15:激闘!中華っていいよね編I
「諸君……中華は好きか? 中華はいいぞ」
「たしかに……中華っていいよね……」
「やはり中華は……」
「特別」
だれからともなくそんな会話を繰り広げていたせいである。
《雪人飯店》という看板を掲げた中華料理屋を発見し、さっそく入店。
だが、中華料理屋にしてはうす暗い。むしろ真っ暗だ。
というより、視界のすべてが闇に閉ざされて、なにも見えない。
そんなわけでビビたち一行は、心の眼で店の奥へと進むよりほかなかった。
床には一段盛り上がった壇があり、碁盤のような賽の目に区切られている。突如マスのひとつひとつが虹色に光りだした。
実のところ、ここはディスコなのだ。
突然、陽気な音楽が鳴り出した。
「ホーゥ!」
壇上にチャイナドレスの女が踊りながら登場する。
地面に届くほどのポニーテールを揺らしている。衛生面はどうなっているのか。
尻を振り、高らかに叫ぶ。
「《雪人飯店》へようこそなのだ! 五名様! このミーランがご案内しますのだ、さらに奥へどうぞなのだ!」
フィズィは蛇のタトゥーの刻まれた白い腕で、アグロの腰をすばやく突っつく。この店から出ようよ、という意味だろう。
だがビビはよろこんで、チャイナドレスの女についていった。
「わーいっ!」
仕方なく大人二人はついていく。
後ろから少年二人も同行。
「この店では、音楽に体をゆだねるのが、唯一の絶対のルールなのだ! そう、絶対なのだ!」
ミーランが通路を案内しながら舞っている。振り返り、客の五人を見ながらさらに激しく踊る。
「踊らない者は……歓迎できないのだ。さあ、お客さんも踊るのだ!」
もちろん、だれも踊らない。
ミーランの踊りを、ただ直立不動で眺めていた。
「ぼっ、盆踊りでもいいのだ……?」
それでもだれも踊りださない。
「どうしてだれも踊らないのだ? もしかして忌引きなのだ?」
「腹が減っているのだ」真顔のアグロは猫背気味に言った。「腹が減っては戦はできぬというやつだ。ましてやダンスなど」
「踊ってもいいよ!」ビビが続ける。「でも、お腹いっぱいになってからね」
「れ……礼儀知らずなのだあ!」
ミーランは吐き捨てて、顔を赤くさせた。それから唇をかんだ。
中華料理屋に入ってダンスしないことが礼儀知らずにあたるとは知らず、多様な価値観があるものだと感心する一行であった。
ミーランに案内され、細い通路を一列になって通り、こぢんまりとした部屋に入った。
「特等席にご案内なのだ! ちなみにこの店は全席禁煙なのだ」
アグロの煙草が取り上げられる。
「吸わないと調子が出ないんだが……」
ウィジャの横やりが飛んでくる。
「おいオッサン、煙草喰うのか、中華吸うのか決めたらどうだ」
異世界と交信できる不思議な板を携えた少年。呪わしくも麗しいところがあるのに、果敢にもアグロに食って掛かるようになった。
「……なんだこのクソガキ。どっちも吸うに決まってるだろうが」
「どっちも吸うもんじゃないよ」と最後に部屋へ入ったフィズィが呆れながら言った。
*
四角い部屋だった。
幅は映画館の銀幕ほどある。壁は緑の石でできていて、まるで神殿のようだ。
中央に円形テーブルが置かれ、白いテーブルクロスがかけられてある。
テーブルの下にのみ緋色の絨毯が敷いてあるが、豪華な印象をつくることにかけてはみごとに失敗している。
壁の天井付近には樹齢三百年以上はあろう木の一枚板で作られた巨大看板がかけられてある。
「大喰らいの間」
その達筆の金文字が、部屋に空虚さと、貧相さと、ちぐはぐさを与えていた。
「この部屋、なんか怖い」とフィズィが正直に言う。「って腕の蛇も言ってるわ」
「本当?」
眼を輝かせたビビが椅子から立ち上がり、フィズィの腕のタトゥーに頭をつけて、耳をすます。
「なんにも言ってないよ?」
フィズィはそのままビビの頭を抱きしめた。
「つーかまえたっ」
「わあ、やめてよ、きゃはは」
二人はじゃれ合っている。
そんなわけで、男性陣が先にメニュー表に眼を通すことになった。
「はいはい注文注文」
アグロは少年たちにメニュー表を渡しながら言った。
「諸君、中華はいいぞ。おれはもう決まってる。この《爆揚人生唇肉哀交》ってのを一人前」
ウィジャは両手でメニュー表を受け取った。
メニュー表はラミネートが下手くそなつくりで、端っこにしわが寄っていた。
「俺はこれ。《殺人餃子暴徒大蒜》。ジャコは?」
ジャコは眼をつむっていた。なにかに耳をすませている。
大きな猫耳が時折ピクッと動く。
チラっと片眼を開けて、メニュー表を一瞥した。
