25:終わらない夏
地上のフロアへと這い上がったとき、ビビは淋しい顔をしていた。
ジャコもウィジャもフィズィもTレックスもクールルも、みんないなくなっていたから。
数日間だけとはいえ、万貨店の中で出会って、冒険してきた仲間たち。
さっきまでは、たしかに見えていた背中。
それらをひたすら追って、階段を駆け上り続けたのに。
地上も破壊の限りを尽くされ、万貨店の崩壊が始まり、混沌の中でそれぞれがバラバラの方向に逃げたのだろう。
だから旅の一行とは、このときを境にして長いお別れとなったのだ。
気の利いた挨拶もなく。
別れは一瞬だ。
そして、真野さえも姿を消していた。
この万貨店の激しい混乱のなかで、待ち合わせをするのは不可能だろう。
「あの鳥はどこへ行った?」
「屋内に出ましょう! ダンナさまー!」
「そうだな」
やむなく通行客の荒波に乗って避難していると、ある店舗で氷漬けになったヴェアムートを見つけてしまう。
無論、二人はなにかのまちがいだと思った。
宝石のように透明な氷塊。
黒ずんでひとまわり小さくなった怪鳥が眠っている。
焦点の合わない恨めしげな視線をこちらによこしながら。
ここは家具売り場。
混乱の最中にあって、並ではない風格を保つ店員が何やらすました顔でたたずんでいた。
満月のような円い眼。
口から漏れるドライアイスのような白煙。
驚嘆して眺める。
「どこかで会った気がするな」
「そうですか」と、店員は言う。
「おまえがやったのか、これ」
「そうですが」と、店員は言った。
そこは瓦礫だらけの万貨店のなかでめずらしく正常にフロアが保たれていた家具売り場だった。
スラリとした体躯の店員が、ドライアイスのような煙を口から吐いた
「良いものを飼っていますね、それもひじょうに」
店内を荒らしたので氷漬けにしてしまいましたが、と店員は添えた。
アグロはとっさの機転を働かせた。
「あの鳥は、おれの大事な獲物だったんだ。弱らせて、はく製にするところだったのに、勝手に凍らせてくれたな。どうしてくれるんだ」
冷たい眼をした店員は悪びれることなく言った。
「この氷は簡単には融けません」
「そうか。じゃあ特別にその不死鳥はやるから、代わりにこのキングベッドと交換でどうだ?」
かつて背中をあずけた最高級のキングベッドが眼前にあった。店員が死守していたおかげで、傷一つついていない。大抵の社会人が半年は汗みずく垂れ流して稼いでも、なかなか手に入れることは能わない代物だ。
だが、言ってみるもんだ。
満月のような眼を冴えさせた店員は「ベッドなんかと交換でいいんですか」と、口元にわずかな笑みをのぞかせた。
その薄ら笑いの冷たさに、背筋も凍る思いだった。
……ベッド、なんか?
失おうとしているものの価値の計り知れなさに気づく。だが、やはり始末に負えない鳥なんぞどうしても要らない。焼き鳥にするつもりもない。物々交換ができるなら願ってもいないことだし、実用的なものをとるのが賢明な判断だろうと彼は判断したまでだ。
交渉成立。
店員は腰に佩いていた氷の剣を、鞘から抜いて、大きく振りかぶった。
「おい、なにを……」
空を裂いた斬撃の先に、ひと筋の氷の道ができた。御神渡りのようだ。それは崩壊に晒されていない万貨店のフロアの奥の奥まで続いていた。
「さあ、ベッドにお乗りなさい、お嬢さん。そして、貴方も。これで入口に帰れるでしょう。お帰りがあちらで正しければ、ですが」
言われるがまま二人は飛び乗っていた。
ビビはキングベッドにうつぶせになった。
頬をあずけ、息を止め、極上の心地を初体験している。
アグロも大の字になった。背中にふかふかの感触が戻ってくる。これだ。つまりはこれなんだよ、とアグロが大きな溜息をついたとき、店員がベッドを思いっきり蹴った。
ベッドが猛スピードで走り出す。
氷の道を。
万貨店の中を。
一直線に。
もしかすると光の速さだったかもしれないですね。
「わああああああああああああああああッ!!!」
「おおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」
ビビが振り返って、最後に見た風景は。
意外にも手を振ってくれている店員の放埓な眼。
そして、空の星ほどに小さく見えた氷の中に眠るヴェアムートの永久の死だった。
*
キングベッドが自動ドアを突き破る。花壇にぶつかって停止する。キングベッドは無事だ。反動で投げ飛ばされた二人も無事だった。
とにかく久しぶりの白日の下に来た。
立ち眩みがする。
