第18話 豪邸訪問
満を持して二学期は始まった。放課後の職員室では金髪ポニーテールの少女がうるうると瞳を潤ませている。
「カグヤちゃん、チョット意味が分からない」
「かぐやじゃなくててるやだ」
「テルヤちゃん、チョット意味が分からない」
「あ~…てるやじゃなくて先生だ…」
都築は今にも泣き出しそうな吉良キララを前に、大いに狼狽えた。周りの教師の視線が痛い。これではまるで、都築がキララを泣かそうとしているみたいではないか。ただでさえ、転校してきて間のない美少女が、クラス担でも教科担でもない都築に早くも懐きまくっていることを不審がられているというのに、こんな場所でさめざめと泣かれでもしたら、教師生活お先真っ暗だ。
都築はキララの涙を抑えでもするかのように両手を突き出し、観念したように項垂れた。
「分かった、分かった、分かったから。いったい何が分からないのかな」
「全部」
あんまりなお返事に、思わずため息が溢れてしまう。
「…少しは理解しようと努力し―」
そこまで言いかけて、聞こえてきた鼻を啜る音に、都築が顔を上げると、空色の瞳から今にも土砂雨が降りそうになっている。
(「それもそうか…」)
都築はキララを手招きし、周りに聞こえないよう耳打ちした。
「今日「小うさぎ亭」に来られるか?」
涙目のキララは黙ってこくこく頷いた。それなら、しょうがない。
(「せっかく俺を頼ってきたんだ。無視出来ないよな」)
部活が終わり、約束どおり「小うさぎ亭」に向かおうとした都築は、校門前で待ち構えていた黒塗りの高級車に丁寧かつ強引に詰め込まれることとなった。
◇
「カグヤちゃん、オカエリ〜」
運転手に腕を引っ張られ、未だかつて見たこともないほど大きな玄関に足を踏み入れると、もこもこの部屋着姿のキララに笑顔で出迎えられた。
「小うさぎ亭に集合って言いましたよね」
都築は迷惑千万とばかりに腕を組んだ。キララの隣に凛と立つメイド服の女性に伝わるようにわざとらしくだ。
そもそも都築はキララの担任でも教科担任でもない。キララが転校してくる前からお互い知っている間柄とはいえ、本来キララが相談するべき相手は都築ではない。全ての生徒に同じように出来ないことならば、一人の生徒にだけそれを施すことは好ましくない。
それでも、今にも泣きそうな顔した昔馴染みに懇願されて、無下に断るのも気が引けたので、公の場である「小うさぎ亭」に集合と伝えたのだ。生徒個人の家に上がり込んでしまったら、あらぬ誤解を招きかねない。
「私がこちらに来ていただくよう車を手配致しました」
落ち着き払って言ったのはメイド服の女だ。キララが女に抱きついた。
「カグヤちゃんゴメーン。ザクロがどうしてもって言うから…」
女がキララを引き剥がし、軽く咳払いをする。そのまま都築に向かって深く頭を下げた。
「ご挨拶が遅れました。吉良家のメイドとしてキララ様のお世話を任されております
都築はつられて頭を下げた。
「宇喜多高校で教師をしてます。都築輝弥と申します…」
「本日は、キララ様に苦手な国語を教えていただけるとのことで大変ありがとうございます。担任でも、教科担任でもないとのことですのに」
石榴の視線は無遠慮に都築を舐め回している。まるで、教え子の美少女に、手を出すチャンスを虎視眈々と狙い定める鬼畜教師を見る目だ。
「職員室で彼女に泣かれそうになったのでやむを得ずです。小うさぎ亭を指定したのも、馴染みの人たちがいて、吉良さんが安心だろうと思ってのことだったのですが」
「この吉良邸ほどキララ様にとって安全な場所はありませんのでご心配なく」
(「俺にとっては安全じゃないんだよなぁ」)
都築の心の声を見透かすように石榴が言い足した。
「それに、今日、都築先生がこちらに来られたことは誰にも知られないように万全を期しております。万が一、良からぬ噂が流れでもしたら先生にもご迷惑でしょうから。だって教師と生徒ですもの」
終始丁寧な口調だが、言ってることはハッキリしている。キララに妙なことはするな。大富豪の一人娘への対応としては至極当然のものである。
それにしても―
(「教師と生徒か…」)
夕焼けに染まるいつかの暁の横顔が頭を過ぎった。懲りもせず、真っ直ぐな気持ちを口にした暁。お互いの立場や状況を考えれば無理なことくらい分かるだろうに。普通はそうだ。石榴の感覚が世間一般的には常識なのだから。
「カグヤちゃん、早く上がって! 私の部屋、コッチコッチ」
「キララ様、お部屋ではなく、広間で教えていただきましょう。お茶の準備も整っておりますので」
都築に抱きつこうとするキララを、石榴は全身で防いでいる。キララと取っ組み合いながら「どうぞお上がりになってください」と促す石榴に、都築は黙って頷き、靴を脱いだ。
吉良邸は二階建ての洋風な豪邸だった。客をもてなす広間にはアンティーク調のソファとテーブルが並べられ、踏むのが申し訳なくなるような絨毯が敷き詰められていた。マントルピースには、ある意味「時は金なり」を分からせられてしまいそうな高級感溢れる置き時計が飾られている。もちろん絵画だってある。きっと有名な画家の絵なのだろう。テレビでしか見たことがないような大富豪の家。
座り心地の良すぎるソファに腰掛け、圧倒されている都築の前に、キララが古典の教科書を開いて見せた。
「今、「タケトリモノガタリ」をやってるの。でも全然分からない」
