1日目
目を覚ますとそこは変わらず荒んだ自分の部屋だった。時計を見ると午前10時、留年が確定したというのにこんなに清々しい気分なのは何故なのだろうか。
別に初めから学校に行っていないわけではなかった。朝早く目覚めてカーテンを開けコーヒーを飲む。そしてバックを背に持ち玄関の扉をあげる。
そんな当たり前のことができなくなったのはいつだろうか。僕は少しだけこの世界の人間から離れていて。可笑しいと後ろ指をさされる。そんなマイノリティを矯正する学校に嫌気がさしたんだっけ。
僕は身体を起こすと昔やっていたようにカーテンを開けコーヒーを入れた。今日も日差しを浴びることになるとは思わなかった。昨日の自分が怒っている。そんな気がした。
やがてコーヒーのあの芳ばしい香りが鼻腔を擽り始める。昔は毎日のようにこの香りを嗅いでいたのかと少し懐かしい気持ちに心を浸した。
コーヒーを入れたポットが空っぽになり僕はようやくその腰を上げた。他所行きの藍色の服を身に纏いジーンズパンツにYシャツ。黒の靴下を履く。
今は亡き父親からもらった財布を少しを大きめのリュックに突っ込み僕は自分の荒れた部屋にさよならを告げる。その予定だ。
玄関に立つ。暫くぶりの木でできた扉に手をかける。これから僕に未曾有の日差しをはじめとした沢山の困難が降り注ぐだろう。
しかしそんなことはどうでも良かった。周りと違う何かを見つけるため。自分だけのオンリーワンを見つけるために僕はその扉を開けた。
一歩外に出ると、これはもう太陽の主張が凄まじいもので透明な針が自分の皮膚を刺してくるような痛みを感じた。
僕はたまらず部屋に閉じ籠ろうと扉に手をかけたが扉は開かなかった。当たり前だ。僕は自分自身で鍵をかけたんだ。
太陽との数分の格闘の末、僕は太陽との戦いに勝利することができた。痛かった日差しを克服し、目も光に慣れた。これはおそらく大きな成長だろう。そう信じたい。偉大なる一歩を踏み出したところで僕は1つの問題に直面することになる。
ここから大きな駅までは徒歩で12kmほどあることに。ひたすらに長いその道は慣れたはずの太陽が僕の前進をひたすらに邪魔してくるのだ。
水分が奪われる。引きこもりだった人間がいきなりこんな距離歩くと熱中症になってしまう。僕は今、干物になりかけている。
汗が頬を滴る。体温が上昇の一途を辿る。僕が限界を迎えている所に一つのカフェを見つけた。
「レゾン・ド・ノワール」
木目調の看板に目を引かれた。
こんな店知らないぞ。
僕はすかさずその建物に入っていた。扉を開くと涼しげなベルの音が鳴る。上を見上げると金メッキのされた小さな鐘が僕の来店を告げていた。
席は1つ、カウンターだけ。
僕は席に座った。こんなカフェに入ることは今まで無かったから少しだけ身体がこわばっている。
店内は涼しい、が冷房がない。僕が不思議がっていると奥の方からマスターらしきおじいさんがやってきた。綺麗なスーツを着こなしていた。
「こんな真夏に大きなバックをお持ちになられて旅行ですか?」
おじいさんは柔らかな笑みを浮かべて僕に話しかける。
「今から一人旅に行くんです」
人と話すのなんて何年ぶりだろうか。こういう風にコミュニケーションを取るのは不得手な筈なのだが言葉がするすると口から漏れ出してきた。
「そりゃいい!若い頃には色々な経験をするのが一番ですからね。」
そう言ったマスターは氷の入った珈琲と茶菓子を僕に出してきた。注文していないのにこれから頼むものが今提供されている。
「あの。なんで僕が頼もうとしてたものがわかったんですか?」
気になった僕はすかさず口を開いてしまった。おじいさんはまたやんわりと笑みを浮かべて
「経験、ですよ」
と呟いた。
珈琲のグラスが空っぽになる、自分で淹れるものよりも1段も2段も深い味がした。これが経験なんだろうか。
「お代はいりません。旅の幸運を心から祈っています」
おじいさんはやがて次の珈琲の準備を始める。少しだけ曲がった背中には沢山の物を抱え込んできた、その重みを感じることができた。
リュックを背負い、扉を開ける。僕の旅立ちを告げるベルの音がずっと店内に響いていた。
どこか遠い海町にでも出ようか。レゾン・ド・ノワールの雰囲気を求めて。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます