24:囚われの真野と終わりの戦いと
見渡す限りの砂漠。
そしてさめざめと、女のすすり泣きのような夜風が吹き荒れる。
砂丘の上には風にはためくテントと、休息中のラクダたちの塊。
真野は空の星を数えながら、あてどない旅を続けていた。
今はキャラバンの隊列に交じっていた。旅の同行者たちが鍋でコーヒーを沸かしている。真野を呼ぶ声がする。
真野は悲しみに襲われると、星空を眺める余裕をなくした。
そうしたとき特有の行動として、彼女は暗闇をそぞろ歩く。父さんは帰ってこないんだ。あまり遠くへ行くなよ、マノ! 声は耳に届かない。父さんに会いたい。会ってもう一度話がしたい。おい、一人になるなったら!
失意の真野の足下でコツンと音がした。靴に何かがぶつかった。黒い石? 砂に半分埋まり、半分だけ顔をのぞかせた、輝く黒い石。
「宝石……?」
拾い上げると、それはペンダントだった。
ちょっと見物してから、ポケットにしまった。だれにも告げず、拠点へ持ち帰った。
長い旅を終えて、下宿先へ帰ると、ペンダントの汚れを拭き取り、あらためて手に取って眺め回した。
「いつの時代の物かしら」
拡大鏡を使って石を覗き込んでいると、突然彼女は体の平衡を失い、その綺麗にカットされた多面体のなかに吸い寄せられそうになった。
はっと正気に戻り、石をテーブルの上に置いた。
夕方に少しばかりのライ麦パンを齧り、夜は熱い湯に浸かって身体を浄めた。
しかし消灯後も、寝床のなかでペンダントが気になり、眺めていた。なぜここまで石のことが気になるのかはわからなかった。じっさい、真野はこの石が好きだった。
夜中に目が覚めると、彼女はペンダントの黒い石の中に幽閉されて、囚われの身となっていた。口が自然にひらいて、あ、と吃驚の一文字を漏らした。
石の内部は寒かった。大気の薄い、高度六千メートルの山頂さながらの空気だった。真野は前かがみになって苦しそうにした。
視界は四方八方が黒かった。黒いが、うっすらと半透明でもあり、外の部屋のようすが見える。机の分厚い天板が見え、ベッドのシーツの皺が見え、窓の格子も見える。私の部屋だ。
黒い壁をゴンゴンと叩くが、びくともしない。憔悴感だけが募る。
「ここから出して!」
どうしようもないとわかると真野は脚を折り曲げ、ただ座っていることしかできなかった。美しい牢屋の中で思考は停止する。夢の中にいるはずなのに眠たくなってきた。
すると天に、地に、前後左右に男の影が映る。合わせ鏡のなかにいるみたいだ。どこから現れたのか、影のような男が真野のもとへやって来る。
「父さん、なの……?」
立ち上がり、期待を込めて、父さん、と呼んでみる。
だが、それは父ではなかった。人間ですらない。目の前まで来るころには、それが翼を折りたたんだ黒い鳥の姿だとわかった。恐怖を感じた。だが同時に、すっくと立つ鳥の麗しい姿に頼もしさを感じてもいた。
「父さんに、会いたいのかい……」
黒い鳥は人語を理解し、人語をあやつった。
「我の束縛を解く者を探しているのだ。我の復活に力を貸してくれるならば、ひとつだけ願いをかなえることも可能だ」
真野はおそるおそる懇願した。
もう一度、父に会いたいと。
黒い鳥は承諾したふりをして、その穢れた両翼で涙ぐむ真野をそっと抱きしめた。
「我は宇宙を駆ける不死鳥、ヴェアムート。道なき宙の辻で迷えるおまえのしるべとなろう」
真野は束の間の安らぎを感じ、再び強く希求した。
明くる朝、真野はベッドの上で目が覚めた。すぐに下宿を引き払って、港町に拠点を移した。
真野はペンダントの声に言われるがまま、プラネタリウムを造ることにした。金を頼る友人や家族もいないので、父の形見の古書や時計などをまとめて質に入れた。
万貨店ナンデモニウムの一画に店を築いたのは、ナンデモニウムが拒むことを知らずだれにでも店をつくれるような無法地帯だったからだ。
ヴェアムートは真野にわずかばかりの星の力を授けた。
「これが……私……?」
真野は強力なパワーを得た。プラネタリウムに来た観客から悪質な客を選別し、不意に攻撃して弱らせた。
そして観客を星にした。プラネタリウム内の宇宙に磔にし、ヴェアムート復活のための養分とした。
良心の呵責はあったが、すぐに気にならなくなったのは、ヴェアムートの唆しもあったからだろう。
ヴェアムートが復活すれば、願いがかなうと信じていた。
宇宙を駆ける不死鳥ヴェアムートは、数多の生命居住惑星を滅ぼしてきたことなど真野は知らなかった。
