第14話 夏祭り

 遠くから祭囃しが聞こえてくる。街をあげての年に一度の夏祭り。すっかり寂れた温泉街もこの日ばかりは賑わいを取り戻す。明かりを灯した提灯が凸凹の人波の上を賑やかに飾っていた。


「都築先生と佐野先生は、あっちから見回ってきて下さい」


 体育教師の増山が、見回りパトロールの腕章を寄越しながら、出店屋台の並ぶ通りを指さした。佐野は、眼鏡を掛けた線の細い物静かな世界史の教師である。都築もそれほどガタイは良くない。細めの教師二人の前に、立ちはだかるのは、肩幅最強増山と胸板極厚宮原だ。


 英語教師の宮原は、堤防へと続く人気の少ない道に向かってサムズアップした。


「こっちは僕たちに任せてください。それじゃあ、Let's go Mr.増山!」


 増山は腕まくりしてむき出しになった強肩を、ぐるぐる回して唸らしている。


「今年はどんな悪ガキがいるかな…!」


 のしのしと歩き去る二人の広い背中がえらく頼もしい。佐野がこっそり教えてくれた。二人の向かう先は、毎年、誰かしら非行少年が屯している有名な場所らしい。言わば、見回りパトロールの穴場スポット……なんだそれは。


 都築は、佐野と連れ立って、オレンジに輝く出店通りへ繰り出した。


 ◇


「かぐやセンセと佐野っちだー!」


 顔と同じくらい大きな綿あめを手に、こちらを指差す少女たち。あれは都築が国語を教えている一年三組の生徒である。手を上げ、にこりと応えると、少女たちはきゃっきゃっと笑って、人混みの中へ軽やかに消えていった。パトロールを始めてから何度目かの光景だ。


 見慣れた制服と違い、浴衣姿は学生たちを随分と大人びて見えさせた。涼し気な目尻に、色鮮かな口元。学校では禁止されている化粧だってしているのだろう。そこまで見回れとは言われていないので、都築も佐野も放っている。


 誰かに見せるために、誰かによく思われたいために、努力することをいったい誰が咎められようか。


 今夜この町は盛大に浮かれている。小さな田舎の数少ないハレノヒ。都築だって水をさすような野暮なことはしたくない。


(「祭りなんて久しぶりだ」)


 チョコバナナもう1本を賭けて店主とじゃんけんする子ども。かき氷片手に、緑と青に染まった舌を見せ合う少女たち。浴衣姿の彼女から目が離せない坊主の少年。手を繋ぐタイミングを探り合う、おそらく恋人未満の2人。


 どれもこれも三者三様で、だけどみんなとても楽しそうで、眺めているだけで、心が弾む。


 祭り囃子に鉄板とコテが重なる音。箸巻きのソースにクレープの甘い生地の香り。赤い金魚とカラフルな水風船。人の波に、見上げれば星月夜。おもちゃみたいな三日月が穏やかに微笑んでいる。


「かぐや先生ー!」


 声のした方を振り返れば、人混みの先、カルタ部1年の山里カレンがこちらに手を振り、ぴょんぴょんと飛び跳ねていた。佐野が察して、道脇を指差す。


「私、少し休んでおきます。そこに居ますから」


 都築は佐野の背中に会釈すると、山里の元へ歩み寄った。彼女の声に反応したのか、近くにいたらしい小倉と天野も集まってきた。かしましカルタ部1年生ズが勢揃いである。3人とも浴衣姿で、やらしい意味はなく、素直にみんな可愛らしいと思う。


「あれ、古松くんは?」


 今夜の我らが主役、恋する少年Fの姿が見当たらず、そう尋ねると、焼きとうもろこしを齧る寸前の天野が呆れたように項垂れた。


「はぐれました。部長ってなんかどんくさいっていうか…」


 残りの2人が揃ってうなずく。都築は苦笑した。古松らしいと言えば古松らしい。


「じゃあ、りんご飴は3人分だね」

「「「やったぁ」」」


 先日の約束どおり、りんご飴をご馳走し、ついでに自分と佐野の分も買って、都築はパトロールを再開した。


 紅いりんごを覆い隠す分厚い飴をカリッとやる。舌を切らないように慎重に。三角の欠片を口の中で転がすと、ほんのり甘くて舌が喜んだ。


「ご機嫌ですね」


 佐野が不思議そうにこちらを見ている。言われてみてハッとする。そうか、自分はご機嫌なのか。今は、佐野の眼鏡に反射する祭の灯りさえも、至極愛おしい。


「なんか楽しいですね」


 照れつつも正直にそう笑うと、佐野が目をパチクリさせていた。見回りパトロールの何が楽しいのか。きっとそう思ったに違いない。


 誤解を解く必要性は感じなかった。自身に縁もゆかりもない田舎町。誰一人知らぬ土地でスタートした新生活を、都築はすっかり気に入っている。


 世間は――特に田舎の世間は――狭いもので、祭にはどこかで見たことのある顔がたくさんいた。


 八百屋でいつも客と長話しをしている店主。スーパーで早打ちレジ打ちを披露している手練おばさん。公園で毎日ゲートボールしている老人たち。いつもいく美容室の家族一家。


 その誰もが楽しそうで、そして、それを嬉しく思える自分がいる。みんなが幸せで自分も幸せ。楽しくないわけがない。


 パトロールの終わりに、佐野が水風船を買ってくれた。白地に金の模様が飾られた水風船。りんご飴のお礼だという。第2班にパトロールの腕章を引き継いでいると、歓声とともに花火が上がった。


