第20話 文化祭2

「都築先生やば。かっこよ…」

「前の子もかっこよくない? 美男美男!」

「カルタ部レベル高…」

「行くか」

「行くべ」


 女子生徒たちが、連れ立つ暁と都築を見送っていく。この短時間で何度も感じた名残惜しそうな視線に、都築は笑顔でプラカードを振り、精一杯カルタ部の存在をアピールした。


 それに比べて暁はどうだ。愛想を振りまくこともなく、足早に都築の前を歩いている。クラスメイトに話しかけられても、軽く手を上げ応えるのみ。まるで何かに焦っているよう。


 いつもなら、やたらと話しかけてくるのに、それも無い。本来なら、他愛もない会話を飽きもせず、時に一方的に、にこにこと話しかけてくるのが暁という少年である。


 もしかして機嫌でも悪いのだろうか。今までこんなに無愛想な暁を見たことがない。何に怒っているのだろうか。怒らせるようなことをした覚えはないのだが。


 暁からの告白をきちんと断ってからも、二人の関係性は何も変わらなかった。今までどおり、会えば話すし、笑うし、月見荘や小うさぎ亭にも顔を出す。これまでもこれからも何も変わらない。都築にとっては一番望ましい形で、全ては丸く収まったはずだ。


 では、今の、彼のこの態度は、一体何なのか。彼の気持ちに何か変化でもあったのだろうか。現状維持。ではいられない何か。


 嫌な予感に胸がざわめく。


 黙っていられたら何も分からない。いつものように真正面から言いたいことを言ってくれ。


 大の男がついていくのもやっとな速さで、黙々と先を急ぐ暁に、都築は遂に痺れを切らした。


「どこに行くんだ?」

「美術室」


 暁はわずかに振り返ると、すぐに正面に向き直った。そっけないにもほどがある。都築は暁の後頭部目掛けてイライラビームを送っておいた。


 それにしても美術室。

 都築にとっては縁もゆかりもない場所である。もちろん用だってない。暁にもあるようには思えない。もやもやを抱えたまま暁の背中を追いかけているうちに、二人は間もなくそこに辿り着いた。


「へぇ、ここが美術室…」


 美術室のある棟に、都築はこれまでほとんど足を踏み入れることが無かった。絵の具なのだろうか。石油のような匂いが鼻腔をくすぐる。重たいモスグリーンのカーテンは開け放たれ、大きなガラス窓からは秋晴れの空が高く見えた。


 美術部の部展示といえば当然部員の作品展示である。所狭しと飾られた油絵、水彩画、彫刻たち。その中の1つに、都築の目は釘付けになった。


「これ…」


 都築は、その絵に引き寄せられるように近づいていた。先に見ていた生徒が遠慮して場所を譲ったことにさえ、気がつかなかった。絵に向かって腕が伸びる。一瞬、自分の腕かと思ったが、それは隣に並び立つ暁の腕だった。


「すごいでしょ?」


 心の中を見透かされた気がしてはっとした。暁の横顔はほんのり上気していた。都築の視線に、振り向いた暁は、さっきまでの無愛想はどこへやら、いつもの笑顔を浮かべている。しかし、それも一瞬で、すぐに目の前の絵画に視線を戻し、捕まえるように指差した。


「これ、夢に出てくる景色とそっくりなんだ」


 平安時代なのだろうか。奥に見えるのは寝殿造りによく似た平たい建物。金色を主体としたその建物を背景に、キャンバスを横断するように唐紅の橋が伸び、ゆったりと弧を描いている。橋の下は当然池。池のはずなのだが、銀色に輝くその池はまるで枯山水の砂紋を思わせる。橋の真ん中には赤と青の二対の何かが寄り添っている。金魚のような、海月のような、とにかく何かをひらひらさせた二対の何か。真っ暗な夜空の下に浮かび上がるそれらの光景が、なんとも奇妙で――