陽光に眼が射られる。まぶしい。眼が開かない。
物のすべてが透明に見えた。
そんでもって、キングベッドを二人で背負って意気揚々と万貨店を後にしようとする。
「ダンナさまー、これ持って坂を上る自信が無いわ、というか一歩も動けないわ」
「いや、なんとしてでも、持ち帰るんだ!」
「事務所に輸送してもらえないかしらね……」
「お金がかかるからだめだ!」
「んもう、せめて車輪を付けて運びましょうよ、樹脂でできたあのちっちゃいやつ、それか台車とか……きっとどこかに売ってるでしょう?」
「しかしこんな店、もう入るのはやだね……」
ところで。
花壇のそぼで奇妙なオブジェを見つけた。
夏の炎天下、透明な世界の中で、ただそれだけが実体を持っているかのように。
花壇の向日葵に並んで、男の首が生き埋めにされている。
顔面には、何千本もの煙草が刺さっている。まるでハリセンボンみたいに。
アイツだ。
煙草を一本ずつ引っこ抜いてやる。
ビビと一緒に力をあわせ、その全身も土の中からダイコンみたいに引っこ抜く。
「ふう、助かった。助けてくれはったんはアンタだけや、おおきに」
男は花壇の上に寝そべっていたが、血相を変えて、いきなり立ち上がりアグロに向かって指さした。
「……って、オオイ! お前やないけ! わしを埋めた張本人! どこでなにしとったんじゃあワレ!」
「あ?」
男は絶滅危惧に瀕した希少言語で喋るのだった。
「わしはな、わしは、ずっと……………………って、ええベッドやーん!? それ!? それが欲しかったんや! わしにくれ! 自分、わしに謝ることあるやけ!? くれ!」
「やるわけないだろう。何度も死にそうになって、最後はきわどい交渉の末に手に入れたんだぞ!」
男は新鮮な空気を吸うと、いくらか落ち着いたようだった。
「金ならあるで? しっかしもう身体がえろうえろうて店ん中入る気せーへん、身体はしんど、気分はバッド、これが本当のシンドバッドや!」
「おれだってこんなとこ入るのはもう金輪際ご免だね」
「なあ頼む! くれ! えらい長いこと花壇に埋まってたっちゅうねんこっちは!」
「なんでタダだと思うのか。三倍の額を出すなら考えてやるぞ」
「な、なんやてえ? どれだけえらい目におうたかわかっとんのか。また会うたと思ったら、まーたなめくさりやがって、たいがいにせえよ出るとこ出たろか、今度は手加減せえへんで!」
男がゆらりゆらりを両腕を大きく回し始めた。
残像が生まれ、腕が増えたように見える。
「これが、たこ真拳や!!!」
ポガガガガガガガ……! パンチを繰り出す。
愛する男が無抵抗で殴られてスローモーションで倒れていくようすを、ビビはただ驚いて見ている。
「腕が……8本に増えた!?」
男は肩で息をしている。
「見たかー、どんなもんじゃい!」
たこ真拳、鬼つええ!
男は最後の気力を振り絞って、さらに襲いかかろうとする。が、ステップで距離を離す。
「ほう、わしのたこ真拳を喰らってすぐに立ち上がれるとは、なかなかやるやんけ」
「フン……ほとほと疲れていたので、ちょうどいい。もう一度、埋めてやろう」
とはいえ、気力に押されている。じっさいのところ体力的に疲れていたし、精神的にも本当に参っていた。
だから、気持ちの力で実力の差を埋めることもあるものだ。
「こっちはなあ……ずっと煙草オブジェにされとったんや! あとからあとから知らんモンに煙草よおさんぶっこまれて、全身ボコボコの火傷だらけや! ワシ、蜂の巣どころか、彌生はんのカボチャみたいになってもうたわ! あのカボチャの水玉模様って、全部根性焼きやけ?」
「なに言ってるのかわからないね……」
殴り合いの喧嘩カーニバル。
煮えたぎる太陽。
おどる向日葵。
「ダンナさま、がんばれっ。がんばれーっ!」
なぜかビビは、真っ赤なチア用ポンポンを持って、上下にフリフリ、左右にフリフリ。小さなお尻を振っている。軽快にジャンプ。
「ビビ、なんとかしてくれーッ!」
「ベッドくれーっ!!!」
「がんばれ、がんばれーっ!」
三人の声が青空の底に届く。
二人の無益な喧嘩を見ているものは、限られていた。ビビと、太陽と、向日葵。
そして、白昼の空の向こうの、そのまた向こうの星々だけ。
「早くこの時間、終わってくれーッ!」
「終わらんで! 続行!」
「がんばれ、みんながんばれー!」
夏の日は、まだ終わらない。
星空のダンナサマー 八十八星天葬遊戯 k @kitasesan
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