第21話 お月見

 ふたりの距離はつかず離れず。それこそ地球と月のように。引力が潮を満ち引きさせるように。


 ◇


「「お月見くださーい!」」


 大人の憩いの場小うさぎ亭に、似つかわしくない若々しい声が響き渡った。振り向いたのは、都築に、佐藤に、女将の代わりの暁。総勢3名。その時、小うさぎ亭にいた全員である。


 入り口には男の子が2人、パンパンに膨れたビニール袋を持って立っていた。体格や顔つきからして、小学高の高学年だろうか。時計を見上げれば、既に20時前。都築は思わずギョッとした。あどけなさ満載の彼らが出歩いていて良い時間帯ではない。


 都築はこれでも教職に就いている。小学生は畑違いとはいえ、全く無視するわけにもいかない。先に生まれた者として、果たさなければならない努めがある。早く家に帰るように注意しようと、席を立ち上がりかけたとき、都築の脇をエプロン姿の暁がすり抜けていった。


「はいはい、ちょっと待ってね……ほら、どうぞ」


 そう言う暁の手には、いつの間にか、お菓子の詰め合わせが準備してある。


「「ありがとうございましたっ」」


 子どもたちは嬉しそうにそれを受け取ると、お菓子でパンパンのビニール袋に収め、足取り軽く出ていった。


「今日は「お月見」だったかぁ」


 子どもたちを見送りながら、佐藤がお猪口を傾け、呟いた。


「お月見?」


 都築は、発言者の佐藤ではなく、カウンターの中に戻ってきた暁に問いかける。目が合った瞬間、暁はニコッと微笑んできた。相変わらずグッとくる笑顔である。


「そう、お月見。今日は十五夜だからね」


 十五夜――その響きに、光り輝く大きな満月が都築の脳裏を掠めた。


 いつか見た満月だろうか。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。これはただのイメージなのだ。月見、十五夜と聞いて一般的に浮かぶイメージ。満月、餅つくうさぎ、すすきに、そしてお供えの団子。


「十五夜とさっきの子たちと、何の関係が?」


 結果的に、暁に遮られ、子どもに注意をし損ねた。彼らの親が今頃探し回っているかもしれない。大変だ。探し回っていなかったらもっと大変だ。


 今からでも追いかけて家まで送り届けよう。


 都築が箸を置き、腰を浮かせかけると、暁に手首を掴まれ、止められた。空いている方の手には深皿を持っている。健康的な肌に浮き出ている血管がなんだか男らしい。


「心配してるなら大丈夫だよ。お袋たちが見張ってるから。はい、餅巾とウインナー」


(「…顔が近い」)


 都築は暁に度々面食らわされている。学校では教師と生徒。立場は完全に都築の方が上なのだが、月見荘や小うさぎ亭では、暁の方が大人に見える時がある。都築のことを好きだの何だの言いながら、今みたいに何の照れもなく距離を詰めてくるときがあり、肝が座っているなとも思う。臆病者の自分には到底真似できない。


