桜並木

yu3l

桜並木

桜の花弁はひらりとその面を翻して上昇を試みるが、しかしそれは長くは続かず、再び地面へと堕ちてゆく。

三年間歩いた桜並木はつい先日まで葉の一枚もなかった過去など忘れてしまったかの様に、枝葉には桃色のドレスを着こんでいる。

そんな木の枝からは沢山の桜の花弁が離別していく。

長い冬を越し、一年ぶりに花開いたというのに別れを惜しむ素振りなど無く、二つになり、散ってゆく。

再びあえると分かっていてもこの時期の空港は惜別に苛まれた人々で溢れているというのに。

きっと振り返る事など蚊帳の外で、全身刺されて痒みに悶えているのだろう。せめて痒み止めぐらい欲しいものだと思う。


「黄鶴楼にて孟浩然ゆくをおくる」


____そう、いつかの昼下がりの午後、寝ぼけながら聞いた一節だ。昨日ふと思い出した。

あれは確か金曜日の六時間目だったと思う。その時に一筋の閃きが脳を貫き、それまで脳に居座っていた眠気を自ら掘った水堀へ沈めたのをよく覚えてる。

威厳だけの大きな甲冑は戦艦大和顔負けの轟音をたて沈んでいったのだ。

見送る李白は孟浩然との別れを今の、それも海を挟んだ異国の教科書に載る程の詩で飾った。

しかし既に船の上の孟浩然がどう思っていたかはわからないのではないだろうか。そこで思ったのだ。孟浩然は新天地に胸を躍らせていて、案外李白の事は頭にない、と。

いや、知らんけど。

だって古文は苦手だったし。国語も協調も苦手だった。作者の気持ちも、誰かの気持ちもどれだけ勉強したってわからなかったし。わかるのは自分の不甲斐なさとこの迷宮の壁は私にはよじ登れそうにないという事だけ。どこまで続くのかさえもわからない。

それに、その頃とは違い最近の別れの言葉はその意味を軽く、さらに薄くしている。お父さんの髪の毛みたいだ。

きっと孟浩然が現代人ならまず振り返りもしないだろう。お父さんの髪の毛も大金を投じ、育毛剤にる防衛線を構築しているが、抗戦むなしく戦線は日に日に後退している。戦線の崩壊も時間の問題だと言うのは誰の目にも明らかだ。

お母さん曰く、「戦える力が残っている今だからこそ和平協定のテーブルに着かねばならない」だそうだ。

お父さんは相も変わらず徹底抗戦の姿勢を示しているが。きっとカレリア割譲という痛い未来が待っているのだろう。というのも母談だ。

三年という終わりを知らないかに思われた常春は今、まさしく散りゆく桜と共に夏へと向かっている。

聞くに東京は季節を進ませ、どれだけ頭上を見上げようともその鮮やかな桃色を眺める事はもう叶わないらしい。

一度重量の手に掛けられた花びらが再び我々の頭を超す事はないし、いくら声が地球の裏側まで届こうとも、私の気持ちは届かない。

軽んじられているからこそ、想うからこそ、近いからこそ。それだけに届かない。



「………はぁ」

ため息と共に思考の海から顔を出す。そして気が付いた。

さっきまで近かった背中には軽い桃色のモザイクがかかっていている事に。

そして口走ってしまったのだ。私にそんな権利も勇気も時間も、なにもかもないくせに。

「あ、待って」

その瞬間、幼稚園児が砂場に作った生半可な設計思想の重力式ダムが決壊した様に、色々な思考が脳から漏れ出ていく。そして一瞬にして空っぽになった脳内では心臓の鼓動が盛大に反響する。

無駄な思考が驚くべき低さの摩擦係数をたたき出しながら滑り、ありもしない推測が流星群の如く燃え落ちる。

「ちょtりまs」

その結果今私が持ちえる最大限の言語能力を用いても、再現率30%を突破するので精一杯な、間抜けた声が出てしまった。

振り向く彼。そして俯く私。散りゆく桜。

なんとか溺れていた意識をばたつかせ、前へと足を踏み出す。

「気づかないだろうな」

今度は小声で。気づかないように。きっと。多分。そう、確実に。

手の甲に落ちた花弁を再び重力にゆだねる。桜の花びらはひらりと地へ舞う。

すると、狙ったかのように風が吹いた。片目に追っていた花びらは、急上昇し、花吹雪の中へと紛れ、もうその行方は推して図る他なくなった。

大丈夫、温厚な彼の事だ。きっと妄想ぐらいなら笑って許してくれるだろう。顔を上げ、少し走り彼に並ぶ。なんだか鼓動が早いのは運動不足だからに違いない。

















【言い訳】

黄鶴楼の考察は適当なので、実際どうなのかとかはよくわかりません。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

桜並木 yu3l @yi3L

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