「オレ、絵下手だからさ。夢の光景、かぐやちゃんに伝わってないよなぁってモヤモヤしてたんだよね。そしたら、これだよ!」


 暁の興奮した声は頭に入ってこない。そんなことより―


 誰が。誰がこんな。誰がこんな絵を描いたのか。


 落ち着いていればすぐに見つけられるはずのネームプレート。目が滑って見つけられない。心臓も早駆けている。


 絵画の右端にようやく見つけた作者の名前に、都築は膝が崩れそうになった。心底安堵したのだ。大きなため息が溢れる。


「吉良キララ…」

「そ! 昔、あいつに話したことがあって、それでたぶん覚えてたんだと思う。それにしてもそっくりすぎてさ」


 暁の調子はいたって呑気だ。都築は困惑していた。暁はどうしてこの絵を都築に見せようと思ったのだろうか。意図が読みきれない。


「この赤いのと青いの…アメーバかな…? よく分かんないけど、オレの夢では赤いのがかぐや姫で青いのが前世のオレ」

「…若槻くんの絵に比べたら断然上手いな」


 いつかの「目鼻口だけ女」より、この「赤い金魚だかアメーバだか」の方が、前世の自分だと言われてまだマシである。


 暁は隣で苦笑いして、そして黙った。無言で、じっと食い入るように、絵画を見つめている。


 都築は居心地が悪かった。この無言の時間は何なのだろう。この絵を見せたがった意図は未だに明かされない。


 ただ夢のイメージを伝えたかっただけ?

 何のために? 

 そんなことをしても都築は何も応えられない。


 何も期待なんてしていない?

 だとしたら、さっきの妙に素っ気ない態度は何だ?

 本当は何か言いたいことがあるんじゃないか?


 暁から切り出す気は無いようだ。ならば、都築が腹をくくるしかない。


「…もう戻っていいか?」


 声が少し震えた。暁はまだ絵を見ていた。少しの沈黙のあと、暁が諦めたように息を吐いた。


「だね。戻ろっか」

「戻っていいのか?!」


 想定外の返答に驚いた都築を、暁が不思議そうに見つめ返す。


「え。うん。これ見てもらいたかっただけだから」

「見て、それで?」


 それで何を求めている?

 都築は暁を真っ直ぐ見据えた。暁はすぐに気まずそうに視線を逸し、喉を唸らせ、観念したように項垂れだ。


「本当は…ちょっと期待してた。この絵見たらかぐやちゃんも思い出すんじゃないかって」

「何を」

「だからさ、前世のオレたちのこと」


 そんなことは聞かなくても分かっている。聞きたいのはそんなことじゃない。暁だってそのはずだ。


「それは、が何か思い出したってことなのか」


 聞いてしまったらおしまいだ。都築はもはや暁の顔を見ていられなかった。拳を握る手が汗ばんでいる。背中には冷や汗が伝っていた。何をそんなに怯えている。我ながら馬鹿馬鹿しい。そう思っても体は正直だ。


 視界の端で、暁が動いた。絵に向き直り、考えている。その様は、顎に手を当て真剣そのもの。


「うーん…いつも見ている夢にそっくりで、新しいことは特に」

「そうなのか…?」


 そんなはずはないだろう。何も思い出さないのなら、都築に見せる意味はない。「じゃあ、なんで」と口走りかけたとき、先に口を開いたのは、絵を見つめたままの暁だった。


「かぐやちゃんが思い出したらいいなって思ったのは思ったんだけどさ。それ以上にこの絵をかぐやちゃんに見せたいなって思ったんだ」


 そこまで言って、暁は思い直したように「違うな」と頭を振った。


「きっと、かぐやちゃんと一緒に見たかったんだ。オレ、初めてこの絵を見たとき、なんかこう感動しちゃってさ。そんで、すぐにかぐやちゃんの顔が浮かんだ。ここにかぐやちゃんが居たらなって」


 たしかに、この絵は純粋に絵画として、人を惹きつけるものがある。現に、周りからちらほら息を飲む声が聞こえていた。


(「でも、それって…」)


 どれだけ都築のことが好きなんだ。よっぽど重症じゃないだろうか。都築は目を逸らし、手で口元を隠した。そうでもしないと顔がにやけそうだ。頬もほんのり熱を帯びている。でも、まだ分からないことがある。


「じゃあ、さっき機嫌が悪かったのは何なんだ…」

「機嫌? 別に悪くないよ?」

「悪かった。口数少ないし、すたすた速歩きで愛想悪いし」

「えぇ? あー…」


 暁の顔がみるみる紅くなっていく。耳まで真っ赤にした暁と目があった。恨みがましそうなその目は、こころなしか潤んでいる。


「それは、かぐやちゃんが悪い」

「…」

「だって、袴姿なんて聞いてない! びっくりしたんだけど。可愛すぎて…誰にも見せたくない…」


 暁は両手で顔を覆って俯いた。どうやら限界が来たらしい。


 にしても「可愛い」と言ったか。かっこいいでも、綺麗でもなく、可愛い??


「なんだそれ…」


 都築も両手で顔を覆って俯いた。首筋が燃えるように熱い。可愛いって、なんだそれ。


 美術室では男が2人、顔を真っ赤にして俯き合っていた。その光景に周りがざわざわしていたことを当の本人たちは知る由もなかった。

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