第23話 31日
季節はすっかり秋めいてきた。眼前に広がるイチョウ並木。地面に敷かれた黄葉の絨毯を、都築は踏みしめながら歩いている。
ふと顔を上げると、前から歩いてくる2人組に見覚えがあった。ランドセルを背負った彼らは、一月半前の名月の日に、小うさぎ亭へお菓子をもらいに来た顔ぶれだ。
じゃれ合いながら脇を通り抜けていく子どもたち。都築はふと疑問を抱いた。
ここらの子どもは「トリック・オア・トリート」しないのだろうか。お月見とハロウィンでお菓子二重取り。
出勤の、この時間帯に空いているのは、コンビニくらい。
(「寄るか」)
都築は、今来た道を足早に戻っていった。
♢◇
都築が、ここ宇喜多高校の教職として働き始めてから、すでに半年以上が経っている。田舎のそれほど大きくはない高校だ。自分が国語を担当しているクラスの生徒はもちろん、接点のない生徒の顔も、町で見かければ思い出す。それほどまでに都築はこの学校に馴染んでいた。
いつもどおり授業をこなし、夕方、クラスのホームルームを行う。いつものことながら暁はまっすぐ都築を見つめていた。季節毎に席は変わっても、結局、注がれる視線は変わらない。右から左から前から後ろから。この視線にもだいぶ慣れてきた。
とはいいつつも、目が合えば都築はすぐに逸らしてしまう。できるだけ平静を装って、ごくごく自然な感じで。そう自分に言い聞かせながら逸らしている。
最近は、日が沈むのも早くなってきた。だから、部活動に許された時間も春夏に比べて短くなっている。
今日は学校の和室をかるた部が使える日。メンバーは部員5名と都築で合計6名。3組での試合をなるべく早く終わらせるため、あらかじめ札分けされた50枚を使用する。
百人一首の取り札の左下には1から100までの番号が振られている。0から9までの数字の中から5つの数字を選び、取り札の番号の下の桁を揃えた札を全ての組で使うことで、試合にかかる時間を短縮することが出来る。
もちろん、取り札は五十首に限定することが出来るが、読み札は百首のままなので、結局九十九首まで決着がつかないこともあるのだが、それでも札分けしてあるのとしてないのでは、要する時間が圧倒的に違うのだった。
「んーっ!! 9枚差!」
試合が終わり、暁が天を仰いで後ろ手をついた。対戦相手は都築である。都築は札を箱にしまいながら、ちらりと暁に視線を向けた。
「「きみがため」に気を取られ過ぎだ」
「うぅ…分かってはいるんだけどぉ…」
そう言って、がくりと肩を落とす暁はしょんぼりした大型犬のようで、なんだか可愛い。都築は思わずにやけそうになり、慌てて咳をしてごまかした。
今の試合、都築は「きみがためを」と「きめがためは」を2枚とも自陣に持っていた。この2枚は決まり字が「きみがため」まで同じ、いわゆる友札である。
友札が自陣に2枚ある場合、どちらかを早々に相手に送るか、もしくは自陣の中でも右陣と左陣に分けて置くのがセオリーだ。そうすることで、相手との勝負を運に任せられる。二兎追う者は一兎も得ず。どちらか1枚に賭けることで50%の確率で札が取れる。格上相手には美味しい勝率だ。
逆を言えば、格下相手にはそんなことをする必要はない。友札を隣同士に並べて、決まり字「きみ」が来た瞬間、2枚ともぶち抜く。相手は自分より格下なので、先に取られることはない。勝負を運に任せる必要がない。
都築は「きみがため」の友札を左手下段に2つ仲良く並べていた。もし、都築が相手にこれをされたら「あ? 舐めんてんな」とカチンとくるだろう。そして、相手の鼻を明かしてやろうと、何が何でもその札を取りに行くだろう。その札を取れれば相手の士気が落ちる、天狗の鼻がぽっきり折れる。そういう闘志が湧き上がる。