「かぐやちゃん、聞いてる?」

「へっ、あ、うん。はい」


 不思議そうに見下ろしてくる暁に動揺を悟られたくなくて、ビールを流し込んだ。案の定、むせたところで、佐藤がポンっと手を打つ音がした。


「そっかぁ。かぐや先生は「お月見」知らねぇんだな」

「そうなの?」


 おしぼりで口元を拭きながら、都築は二人を交互に見上げる。


「「お月見」って団子を飾って月を見るやつでしょ…?」


 今どき律儀にそんなことをやっているご家庭があるのかは謎だが、つまりはそういう行事だろう。やらないからと言って、知らない訳ではない。


 暁と佐藤が目を合わせていた。なぜかお互い視線だけでわかり合っている風なのが、自分だけ仲間外れにされているようで、少し腹立たしい。


「何? 違うのか?」


 睨むようにして暁を促す。暁は困ったように破顔して、ぶんぶんと手を振った。


「別にそんな大した話じゃないよ。「お月見」ってオレの中では、お菓子をもらいに近所を回る日なんだけど、かぐやちゃんとこではそうじゃないの?」

「それはハロウィンだろう」


 お菓子をくれなきゃイタズラするぞ。そうやってお菓子を貰うのは10月31日のハロウィンだろう。今はまだ9月の半ばである。


「おれぁ、まだ、ハロウィーンは認めてないぞぉ」


 佐藤の目が据わってきた。これはそろそろダメなやつである。暁がカウンター越しに酔っぱらいの様子を窺っている。


 都築は暁にもう一度念押しした。


「それはハロウィンだろう?」


 暁は佐藤の徳利を奪い始めていた。手を動かしながら、ちらりと視線だけこちらに寄越してくる。


「それはそうかも…でも、なんでかなぁ。昔からここらへんは十五夜になると「お月見下さーい」って近所にお菓子を貰いに行くもんなんだよね」

「へぇ」


 暁は食器を洗い始めた。客は寝潰れた佐藤と都築のみ。そろそろ店じまいなのだろう。水音に負けないように暁は声を張った。


「最近は、うちみたいに店やってるところくらいしかお菓子を用意しなくなったんだけど、昔は本当に個人の家にまでお菓子貰いに行ってたからね。それで、子ども同士で情報交換するの。どこそこさん家のお菓子が豪華だったぞって」


 貰えるだけでもありがたいのに、優劣までつけて、子どもとはやはり残酷な生き物である。


「大人からしたら嫌な情報網だな」


 暁が声をあげて笑った。


「だよね。実際、迷惑してた人もいたみたい。それもあって、個人宅には行かないようにってルールが出来て、今は有志でやってる感じ」


 都築の中にある疑問が湧いてきた。


「若槻くんはお菓子をもらいに行かなくて良かったのか?」

「えっ、オレ? あぁ…お菓子もらえるのは子どもだけだから」

「若槻くんも子どもじゃないか」


 そう。彼だってまだまだ子ども。都築からしてみれば立派な子どもだ。そんなことは自明の理で、全く言うまでもないことないなのだが、こうやって改めて言葉にすることに意味がある。 


 現に、暁は都築の意図を察したようだった。濡れた手をタオルで拭きながら、暁は拗ねたように唇を尖らせている。


「子ども…かもしれないけど、大人よりの子どもだからね」


 少年なりの精一杯の反論に、佐藤の無呼吸症候群のいびきが折り重なる。暁は佐藤の上着をハンガーから抜き取った。


「あ〜もう…佐藤のおっちゃん! もう店閉めるよ」

「がっ…月見…酒…月見酒っ…!」

「はいはい。来年までお預けな。どうせ今日曇りだし」


 都築は、思い出した。そういえばそうだ。このところ、地域密着のローカルテレビ局が、来る日も来る日も台風情報を繰り返していた。結局、台風は気まぐれに方向転換し、直撃こそ免れたものの、残念ながら本日の天気はぐずぐずの曇天模様。小うさぎ亭への道中も、中秋の名月の「ち」の字もお目に掛かれやしなかったのだ。


(「俺も帰ろ」)


 千鳥足の佐藤に肩を貸し、外まで見送る暁に、ハンドサインで会計を促す。暁は軽く手を上げ応えた。使い込んだ皮財布を取り出し、しばらく待っていたが、暁は戻ってこない。


「おーい、若槻くん?」


 しびれを切らし、もう1度声を掛けると、暁はどうやら夜空を眺めていたらしい。都築の呼び掛けにようやく店の中へ戻ってきた。嬉しそうに尻尾を振りながら。


「かぐやちゃん、風呂入ってから帰ってよ」


 都築は小首を傾げた。


「入ってから来たんだが」


 月見荘からの小うさぎ亭。温泉に入るときは決まってこの順番で、逆は決してない。


「それに、もう時間も過ぎてるだろ」


 月見荘の営業時間は20時までだ。宿泊客ならもっと遅い時間帯まで入浴可能だが、見たところ、今日も宿泊客はいないようである。


 さきほど子どもたちがやってきたのが20時前。あれから少しとはいえ時間も経っている。閉店時間と入浴済みで完全にツーアウト。


 暁はというと、テキパキと小うさぎ亭の戸締まりを始めていた。彼の中で、都築がこれから温泉に入って帰ることは確定のようだ。訳がわからず突っ立っていると、店の鍵を握りしめた暁が、背中をぐいぐい押してきて、そのまま店の外へ出されてしまった。


「かぐやちゃんはラッキーだよ」

「なんで」


 背中を押す暁が得意げに微笑んでいる。視線で返答を促すと、暁も視線で応えてきた。上向く視線につられ、都築も思わず上を見上げる。暁の吐く息が耳をくすぐった。


「うちの本業は月見荘なんだ。やっぱり、こうでなくっちゃ」


 黒く、分厚い雲の切れ間から、黄色い光が零れ出していた。風の流れは速かった。程なく、まんまる明月はお披露目されたのだった。

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