 夜空に咲く大輪の花。祭のフィナーレに相応しい輝かしさ。見上げる人々の頬を炎色反応で色づく花火が照らしている。この瞬間、街中の人々がこの天を見上げているのだと思うと、胸に込み上げるものがある。


 1年生ズも見ているだろう。花より団子の彼女たちは、なんだかんだで各々手に食べ物を持っているに違いない。


 そういえば、古松。彼は鹿音と会えただろうか。そのためにあの日カルタ部全員でミーティングしたのだ。どうか会えていて欲しい。少しでも長く同じ時を刻んでいてほしい。この夏は一生に一度しかない。


 そして―


(「いなかったな…」)


 祭の人混みの中に暁の姿は見あたらなかった。万一、都築が見逃していたとしても、もし祭に来ていたら、向こうから声を掛けてくるはずだ。


(「小うさぎ亭に顔出すか」)


 きっと月見荘の手伝いで忙しかったのだろう。もしかしたら、祭気分を少しも味わえていないかもしれない。こんなに楽しいのに、それはあんまり可哀想だ。そういえば、家から花火が見られると言っていた。今頃ちょうど、音につられて花火を見上げている頃かもしれない。


 お祭会場から月見荘へは歩いて数分の距離だった。今から行けば、花火が終わる前には余裕で着く。水風船をお土産にしてもいい。祭っぽくて良いだろう。


(「喜ぶだろうか」)


 きっと喜ぶ。はにかむように喜ぶ顔が容易に想像できる。


 花火の上がる音を背に、都築は足早に月見荘へと向かって行った。


 いつもは通らない裏道を抜け、角を曲がり、少し歩けば、早速、月見荘が見えてきた。見慣れた灯りに気が緩んだのか、その時、指からスルッと水風船が抜け落ちた。地面に弾み、転がる水風船を慌てて追いかける。しかし、水風船は小石に当たってピシャッと破裂した。


 冷や水がパンツの裾を濡らしていた。せっかくの愉快なお祭気分。水をさされたようで、都築は少しムッとした。破れた水風船を拾い上げようと屈んだその瞬間、楽しげな女の声が月見荘から聞こえてきた。


「キョウちゃん、待って♪」


 水風船の残骸を片手に、声のした方を見やると、ちょうど浴衣姿の若い男女が月見荘から出てくるところだった。先に行く男の袖を、女がつかみ引っ張っている。女の結い上げられた髪が、このあたりでは珍しい金髪で、都築はつい見とれてしまった。


「もーお! 待て待て!」


 その拗ねた口調で、それが女ではなくまだ年若い少女なのだと気がついた。高校生くらいかもしれない。一方、男は何か急いでいるようだった。少女に構う様子もなく、すたすたと先へ進んでいく。少女は言っても無駄だと諦めたのか、突然、男の背中に飛び乗った。強制おんぶ。少女の浴衣はめくれ、白い素足が覗いている。男は一瞬よろめいたものの、慣れた手付きで少女を抱えあげ、ついでに浴衣の乱れも直していた。その男の横顔に、都築は思わず声をあげそうになった。


 それは紛れもなく暁だった。浴衣姿の暁はいつもより大人びて見えた。その背には美しい金髪の少女――どこからどう見てもお似合いだ。


 都築の心臓が跳ね、体は萎縮した。頭の中が真っ白になった。少女が暁の頬にキスをした。都築は目を瞠った。心臓がドクドクうるさい。暁はキスを拒まなかった。まるで慣れている。


 花火の音がクライマックスを伝えている。しゃがんだまま、息を殺し、体を縮こませる都築の姿に、若い二人は気が付く様子もない。一瞬にも永遠にも感じられる時間を、都築はただじっと石ころのように固まって凌いでいた。


 そのうち、暁は少女を背負ったままお祭会場へと消えていった。誰かと違って、正面通りを、堂々と。


 その日、結局、都築は小うさぎ亭には行かなかった。祭の残響を遠巻きに、淡々と夜道を帰っていった。今夜は三日月。弧を描く月は、まるで意地悪く笑っているように見える。


 それでも都築は本心から思っていた。


(「みんなが幸せで自分も幸せだ…」)

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