第15話 餅まき

 夏祭りから3日が経った。都築はひっそりと夏風邪をひいていた。


 免疫力が低下した理由?

 慣れない土地での初めての夏に、体がついていかなかっただけだ。うん、それしか考えられない。


 どうにも調子が悪いと思ったのは祭の翌朝。頭が重く、足がふらついた。体温計に表示された38度の高熱につられるようにみるみる体調が悪化し、部活を休むと連絡してから、こんこんと眠り続けて丸2日。


 体調が悪いときに見る夢はどうしていつも奇天烈なのだろう。赤い悪夢にうなされながら、迎えた3日目の今日は、かなり体が楽になっていた。体温計も微熱止まり。都築はベッドに腰掛け、前髪を掻き上げた。


「念のため今日まで休むか」


 スマホを手に取り、ロックを解除する。画面は古松に連絡したときのままだった。


 ―夏風邪を引いたようです。2、3日部活を休ませてもらいます。申し訳ないです―


 意識朦朧としていたはずだが、案外冷静な文章が送れていることにほっとした。余計なことなど何一つ書かれていない、模範的な文章。明日から復帰すると再び古松に送信し、スマホをパジャマの胸ポケットに入れ、のそりのそりと部屋を横断する。


 冷蔵庫を開けると、すっからかんだった。普段から空に近い冷蔵庫は2日間の引きこもりで寸分違わず空になっていた。


 微かな機械音とその機械から伝ってくる冷えた空気が、微熱の体温に心地良い。うつらうつらと瞳を閉じかけた瞬間、胸ポケットのスマホが震えて我に返った。


 画面に映し出されたのは「若槻暁」の文字。


 その瞬間、花火の破裂音が脳内に響いた。


 斜め前のゴミ箱に水風船の残骸が投げ捨てられていた。白地に金で模様が描かれた、あの日、佐野にもらった水風船。金と言えば、馴染みのない金色の髪――溢れ出す記憶に蓋でもするように、勢いよく冷蔵庫を閉めると、震え続けるスマホを再び胸ポケットに押し込み、熱い眼を両手で覆った。


「…コンビニ行くか」


 ♢


 コンビニに行くのは久しぶりだった。この街に来た当初は、何か足りなければ、それこそ惰性で全国チェーンのコンビニに足を運んでいたが、今では地域密着のスーパーや八百屋が都築の主戦場である。それにしたって、食事のメインは小うさぎ亭だ。本当は今だって女将の出汁巻き玉子が食べたい。


 だが、しかし―


(「また行きづらくなってしまった」)


 コンビニに並ぶ手持ち花火を見て、せっかく蓋した記憶が蘇った。暁の頬に触れた少女の潤んだ唇。口紅なのか色付きリップなのか、どちらにせよ、少女は綺麗におめかししていた。それもこれもきっと、暁のため。


 少女がどうして着飾ったのか。その気持ちは容易に想像できる。そしてあの日、暁だって浴衣を着ていた。今年の夏祭は一生に一度しかない。頭を掻きむしりたくなる衝動を、腕に爪を立て、堪える。


 金髪の少女は噂の令嬢、吉良キララだろう。一目で分かる都会のオーラ。こんな田舎には到底似つかわしくない。言うなれば異世界の住人。なのに、あの豪邸が完成したら彼女はここに住むという。都会育ちのお嬢様が、こんな田舎で生きていけるだろうか。


(「年寄りの方言は聞き取れないし、今まで見たこともないようなバカでかいカエルだっているんだぞ」)


 同じく余所者の自分のことを棚にあげ、都築はそんなことを考えていた。


 気付けば、コンビニで随分時間が経っていた。目の前の花火に手を伸ばす小学生の姿に、都築はようやく本来の目的を思い出した。こだわりも何もない食料を適当にかごに入れる。会計を済ませ、ビニール袋片手に外に出ると、太陽が真ん中近くまで昇っていた。


(「どうあれ、俺には関係ないことだ」)


 キララの人生は元より、暁の人生だって、都築には全く関係がない。今たまたま、教師と生徒として、人生が交わっているだけで、時が経てばこの関係性も終わるのだ。


(「所詮それだけの付き合いだ。全て俺の望みどおりじゃないか」)


 都築はこの街について知らないうちに詳しくなっていた。だから、考え事をしながらでも間違わずに帰り道を進んでいけた。


 コンビニから都築の家の途中には丁字路がある。行くときはなぜか避けたくて、別の道を通ったので気が付かなかった。丁字路には大豪邸が建っていた。少し前まで骨組みだけだった大豪邸(仮)が、今や立派にそびえ立っている。道路にはわらわらと人が集まっていた。大人も子どもも上を見上げ、何やら楽しそうに瞳を輝かせている。