ヴェアムートは通常、何百年間にも及んで破壊のかぎりを尽くしたのち、自ら仮死の眠りにつき、身体を修復するとともに次の復活にそなえる。
だが今のヴェアムートは強制的に眠らされていた。古代の賢者が自身の命と引き換えにペンダントの中に封印したという。
ヴェアムートは復活のために力が必要だった。その力を得るために、甘言を用いて真野を誑かしていたこともまた、彼女は知らなかった。
*
禍々しい翼で天穹を覆い尽くす大災厄の化身。
ヴェアムートはプラネタリウムを襲い続けた。
「こんなにおそろしい体験は久しぶりだ」とアグロが言う。ヴェアムートが飛ばした幾千本の針を全身に受けてなお、ワクワクおよび喀血が止まらない。
つぎつぎと落ちてくる隕石から逃れたし、謎の超音波で混乱させられ前後不覚にもなった。
幻影を視させられ、各々のトラウマと向き合う精神的な戦いもあった。
しかし彼らは、したたかな一撃をたたき込み、宇宙の怪鳥が本来の力を取りもどす前に弱らせることができただろう。
「この件が片付いたら」とTレックスが宣言する。「カカオ農園で強制的に働かされている子どもたちを救いに行くんだ。どうやったら救えるのか、そこから考えるがな!」
「なんでもやろうって気概は大事だけどさ」フィズィが両手を揃えて蛇の波動弾を放ちながら言った。「その結果、身体に異変が起こり続けてる。アタシははやく帰って、安全で涼しい場所で眠りたい」
「こんなことになるなんて数日前までは思わなかったよ」と前線に飛び込んだジャコが両足揃えて蹴りを怪鳥に一発お見舞いする。「でもこの数日ですごく成長できた気がするんだ」
「楽しかったよ」とウィジャが短く呟く。「つーか、すでに戦いが終わってると思い込んでるのって、俺の血液型がO型なのと関係ある?」
おそらく、無関係である。
「ハシビロコウの姿煮を食べる民族に、会ったことがあるんだよねえ!!」と上半身だけのクールルが怪鳥にかみついて血を吸い取りながら、声を絞り出す。「ヴェアムートが姿煮になった姿が、見えるんだよねえ!」
「勝てるよ、だいじょうぶだよ!」
と、ビビが最後に大きな爆弾を投げつける。それは少女の身体の何倍も大きい。光の環も見える。小さな惑星みたいだ。
爆弾は放物線を描き、と見せかけ宙に留まり、逆行し、また留まっては順行して、複雑な軌道を描いて、対象へ向かう。まさに惑星の見かけの動きそっくりだ。そして確実に爆発した。
「わたしたち最強、濃いメンツ!」
だが、効いているのだろうか。不安が広がる。全員が消耗している。
真野がつぶやく。
「私が。犠牲になります」
彼女がすでに普通の女の子に戻っていたことに、だれも気が付いていなかった。
真野が全身全霊をかけてヴェアムートを殺そうとする。
真野の全身が光に包まれる。ゆっくりと眼を閉じる。
「この力はお返しします」
光が放たれる。
「グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!! グギャアアアアアッ! ギャギャギャギャアアアアアアアアアッッッ!!!」
彼女が手にしていたキューから、神通力の一切が失われ、ただの無機物と化した。
プラネタリウムが平凡な空間に様変わりしていた。光の球も消えていた。
「我を虚仮にした、おまえだけは許さない」
ヴェアムートが黒い陽炎のようにゆらめく。爆発的に膨れ上がる。眼を見開く。真野だけを仕留めに来る。
気が付けば周りから距離を開けて一人になっていた真野は、立ちすくんでいた。
アグロは夏ミカンを取り出した。
「まだ食べてなかったの……」とビビを呆れさせる。「ここに来てからずっと持ってない、それ!?」
結局食べずじまいの果実。見ているほうが面白いらしく、彼はずっと持っていた。夏の陽光を吸収して内から黄色に染まり、自ら太陽と化した果実。
手の上で世界をあまねく照らしている、まるですべての生命の源。
それは、小さな恒星。
「これを突け!」
投げ飛ばした。
真野ははっとして、それを宙で突き飛ばした。すでに星の力が抜けたキューを使って。
考えるより手が動いていた。もはやただの遊戯だ。
しかし小さな太陽は直線に翔ける。加速していく。ヴェアムートの右眼に当たる。眼球を失明させた。
再び、断末魔。
「だれだって、ミカンの皮を眼にぷしゅーってされたら、めちゃくちゃ痛いもんね」とビビが言う。「それは確かに痛いから」
それは確かに痛い。
んでもって。
「普段から陰徳貯金を積んでいないから、フルーツにとどめを刺されるんだ」とアグロがうそぶく。ずれたネクタイを整えながら。