案の定、暁は惑わされていた。固められた「きみがため」に鼻息荒くなっているのが明らかに見て取れた。そのせいで、他の札への注意力が完全に削がれていた。さらに、今日は運も都築に味方した。「きみがため」が詠まれたのは試合の終盤で、暁が「きみがため」の呪縛から開放されたときにはすでに、巻き返せないほどの差があった。
(「それでも、取られるつもりはなかったんだけどな」)
箱の角を、指でなぞりなぞり。ほどよく硬い感触が、意識を指に集中させる。都築は試合には勝ったものの「きみがため」は暁に見事に掻っ攫われてしまった。
競技かるたには2つのスタイルがある。都築のスタイルは「守りがるた」。対して、暁は「攻めがるた」だ。これは、都築が部員に「攻めがるた」を教えているからに他ならない。もちろん、どちらにもメリットデメリット、向き不向きはあるだろうが、高校生くらいまではとことん攻めるかるたをした方が良い。これは、都築が学生時代にいろいろな年代の相手と対戦してきて感じたことだ。
自身が「守り」だからこそ「守り」の限界を感じている部分もある。競技かるたでは、相手陣の札を取ると、その分自陣から札を選び、相手に送る。自陣の札を取った場合は単純に1枚自陣の札が減るだけだ。
つまり、相手陣の札を取れば取るほど、相手の思惑通りにはいかなくなる。自分という存在が確実に相手に影響を与えていく。
その点、暁は「攻め」中の「攻め」。「きみがため」を取られたということ、それは、都築の「守り」が破られたということ。
(「かるたでまで圧されたら世話ないな…」)
不安と期待がないまぜになる。都築は気を紛らすように、札の入った箱をとんとん叩いていた。
「若槻くん、また強くなってない?」
声のした方を振り向くと、部長の古松が部内ノートをまとめていた。そこには、これまでの対戦結果が記録されている。項垂れていた暁は瞳を輝かせ、親指をグッと上げた。
「そ! 初めて10枚切った!」
競技かるたにおいて、9枚差は小さくない数字だが、現役ではないとはいえ元A級の都築相手に、今年始めたばかりの暁がここまで迫ってくるのは大したものだ。
「暁くんって何級だっけ?」
自動読み上げ機を片付けながら呟く天野に、山里が横から応えた。
「暁先輩入院してたから、大会出てないはず」
「てことは…D級?!」
競技カルタには級という概念がある。基本的には、公式大会に優勝するなり入賞すれば、D、C、B、Aと級が上がっていくのだが、そもそも大会の開催自体が地域によって様々だ。ある所では年に数回開催されるかと思えば、年に1回しかない所もある。
暁が吉良邸の屋根から落ちて入院していた頃、ちょうど近場で大会が開催されたので、他の部員は皆参加していた。小倉がDからCへ、古松が念願叶ってCからBへ昇給したのがその大会だった。
都築が見るに、暁の実力はCの上。すぐにでもBに上がっておかしくない。しかしながら、残念ながら、この地域での大会は年に1回。暁は年に1度の昇級チャンスを逃していた。
暁がぶんぶん首を振る。
「オレ、正直、級とか興味なくて。別にいいよ」
たしかに、名人戦など特定の大会を目指さないのであれば、級や段など気にする必要はない。個人戦であれば同じ級の相手としか対戦できないが、団体戦であればそれこそ級など関係ない。C級に負けるB級やA級が見られるのも団体戦ならではだ。
(「まぁ、年会費も掛かるしな」)
級になど本当に興味なさそうな暁に、都築は「まぁ、そんなものか」と思いつつ、腰を上げた。気持ちはすでに別のところへ向かっている。
和室の出口で、小倉が指に引っ掛けた鍵をブラブラさせていた。最近では着替えもせずにそのまま帰ることが増えた。それだけ時間が限られている。壁に掛けられた無機質な時計が、下校時間をまもなく告げようとしていた。