(「また「竹取物語」…」)
それはしょうがない。「竹取物語」は古典学習への導入教材として、中学、高校の国語の授業に度々登場する物語だ。「かぐや姫」という童話として、日本人が幼い頃から馴染み深いというのも、おそらく採用される理由の一つだろう。
日本最古の物語ながら、きちんと起承転結があり、話も分かりやすく、古典に興味を持たせるにはうってつけの題材。
しかし、キララは海外生まれ。「竹取物語」はおろか「かぐや姫」に接する機会がこれまでそもそもなかったことは想像に難くない。
全然分からないというのも、さもありなんである。
「教師の立場で、こんなことを言うべきじゃないかもしれないが…」
都築は教科書を持ち上げ、パラパラめくり、そして、パタンと閉じた。
「中高で習う古典なんて結局記憶力だ。漢文もそう。話を覚えて、言葉を覚えて、問題パターンを覚えて。それでどうとでもなる」
古文や漢文は全て過去の資料だ。新しく作られることなどない。仕組みが分からないのなら覚えてしまえばいい。動詞の活用形も、レ点の入る箇所も、全ては原文ママだ。
石榴が紅茶を淹れてきた。都築は、香りをじっくり味わって、優雅に唇を湿らせた。どちらかといえばコーヒー派だが、吉良家の紅茶はそこらのコーヒーを超えた。喉が優しく潤い、温もる。軽く喉を鳴らし、声を調えた。
「まずは、「竹取物語」のあらすじを説明しよう」
都築が話している間、キララの表情は実に豊かだった。かぐや姫が竹から生まれる冒頭はさすがに授業で聞いて覚えていたようだったが、5人の公達の求婚についてはあまり理解できていなかったらしい。公達の安否やかぐや姫の返答に、目を瞠り、口を抑え、胸を撫で下ろしている。帝が登場してからはキララの興奮も更にヒートアップした。帝とかぐや姫のやり取りに少女らしく頬を染め、月からの迎えに前のめりになり、かぐや姫たちの別れに涙を流した。
「カグヤちゃん、お話ジョウズ〜」
石榴がさり気なく渡したティッシュをつまみ、鼻をかみながら、キララが尊敬の眼差しを都築に向けてくる。
「これで話の流れは分かっただろ?」
正確に直訳なんかできなくても、大まかな流れさえ分かっていれば、苦手意識はグッと弱まる。こういうのは文字で追うより、心で覚えるほうが早い。特にキララはそうだろう。
「うん、チョット分かった。でも分からない!」
「?」
どこが分からなかったのだろう。話をしている間、キララはちゃんと理解しているように見えていたが。首を傾げる都築に、キララは不思議そうに呟いた。
「なんで、カグヤは月に帰らなくちゃイケナイ?」
「あー…それはテストに出ないから気にする必要はないよ」
その答えにキララは納得いっていないようだった。まっすぐ見つめられ、苦し紛れの吐息が溢れる。都築は所在無さげに指を絡ませ、もう一つため息をついた。
「かぐや姫が地球に来たのは罪を償うためだって説がある。罪を償い終わったから、月に帰れることになったんだ」
「ツミ? 罪?」
「そう」
「じゃあ、嬉しかった?」
「へ?」
予想外の質問に思わず素っ頓狂な声が出る。意図が分からず黙っていると、キララは自分の質問に自分で納得するかのように、大きくこくんと頷いた。
「だって、ユルサレタから月に帰れたんでしょ」
そう言って、間髪入れずに「おや?」と首を捻っている。
「ン?…でも、泣いてたってことは帰りたくなかった?」
「うん」
「ソウナの?」
返事をしてしまって、都築は後悔した。キララは不思議そうにこちらを見ている。都築は首を左右に振った。まるで邪念を振り払うように。
「大罪を犯したってのに、知らなかったとはいえ、翁や媼は大切に育ててくれたし、帝も良くしてくれた。情は湧いてただろうね。それに…」
「それに?」
「…いや、何でもない」
膝に置いた拳に力が入る。
「何でもないんだ」
◇
「テストに出るのはだいたい冒頭か最後の富士山のところだから、その部分はできれば暗記。Learning by heartだ。あとは、単語の現代語訳を覚える。テストに出やすい単語は先生が授業中に教えてくれるはずだから」
「Got it!」
「よろしい」
玄関先で靴を履きながらキララに国語テスト必勝法の極意を授ける。帰ろうとした背中を石榴の声が呼び止めた。
「本当に夕飯は召し上がらないので?」
「…えぇ。お気遣いありがとうございます」
来たときよりも幾分眼差しの優しくなった石榴に頭を下げる。顔の良さだけではない、れっきとした教師だと少しは認めてもらえたようだ。
吉良邸の今日の夕飯はどうやらビーフシチューらしい。キララに教えている最中から、美味しそうなシチューの匂いが部屋の中に充満していた。さぞやいい牛肉を使っているに違いない。ちらりと見えた肉の塊を思い出し、都築は涎がこぼれそうになる口元を軽く拭った。
外はすでに暗かった。スマホで時刻を確認する。まだ間に合う。寄りたいところがあったので、ビーフシチューを断った。
馴染みの暖簾が見えてきた。その奥から暖かな灯りが溢れている。都築の足は自然と早駆けた。
慌ただしく戸を開くと、おでんの出汁の香りに胃袋を掴まれ、同時にいつもの笑顔に目がくらむ。
「あっ、かぐやちゃん! いらっしゃい!」
都築はとても満ち足りた。
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