(「上を見て、いいことなんかない」)


 都築はそのまま歩き去ろうとした。その時、風とともにカラカラと何かがから回る心地良い音がして、人々から歓声が湧き上がった。だから、つられてつい見上げてしまった。


 見上げた先、目に映ったのは、5色の吹き流し。矢車にくくられたその旗は、優雅に空を舞っている。


 ――旗が立ったらそれが合図――


 いつかの暁が言っていた。都築に見せたいと言っていた。これが「餅まき」、その合図。


 人々の視線は屋根上の人物に注がれていた。金色の髪を輝かせ、威風堂々と下界を見下ろす少女。いや、美少女。ノースリーブの白シャツにジーンズというシンプルを着こなす、まるでモデルのような美少女が人々の頭上に姿を現したのである。


 その姿は、神々しくさえあった。都築は無性に恥ずかしくなってきた。自分の姿を省みる。病み上がりだったし、家に帰ったらすぐまた寝ようと思っていた。だから、寝癖の残る腑抜け顔に、ラフな格好でつっかけときたものだ。


(「彼女の方がよっぽど、かぐや姫じゃないか」)


 あんなかぐや姫ならお似合いだろう。

 誰とかって? 言うまでもない。あいつだよ、あいつ。


「かぐやちゃん!!」


 突然聞こえてきたその声に、都築の心臓が高鳴った。冷蔵庫の前では、電話にでる気にさえならなかったのに、聞いてしまえばこうも心が弾むのか。その事実に都築は自分のことながら驚いた。


 屋根上には暁がいた。いつの間にか少女の隣に並び立っている。都築の心は弾んで、そして、すぐに沈んだ。美男美女がお揃いで目に沁みる。そういえば、餅を撒くのだと言っていた。暁は都築に向かって手を振っている。


「かぐやちゃん!! 今行くからちょっと待ってて!!」


「行く」って今から餅を撒かなきゃだろうに。焦ったような暁の声に、自然と周りの人の視線も都築に集まる。


 不思議そうに探りを入れる他人からの不躾な視線は、当然心地の良いものではなかった。堪らず視線を下に落とすと、今度はつっかけの足がどうにも気になってきた。あまりに心もとなく、いたたまれないこの状況。何より暁に会いたくない。都築は構わず歩き出した。


「あっ、かぐやちゃん!!!」


 暁の悲鳴にも似た声が、都築の背中に浴びせられる。都築はそれも無視して足早に進んだ。正直、今は誰とも話したくない。


 こういうときはいつだって、心に巣くった小さな、だけど厄介な虫が、都築を孤独にさせたがった。その寄生虫は、一人になった宿主を人知れず内側から蝕んでいく。


 そうは言っても、都築の寄生虫は可愛いものだった。少しずつ、少しずつ。齧っては舐め、齧っては舐め。決して、宿主を殺すことはない。自嘲気味に受け入れることが出来る程度の絶妙なダメージ。


 おかげで都築の心はいつもどこか欠けている。満月のように心が満ち足りることはない。自分の心のことなのに、自分でどうにもコントロールできないもどかしさ。


 それでも、そうやって幼い頃から、都築はこの偏屈な虫と共に生きている。これからだってそうに違いない。そして、今この瞬間も、その面倒で厄介なタイミングというだけだ。


 突然、人々の悲鳴が耳を劈いた。同時に鈍い衝撃音がして、都築はようやく帰る足を止めた。振り返った先、顔面蒼白の人集りが地面の一点を見つめている。


 一瞬、辺りがしんと静まり返った。矢車の空回りだけが虚しく響いている。しかし、すぐに怒声混じりの喧騒に包まれた。


「キョウちゃん!」

「誰か、救急車っ!」

「女将…月見荘の女将にも連絡、早く!!」

「暁くん、暁くん、聞こえる!?」


 心臓がバクンと波打った。コンビニ袋を落としたが、気がつかなかった。気づけば、都築は半ば転げそうになりながら群衆の中を掻き分けていた。


 目の前に現れた光景に頭が真っ白になる。

 さっきまで屋根上にいた暁が、地面にごろりと転がっている。


 その瞬間、都築の飼っていたちっぽけな虫はハンマーに叩き潰された。と同時に、都築の心も粉々に崩れ散った。

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