「早く出てくださーい。締めますよぉ」
小倉の声掛けにいそいそと出口へ向かう部員の背中を、都築は慌てて呼び止めた。
「ちょっと待って」
不思議そうに振り返るみんなの視線に、まごつきながら、自身のトートバッグを漁る。
取り出したのはビニール袋だ。今朝、学校へ来る前に、コンビニに寄って用意したお菓子がたんまり入っている。都築は袋ごとみんなの前へ差し出した。
「今日は10月31日。つまり、ハロウィンだ。俺…先生の地元では、最近は仮装して街に繰り出す人たちも多い。ちなみに本場では「トリック・オア・トリート」でお菓子を貰える日。なんだかここの「お月見」と似てるな、って」
和室がしんと静まり返った。古松はポカンとして突っ立っている。一年生ズは顔を見合わせていた。暁の顔は、怖くて見られない。都築は頭を抱えたくなるのをなんとか堪えた。
(「やっぱり、やめておけばよかった。慣れないことはするもんじゃない…」)
「お月見」を教えてくれた暁に、今度は都築が「ハロウィン」をお返ししようと思い立ったのだ。
なぜなら、あの日、暁が言ったから。もっと都築のことを知りたいと、そう言ったから。
ハロウィンは日本でもかなり市民権を得てきたイベントだが、都築自身は正直これっぽちも馴染みがない。しかし、これしか思いつかなかった。この街のように昔からの変わった風習は、都築の地元には、知る限りない。
そもそも、自分のことを知ってもらうって何だ。何を教える? 何が知りたい? みんなどうやっている? 実際やってみると難しいものだ。今までいかに自分のことを知ってもらおうとしてこなかったか。思い当たることが多すぎる。
どちらにせよ、「ハロウィン大作戦」が失敗したことだけは、みんなの反応で、嫌というほど理解した。
その時、一年生ズが揃ってこちらへ歩み寄ってきた。何を言われるやらと思わず身構える。
「先生、もしかして田舎ディスってます?」
そう言って、天野がわざとらしく頬を膨らませた瞬間、小倉と山里が吹き出した。
「私たちだってハロウィンくらい知ってますよ! 田舎バカにしすぎです」
「これだからシティボーイは! 先生、お菓子くれないとイタズラしますよ」
両手を差し出す3人の掌にお菓子を載せながら、都築は顔が熱くなるのを感じた。人目が無ければ、頭を掻きむしりたいほど無性に恥ずかしい。
「先生、僕にもお菓子ください」
「おぉ」
普通にお菓子を貰いに寄って来た古松にも、もちろんあげる。となれば、残るはあいつだけ。
目の前にはすでに暁が構えている。「待て」から「良しっ」への合図を待ち切れず、ぶんぶん尻尾を振る大型犬のよう。どうやら喜んでくれているようでほっとする。
「かぐやちゃんっ」
「うん。ほら」
「お手」とばかりにお菓子の載った掌を向けると、暁はニコッと笑って、勢いよく都築に抱きついてきた。「えっ」と思ったと同時に、反動で掌からお菓子が飛び出す。赤や黄色、アメやチョコ、カラフルな包み紙が賑やかに宙を舞う。暁の声が耳元で囁く。
「嬉しくて、イタズラしちゃった」
それは、ほんの一瞬だった。暁は都築から離れざま、落ちたお菓子を身軽に拾うと、
「オレはトリック・アンド・トリートで。ありがと、かぐやちゃん!」
いつものニコッと笑顔で振り返ってきた。一年生ズがスマホのカメラでシャッターを押しまくっているが、頭の中で思考がグルグルして言葉が出てこない。
ようやく絞り出した第一声は片言の「欲張りセット、ダメ、絶対…」。
自分でも何を言ってるんだか分からない。
都築は思う。それもこれも全部、暁のせいだ。暁に抱かれた背中や腰が、熱く火照って、どうにかなってしまいそうだった。
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