第5話 カルタ部

 月日は流れた。桜はすっかり葉桜へと色を変え、新米教師都築つづきも少しずつ新たな生活に慣れ始めてきた。そんなある日の放課後。


 都築は理科棟にある和室の戸を勢いよく引いた。


「みんな大変だ!」


 ジャージ姿の男女四人が畳に座ったまま都築を振り返る。二人一組で向かい合い、その間には裏返した百人一首の札が無造作に置かれていた。ちょうど試合を始めるところだったらしい。


 一人椅子に座り、テーブルで読み札をシャッフルしていたポニーテールの少女が都築に鋭い視線を投げかけた。


「どうしました?」


 彼女は唯一の三年生。赤縁眼鏡が印象的な奥山おくやま鹿音かのん。五人しかいない宇喜多高校カルタ部の部長である。


 本人にそのつもりはないのだが、妙な威圧感があり、彼女のことをよく知らない人間からは少し恐れられている。


 さきほども、特段都築のことを睨んだわけでは無かったのだが、都築はこれから彼女たちに言わなければならない内容も相まって「めちゃめちゃ睨まれてる!」とすっかり萎縮してしまった。


「何も無いなら試合始めます。先生も早く着替えてください」


 都築が来たことで、この和室にいる人数は六人、偶数になった。鹿音はさっきまでシャッフルしていた読み札を箱に戻すと、自動読み上げ機のリモコンと取札を手に、先に座っていた二組の横に腰を下ろした。毎年、夏に行われるカルタの全国大会、その県予選までもうあまり日がない。


 都築は布で覆っただけの簡易的な更衣室でいそいそとTシャツとジャージに着替えた。そして、都築の分の取札を5枚ずつ5束に揃えて準備していた鹿音の前に正座した。と同時に鹿音がストップウォッチに手を伸ばしかけたが、都築はそれを制した。


「ちょっと待って。その前に、みんなに言わないといけないことがあります」


 その一声に、隣で札を並べ終えていた四人が都築を振り返った。正面の鹿音にいたってはやっぱり睨んでいるように見える。都築は無意識に姿勢を正していた。


「この和室ですが、来週からしばらく茶道部と一日交代で使うことになりました」


 えっ、と声を上げたのは一年の山里カレンである。


「だって、茶道部には茶室がありますよね?」

「うん。その茶室に改修工事が入るみたいで、半年くらいかかるって」


 今度は唯一の二年生、古松ふるまつとしきが控えめに口を挟んだ。


「だからってカルタ部の部室を奪わなくても…」


 残りの一年生、天野と小倉もこれに同調するように首を上下させる。


「それも言った。だけど…」


 都築はさきほど行われた職員会議の様子を思い出し、胃がキュッと痛くなった。


「そもそもここはカルタ部の部室じゃないらしい。和室は全校生徒のための部屋で、たまたま誰も使ってなかったからカルタ部が使ってただけみたいで」


 長年カルタ部以外に使われることもなかった空き部屋を、今更全校生徒のものだと言われても納得できない。当然だろう。しかし、部の規模や実績を考えると、今まで黙認されてきたことをむしろ感謝しなければならない立場であることも悔しいながら事実だった。


 古松が鹿音をちらりと見た。


「でも、県予選もうすぐなのに…」


 その一言にみんなの視線が鹿音に集まった。三年生の彼女にとってこれが高校最後の団体戦になるかもしれない。それを万全の状態で迎えさせてあげられないなんてあんまりじゃないか。みんなの視線が暗にそう訴えている。


 そんな視線を向けられた当人は、何も言わず畳の縁をじっと見ていた。そして、さっとストップウォッチを手に取ると、いつもどおりの淡々とした口調で言った。


「決まったことならしょうがない。それより、早く試合を始めましょう。暗記時間今から15分です」


 ◇◇◇


 鹿音VSバーサス都築の試合は、都築の勝利で終わった。B級の鹿音に、現役でないとはいえ、A級の都築が負けるわけにはいかなかった。だから、この結果は、特に変わったことではなく、いつもどおりのことなのだが―


 都築は自身が取った札の枚数を数えた。


(「20枚…」)


 本来なら25枚取らなければ勝てないところを今回は20枚で勝っている。鹿音が5回もお手つきしたからだ。いつもの彼女ならほとんどお手つきはしない。丁寧で正確な札の取り方をする。彼女はそういうスタイルの選手だ。だから、こんなことは初めてだった。明らかにいつもどおりではない。


 しかし、伏し目がちの彼女の表情はいつもと変わらないように見えた。


 都築は自分の不甲斐なさに胸が張り裂けそうになった。

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