第13話 綿雲
夏休み中もカルタ部は、元気いっぱいハイ喜んで部活動を続けている。
基本は朝の9時から夕方5時まで。一日みっちりやれば5試合、多ければ6試合はこなせるが、これはかなりキツめのスケジュールである。しかし、こうやって地道に持久力を培っていくしかない。たった一日で一回戦から決勝まで終わらせることが多い競技かるたの大会においては、連戦連勝してもバテない持久力がなくてはならないのである。
「遅くなってごめん」
「かぐや先生、いいところに」
そう言って手招きしたのは新部長の古松だ。広い和室の真ん中に部員5人が集まって顔を突き合わせている。
「何? どうかしたの?」
試合もせず、神妙な顔つきでこちらを見あげる部員たちに、何かまずいことでも起きたのだろうかと、都築の体は一瞬強張った。
誰かが退部するだとか、もしくは怪我したとか…?
無造作にカバンを投げ捨て、輪の中に入る。ざっと感じでは、誰も怪我はしていない。そのことに取り敢えず安堵しつつ、正面にいた
「どうしたんだ」
暁はスマホを手に胡座をかいていた。少し困ったような、なんともいえない表情で都築を見やり、そして呟いた。
「分からないんだって」
他の部員が暁に同意するように首を縦に振り下ろす。さっぱり要領を得ない。都築は眉を顰めた。
「何が」
その瞬間、古松が大きなため息とともに、体を仰け反らせた。
「今度の花火大会、どうしたら
古松は、打ち上げられたクジラのようにやるせなく畳に身を投げだした。一年生の女子たちがよしよしと宥めている。暁はその様子を見下ろし、苦笑いしていた。
「さっきからずっとこんな感じ」
少し前から、街のいたるところに陽気な夏祭りのポスターが貼られていた。日時はもうニ日後の土曜日夕方。メインイベントは祭りの最後に上がる8000発の打ち上げ花火。こんなに小さな田舎街にしては、なかなかの規模の花火である。最近ではすれ違う学生たちもずいぶん浮足立っていることには気がついていた。おかげで都築もパトロールに駆り出されることになっている。
「そんなの、普通に誘えばいいと思うよ」
何事もなくて良かったとほっとしたのが半分、なんだそんなことかと呆れたのが半分。体から一気に力が抜けていった。がくりと肩を落とすと、畳に打ち上げられたまま、うらめしそうにこちらを見上げる古松と目が合った。
「そりゃ先生はそうでしょうよ」
「はい?」
古松は身を起こし、Tシャツについた畳クズを苛立たしげに払った。
「そりゃ先生ほどの顔面が誘えば百発百中でしょうよ」
「そんなことはない」と喉まで出掛かったが、都築はその言葉を飲み込んだ。都築が誘って成功したことなどない。誘われるばかりで誘ったことなどないからだ。そんなことを言ったら火に油を注ぐ。ここは、無難な返答にとどめておく。
「でも、とりあえず誘ってみないと何も始まらないだろう」
「断られたらどうするんですか」
「それは…諦めるしかないよ。奥山さんにも都合があるかもしれないし」
そうとしか言いようがない。ここで悩んでいても何も話は進まない。実際、すでに予定が入っている可能性だってある。何事にも「縁」があるのだ。どうあがいても上手く行かない。そういう縁だって当然ある。
(「そう割り切れれば、苦労しないんだけどな」)
頭では分かっていても、心が理解を拒む。これは生物としてのバグだ。有史以来、このバグのせいで、いったいどれだけの人間が命を落とすことになっただろう。心を完全にコントロールできていれば、防げた悲劇が数多ある。
古松がこの世の終わりとばかりの悲鳴を上げた。
「今年の夏は今年だけなんですよ!! もう二度とこの夏は来ないんです!! もっと真面目に考えてくださいぃぃい!!!」
「無茶苦茶言うなぁ…」
古松はすでに一度鹿音に振られている。わりとなんの未練もなく、あっさりばっさり振られている。その上、鹿音の部活が終わった今、学年の違う二人には前ほどの接点はない。同じクラスの女子との方がよっぽど接する時間が多いだろう。合理的に考えるならば、クラスの女子の方が可能性は高い。つまり、古松は、絶賛バグ真っ最中なのである。
都築は暁に視線を向けた。暁は一人黙々とスマホをいじっていた。画面を見つめ、そしてふいに微笑んだ。勢いよく顔をあげ、都築と目が合うと、さらに嬉しそうに、にっと笑った。都築は思わず仰け反った。最近思う。暁の笑顔は凶気であると。暁はみんなをぐるりと見渡した。
「鹿音先輩、行けるって!」
「ファッ!?」
古松が素っ頓狂な声とともに振り返った。暁がこくりと頷き返している。
「カルタ部で夏祭り行くみたいだけど、一緒にどうですかって聞いたら、花火だけ見に来るって」
「若槻くん…!」
歓喜の表情でじゃれつく古松。暁は片手であしらっている。
「みんなも巻き込んじゃったけど予定大丈夫だった? 勝手にごめんね」
「問題ナッシングです」
一年生ズはきれいに正座し、揃って深くお辞儀した。小倉ミオが思い出したように都築を振り返る。
「先生も来ますよね?」
「いや、自分はパトロールがあるから。でも、ばったり会ったら、リンゴ飴の一つくらいご馳走するよ」
喜びの声が和室に響いた。思いつきで言ったものの、みんなの反応を内心喜んでいる自分がいる。時計を見るともう16時半。あと一試合は時間的に無理。今日はこれにてお開きだ。何より、みんなの気持ちがすでに夏祭り一色である。それは都築も御多分に漏れずなのだが。
「浴衣着ていく?」
「行く〜」
「私、黄色しかもってない」
「黄色かわいいじゃん。天野ちゃん似合うよ」
「鹿音先輩の浴衣姿…」
「先輩、着てくるかな?」
「着なさそうかも〜」
「来てくれるだけで満足しなきゃですよ、部長」
「確かに……でもさ…期待しちゃうなぁ!」
「暁くんは浴衣? おばさん着付けしてくれそうだし」
みんなの視線が暁に集まる。暁はヘラっと笑った。
「オレ、多分行けない。
暁以外の全員が「えっ?」と声をあげた。都築だってそうである。当の本人暁はというと、キョトンとしている。古松がおずおずと尋ねた。
「てことは、ボクのために鹿音先輩を誘ってくれたの?」
「え、うん…」
全員から注がれる視線に、暁は気恥しそうに目を逸らし、彷徨わせ、最終的に窓の外を流れる綿雲を見定めながら、胡座をかいた自分の両膝をぎゅっと掴んだ。
「だって、好きな人と今年だけの花火見たい気持ち、オレにも分かるから…」
そう呟いた少年の耳は真っ赤だった。彼の言う「好きな人」とは誰なのだろう。なんとなく想像がつき、都築の首筋は熱くなった。にやけそうになるのを堪えるのが大変だ。自意識過剰な体だと頭では理解している。
(「だけど―」)
この感覚は嫌いじゃない。このくらいの熱ならば、なんてことはないのだから。
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