたのだが、果たしてそれで良いのか途中で分からなくなった。


 暁の思いは純粋だ。混ざりけのない、何の見返りも求めない、純粋な「好き」という気持ち。あんなに真っ直ぐぶつけてくれたその気持ちを、いとも簡単に嘘で誤魔化していいものだろうか。それは、暁に対して、あまりにも失礼なことじゃないだろうか。


 石榴の興味はキララの両手に移っていた。ビニール袋で塞がれた主の両手にようやく気付き、切腹ものの失態をしでかした時の焦り具合で、素早くキララから分捕った。石榴は鼻息荒くしながら、こちらに向き直った。


「正直、他人の恋愛事情など興味ございません。ですが、若槻様と都築先生の恋路なら別ですね」


 石榴の都築を見る視線は鋭かった。それは、教師と生徒という禁断の恋愛に対しての怒りだろうか。はたまた、男同士の恋愛への偏見だろうか。そんなものに大切なお嬢様を近づけたくないという嫌悪か。


 だとして、そんなこと赤の他人にどうこう言われる筋合いはない。これは、自分と暁、2人の問題。そんな思いがふつふつと湧いてくる。自分のことは何を言われても良い。だけど、暁のことを悪く言われたら腹が立つ。そんな思いがふつふつと。


 次に浴びせられるのはどんな罵詈雑言か。構える都築の耳に、石榴の興奮した声が聞こえてきた。


「その恋路、是非成就させましょう!」

「は?」


 予想外の言葉に面食らう都築に構うことなく、石榴は早口でまくし立てている。


「お二人が結ばれる。すなわち! キララ様への脅威が一度に二つも取り除かれる! なんてありがたい話でしょう。正直、若槻様には手を焼いておりました。あの方は人たらしです。本人に自覚がないからまた質が悪い。きっと無意識に女を泣かせるタイプ。そんな若槻様をキララ様が万一好きになってしまったら…それに、都築先生も魔性です。こちらは

本人に自覚があるだけに恐ろしい。純粋なキララ様が落とされないとも限らない…」

「いやだから、こちらにも選ぶ権利が…」


 都築の言葉は無視された。石榴の弁舌は止まらない。


「実のところ、最初はこの街のことを舐めておりました。しかしなんですか! 湧き出る温泉、新鮮で美味しい食材、顔の良い男ども! あまりにもポテンシャルが高すぎる。今まで世間から見つからなかったのが不思議なくらいです。さすがはキララ様の選んだ街」

「ザクロもここがスキってことね♪」

「はい!」


 石榴は言いたいことを言い切ったらしい。呆然と立ち尽くす都築に、意味ありげに視線を寄越してくる。


「都築先生、吉良家侍従一同、全力でお二人の恋を応援します。愛の逃避行の際は、是非ご相談ください」

「はぁ…」

「カグヤちゃん、チューセンカイたのしんでね!」


 キララが自身の脇腹あたりを叩き、さよならの手を振った。2人はそのまま都築に背を向け去っていく。キララが指していたあたり、コートのポケットに手を入れると、黄色い抽選券が3枚入っていた。こうして、都築の手元には4枚の抽選券が集まった。


 ♢


(「貰ったからには、やらなきゃだよなぁ」)


 都築は店の中を遠目に覗きながら、何を買おうか考えていた。特に欲しいものなど何もない。食材も買いだめするには限界があるし、抽選会のために欲しくもないものを取り敢えず買うのもなんだかもったいない。


 物欲がないとこういうときに困る。抽選会場に向かって歩きながら、品定めをしていると、赤と緑の包装紙がやたらと目についた。


(「にじゃなくてにか」)


 そうか、その手があった。そう思ったときに真っ先に浮かんだが暁の顔だったのは、とても納得行かない。


 勝手に思いだして、勝手にムスッとしていると、またしても聞き馴染みのある声が聞こえてきた。


「先生、こんにちは」

「奥山さん?」


 いつの間にか、隣に奥山鹿音が立っていた。鹿音とこうして話すのは久しぶりだ。学校ですれ違っても、彼女は頭をペコリと下げるばかりで、なかなか話しかける隙がない。かと言って特に話さなければならないこともないので、余計に話しかけづらかった。