怪鳥が最後の力を振り絞って、暴れ、狂い、逃げ出す、
「まだ舞える、まだ舞える! グギャアアアアアアアッ!!」とか言っているような気がする。
柑橘類の汁が眼に入っては、だれだって混乱して暴れ出したくなる。
「貴様らに構っている暇はない……!」
怪鳥は天蓋を突き破った。
「ヴェアムートが、街に」と真野。
「あんなに弱らせたのに!?」とビビが言う。
「アイツを逃がすな!」
プラネタリウムが破られ天井が崩壊。ビビたちに頭上に砂が降ってくる。砂ではない、もっと大きい鉄の塊が天井から落ちてくる。プラネタリウムごと崩壊しているのだ、
アグロは非常エレベーターを見つけてボタンを押し続ける。だがエレベーターの扉は開かない。壊れている。
「こっちに非常階段があったよ!」とジャコ。
螺旋階段だ。
暗がりの螺旋をみんなで駆け上がる。
とにかく地上に出るのだ。バタバタバタと足音が響きあう。蒸気機関車のように駆け上る。天井から瓦礫。
私のことは放っておいてくださいと、もはや力を失った真野は諦める。
「……私がすべての元凶なんです。みんなを陥れたのも私です。私はここで死ねばいいんです。星すらない、ただの無へと帰ります」
ビビが真野の手を引っ張って、階段を駆け上がる。
しかし真野は走る気力がない。
「私にはわかります。ヴェアムートにはもはや文明を崩壊させるだけの力は残されていません。後始末は皆様に任せました。私は、ここで、死にます」
しかしビビは手を緩めない。
「星が好きなんでしょう? みんなで生きて帰って、本物の夜空を見上げようよ。真野ちゃんに、もっと星のこととか、教えてほしいんだ!」
飛べることも忘れて、手と手をつないで、真野といっしょに駆け上がる。
だが諦めの声が返ってくる。
「だめみたいです。足が、もう……」
「あきらめないで!」
「……いかにして私という存在がこの世界から失われていくか、その様子を見ていてください。財産も、友人も、家族もいない。父さんもいない。身体も消えていく……私は、きっと、星にすらなれない。私がこの世界に存在した痕跡は完全になくなる。生きていた事実は貴方がたの脳内だけにとどまります。それでもいいのです」
「そんなこと言わない言わない! 壊れちゃったプラネタリウムを、新しく建て直そうよ!」
だが真野の歩みは次第に遅くなる。
「力と欲に溺れた哀れな者が、正当な報いを受けるところを見ていてください」
いつしかアグロが並走していた。
「まあ、まあ……真野くんよ。いまだに名字しか知らないが……まあいいや。ところで、これを見てくれないか」
彼が写真を取り出す。
真野が絶叫に近い声をあげる。
「きみの父さんに会ったんだぜ」
「どこで、それを……!」
「きみの父さんはいつもきみのことを見守っている。ここで死んでいくきみを、父は望まないだろう」
いまや大粒の涙を流すさまを隠そうともせずに真野はうなずく。
「ありがとう……」
彼女は走り始める。
だが、足取りは一番遅い。
崩壊に追いつかれそうだ。階段の下から崩れている。まるで真野を飲み込もうとするかのように。
ほかの観客たちは全身全霊かけて階段をわれ先にと駆け上っている。
ビビはTレックスにもらって以来、ずっととっておいたチョコの最後のひとかけを思い出した。じっさいにそれはあった。これではダンナさまの夏ミカンを笑えない。ともかくそれを真野の口に押し込んだ。
「これでどう? 走れる?」
「……!」
真野の身体に起きた最初の異変。
背中に見えない翼が生え始めた。
「……私……走れる! 私の足が、天まで届きそうなほどに……!」
「さあ、真野よ、行けるところまで行くんだ! 精一杯走って、届かなくて、瓦礫の山に埋もれてしまってもそれはそれでいいじゃないか。おれなんてこの店に入るまでに一人を生き埋めにしたんだから。どうもあれはやりすぎだったようだ。いまになってその報いを受けるかもな」
螺旋階段を三段飛ばしで駆けのぼり、それだと奈落に追いつかれるからと最終的には五段飛ばしで駆け上がる。
影のように、光のように。
大きなエネルギーを持ったひとつの火球となって。
だれがどこにいるかも、もはやわからない。
みんな、脱出できたのだろうか。
すべてが崩壊していく。届かない。
その先に光を見つける。
届く。あと少しだ。
地上だ。
そして……。
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