ep.3-2 だから、手、繋ぐでしょ?
里桜とのデートのあと、ラインで少し通話をして……深夜をまわった時間に眠りについた。目が覚めたら昼過ぎで、土曜日とはいえ寝すぎだな。
「……気持ち悪い」
そして、顔を洗いながら、俺はもう何度目かの嗚咽をくり返していた。
胃がむかむかする。
それが前日の食事のせいでないことは分かっている。
いつものことだ。
夢を見て、朝起きて、吐き気がする。日課のようなものだから、慣れてはいる。
ただその夢が原因で俺はいまも恋ができない。
――積極的に待つんです。ヒロが恋をできるその日まで
VR上のデートで、里桜に言われた言葉が頭に浮かぶ。
俺は、恋をできない。
年頃の男子として異性に興味はあるし、そういった本だって、動画だって見る。
そういうイヤらしい意味でなくても、気になる人はいる。
(じゃなきゃナナのことを誘ったりしないしな――)
それに……、里桜のことも音子ちゃんのことも。
大切だし、一緒にいてどきどきしないわけじゃない。
なんか、こういうこと言うと節操ないやつかもしれねーけど。
恋をしたくないんじゃない。
恋をできないだけだ。
心のなかで、しちゃいけないと思ってるんだ。俺にもわからない深層意識的なもんが、そんな動きをしているんだと思う。
「もう3年だぞ」
いい加減にしろよ、と鏡に映る、腑抜けた顔に対して言いたくなる。
まぁ……自分自身の顔だから、いたわるつもりでタオルで拭いてやるのだけど。
引きずっているのは初恋のことだ。
そして夢で見るのはその恋の終わりのシーンばかり。
相手は近所のお姉さんで、
三つほど年上の笑顔の絶えないひとだった。
夏になると俺は、市のコミュニティセンターに涼みに行っていた。
といってもやることもないから、退屈しのぎにスマホゲームを開く毎日だった。
おなじように夏来さんも退屈だったんだと思う。
時折目が合ううちに話をするようになったのがはじまりだった。
夏来さんは足に障がいがあり、杖がなければ立てないひとで――
福祉施設をかねていたそのセンターに、そういった事情もあって通っていたようだった。
そんな彼女が交通事故にあったのは、俺が中学3年の夏のことだ。
「……俺のせいだ」
もし、あのときあの車が信号無視をしなかったとしたら。
もし、彼女の足が健常者と同じくらい動くものだったら、避けることもできたかもしれない。
そんな言い訳はできるわけなかった。
「……俺のせいなんだよ」
そう、俺のせいだ。
あの日、彼女をデートに誘ったりしなければ。
待ち合わせを駅前にしなかったら。
いや、違う。
俺が恋なんてしなかったら――
彼女はまだ生きていたかもしれない。
「……ッう……けほ……けほ」
せっかくすっきりしたばかりというのに、吐き気がぶり返してきて、思わず洗面所に吐いてしまう。
「……なーんか、こういうときって無性に音子ちゃんと喋りたくなるな」
気が楽なんだと思う、たぶん。
これまでエタ・サンで何度も音子ちゃんとデートをできたのも、たぶん楽だからだ。俺にとって楽だからこそ、恋じゃないと思えてたんだ。
――ずる、しちゃいました!
俺は自分の頬に手を当てる。
まだ……アバター越しに感じた感覚が思い出せる。
(少しは先にすすめるような気がしたんだよなぁ)
彼女をすこしずつ好きになってるって気づいてからはやっぱり、吐き気が止まらなくなったんだけどさ――
嫌な体質だ。
再度、口をゆすいで、タオルで拭く。
エタ・サンは俺にとっての良いリハビリアプリみたいなものだった。
でも、ナナが俺の下に現れて、それは現実と地繋ぎで。
ただの恋愛すらできない俺を、あらためて自覚せずにはいられなくなってしまった。
――兄さん。ファーストキス、いただきました
「そういや、あのときは……なんともなかったな」
俺はスマホを手に取り、わざ数メートル先の壁のむこうにいるご近所さんに通話をかける。
『あ、にいさん、どうしたの? 休みの日なのに早いね』
「もう昼だぞ、早くはないって、あのさ。明日のことなんだけど――」
***
「せっかくのデートなのに、玄関前で待ち合わせですか? にいさん」
「いいだろ、どうせ隣同士なんだか――ッ」
玄関のドアが開くとともに聞こえてきたナナからの苦言に、悪態で返そうとした俺は絶句してしまった。
目に入ったのは初めてみる彼女の私服姿、白いノースリーブのワンピースだった。かなり肌が出てる。
その手には羽織る予定のカーディガンを持ってはいるけど。
「なんですか? じろじろ見て」
「いや……先に着てから出てこいよ」
「あー。もしかしてにいさん、わたしのこと意識してます? 義妹に興味あるんですかー?」
鬼の首をとったような態度で、そう言い放つ。
顔がにやついてる。
リアルのナナは、可愛いというより美人系だけど。
いまのは、正直可愛い。
「恥ずかしいからだよ、見てて寒そうだし!」
「えー、エタ・サンの季節ほどじゃないけど、けっこー今日ポカポカ陽気ですよー? にいさん」
「……あー、へいへい」
「なにそのてきとー感! 減点しますよ」
まるでエタ・サンのゲームシステムのようなことを――
俺の言葉に応じるように、手にもつカーディガンを羽織る。
そして、その空いた手を俺に向ける。
「手」
「……ん?」
「だから、手、繋ぐでしょ?」
さも当たり前のように言う義妹に、合わせてその手を握る。
これも当たり前のことかもしれないけど。
――こんなに温かいんだな。ホンモノは
「あたたかいな」
「……え? 汗とかかいてた? ごめん!」
「いや、そうじゃなくて。エタ・サンじゃないからさ」
「あはは。そういうことね、そうだね。あたたかいね。わたしも初めて知ったよ。……じゃあLv①のデートイベントはじめましょーか。ね? にいさん」
日曜の朝、いつものように見た夢の内容は変わらなかったし。
繰り返す嘔吐感を押し込めて部屋を出たのも変わらなくて。
ただ、ナナとのファーストデートの始まりは俺のトラウマを薄めていくようだった。まるで氷の溶けだした夏の日のサイダーのように。
たしかに薄まっていくのを感じた。
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