 それでも、都築は鹿音のことを他の生徒よりも気に掛けてしまっている。教職に就いて初めて受け持った部活の初代部長。一緒にいる時間こそ短かったものの、苦難をともに乗り越えた戦友に近い感情を勝手に持っている。


「受験勉強は順調?」

「まぁ、はい」


 相変わらずの塩対応に苦笑する。鹿音の成績は学内でも上位安定だ。志望校にも安全圏だという話を職員室で耳にしていたので、心配はしていない。


 鹿音が持っていた紙袋の中から赤と緑の包装が覗いていた。


「クリスマスプレゼント?」


「誰に?」と聞くのはさすがに憚られた。生徒のプライベートに探りを入れすぎるのは好ましくない。鹿音はこくりと首肯しただけだった。


「先生こそ何を?」


 向けられた眼鏡越しの鋭い視線に若干怯む。この感覚久しぶりだ。こう見えて鹿音は少しも怒っていない。威圧感が人より少し強いだけである。都築は懐かしい感覚に内心苦笑しながら、4枚の抽選券をひらめかせた。


「あと1枚で抽選できるから、何か買おうと思って」

「それなら、あげます」


 そう言って、鹿音は財布から皺1つない抽選券を取り出した。鋭い視線で都築に突きつけてくる。都築は思わず後ずさった。


「それはさすがに悪いかな…あっ、逆にこれ奥山さんにあげる」


 負けじと4枚の抽選券を差し出すと、鹿音が自身の抽選券を躊躇なく都築の指にねじ込んでくる。すっかり忘れていた彼女の「そういえば」な押しの強さに狼狽えていると、ねじ込み終わった鹿音が一仕事終えたとばかりに腕を組んでいた。


「受験前に運を使いたくないので。でも、無駄にするのもなんかもったいなくて、ちょうど良かったです」


 折よく、当選ベルが商店街内に轟き渡った。抽選会場はもう目の前だ。


 どうせ当たらないだろうと、鹿音を連れて挑んだ抽選の結果は、なんと「1等温泉旅行ペア宿泊券」。鹿音に渡そうとしたが、案の定、けんもほろろに断られた。


 使い途の見つからない「1等温泉旅行ペア宿泊券」を手に、都築が途方に暮れていると、鹿音がチケットを見て、何かに気がついたらしく「あ」と声を上げた。


「先生、今度ここの近くで公式戦ありますよ」


 言われて調べてみると、2つ県を跨いだ先のその温泉近くで、確かにカルタの公式大会がある予定だ。それにしても、温泉街の商店街の抽選会1等賞が他県の温泉旅行ペア宿泊券とは、決めた人間の思考回路が知りたいものだ。


「先生」


 再び鹿音に声をかけられ、宿泊券から顔を上げる。鹿音の涼し気な瞳の奥で、静かに熾き火が燻っているのが見える。


 都築は、以前この顔を見たことがあった。月見荘で、鹿音が暁をカルタ部にスカウトしたあの日。今、目の前にいる鹿音には、まさにあの時と同じような有無を言わせぬ圧がある。


「若槻くん、まだD級なんですよね」

「は、はい。入院してて、大会出られてなくて…よく知ってたね」

「…人伝てに聞きました」


 鹿音は紙袋の取っ手をきゅっと握りしめた。その「人」に渡すプレゼントなのだろう。都築の視線を避けるように、鹿音がわざとらしく咳払いを響かせた。


「私が言いたかったのは、若槻くんを大会に連れて行ったらどうかということです。これは抽選券の5分の1を出した一個人の意見ですが」


 蛇に睨まれたカエルはこういう気持ちなのだろうかと都築は絶望的に思った。彼女は己から発されている圧をもっと自覚すべきだ。それに、抽選券の5分の1なら都築だって出している。それならば都築の意見だって5分の1くらい考慮されたっていいはずだ。ちなみに、抽選券の5分の3を出したのは、吉良キララである。


 そこに思い至ると同時に、都築の脳内にキララの屈託のない笑顔と見送りの「いってらっしゃ~い」が100%の解像度でイメージされる。


(「そっか、そっか、四面楚歌」)


 都築は諦めた。

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