メニュー表はラミネートの最も薄いペラペラのフィルムを使っているとしか思えず、下部をつかんでも上部がぺろんと垂れてくる。
「これ…… 《雪花玉液白魚馳空》」
そして彼はまた眼を閉じる。
あのさ、とウィジャは、鍵を差し込んで扉を開けるみたいに顔を傾けて、友人の顔をのぞきこむ。
「もしかして、あのギャルのネーチャンの蛇が、なんか言ってるのか?」
「いや、そうじゃないんだ……ただ、壁の向こうに……なにかがいるようで」
無機質な壁を指さした。「大喰らいの間」の一枚板の下だ。その映画スクリーンほどの幅をもつ壁は無機質なままだ。
「なにかってなんだよ。きっと向こうは厨房だろ?」
「なにか怖ろしい息づかいが聞こえる。なにかが、いる……」
「ははあ。食材にされる獣たちが、おんおん泣いてんだろうなあ。ウサギとかアヒルとかが、包丁の切っ先をキラリと突き付けられて……イーッヒッヒッヒ」
ウィジャの全身から呪わしげなオーラが立ち昇ってくる。
「そうじゃない、気がする、けどなあ」
少年たちはあらためて部屋を見渡す。
薄暗い。低い天井。大きなシャンデリアが一つ。壁には一枚板のほかには、絵の一枚もかけられていない。花瓶すらない。
「この貧相な雰囲気くらいどうってことないだろ。ちょっと儲かってないだけだっつうの。維持費にうまく配分できていないんだろ」
「ウィジャくんは、みんなと感覚がズレてるんだよ。呪いだのなんだので売ってるから、かえって変な空気に気が付かないんだ。やっぱりこの部屋は変だよ。それに、なんか寒い気がする」
貧相なペラペララミネートのメニュー表が女性陣に渡される。
「なんか冷房効きすぎじゃない? アタシなんでもいいや、この《牡丹燕菜補陀落風》ってやつにする。ビビちゃんは?」
ビビは言う。
「ビーフカレー」
「……ご注文をいただきますなーのだー!!」
入り口でリズムに乗っていたミーランが、ナーナナ、ナーナナと口ずさみ、テーブルまで踊りながら参上。
アグロが注文をまとめて言うと、ミーランは復唱する。
「はいっ! 《爆揚人生唇肉哀交》《殺人餃子暴徒大蒜》《雪花玉液白魚馳空》《牡丹燕菜補陀落風》《ビーフカレー》……なのだ!」
ミーランが踊りながら去っていく。一度だけ振り向いた。声を低くして「踊るなら……これが最後なのだ……?」と最後通牒を表明したが、だれも聞いていなかった。
五人の話題の的は、ビビが注文したメニューについて以外、ありえない。
ウィジャがだらしなく天を仰ぐ。銀いろの長髪が床に近づく。
「ビーフカレーって中華なのか? カレーの匂いで部屋が全部カレーに持ってかれるぜ。そんなもの頼むなよな」
「おれの姪に向かってなんだその口の利き方は」ノータイムでアグロがかばう。「ビビは天性のオチ担当意識により真夏のサクセスを収めてきたんだ」
「ワケわかんねーよオッサン、説明できんのかよ」
「さっきから態度が終わっているな。距離感を弁えたまえ」
そのとき、ミーランの声が部屋に響き渡った。
声は天井から聞こえてくる。
「大喰らいの間に招待された五名様へ……あちらをご覧くださいなのだ!」
暗い緑色の壁が激しく振動。
全員立ち上がる。
震えているのは「大喰らいの間」の一枚板がある一面だ。
振動は激しく、靴から脚を伝わって、全員の頭蓋骨にまで響く。
銀幕ほどの壁一面が天に収納されていく。
壁の向こうに、なにかがいた。
まず、白い。だれもがそう思ったに違いない。
白いモップのような毛むくじゃらのなにかが、映画スクリーンほどの幅いっぱいに充満して蠢いている。
両眼はまぶたから垂れている毛にふさがって見えない。頭頂部も壁の外にあり確認できない。下半身、足下もまた隠れて見えない。
だが、口があるのは確認できる。そいつはニイッと笑い、口の幅を壁の両端まで広げ、生ぐさい息を五人にむかって吹き付けた。
天の声は言う。
「ご紹介しますのだ! この子は、雪人こと《ラブリーイエティ》ちゃんなーのだー!」
壁いちめんに、イエティの巨大な顔が広がっている。
「ここはイエティを養っている中華料理屋! 踊ってくれない無礼なお客さんはゴハンにされちゃうのだ!」
イエティが口を大きく開ける。
口内にはすでに食べたものがごちゃごちゃと入っていた。
上歯の列と下歯の列が何度も引かれ合い、離れ、また引かれ合う。そうして食べ物をゆっくりと押し潰していく。ぐちゃぐちゃの流動物になった食べ物は、ときどき、喉の奥へと流されていく。
そして長い舌で、歯の表面と歯茎を拭き取るように、ぐるりと舐め回していく。
一度口を閉ざし、また開くと、口内はいくぶんか綺麗になっていた。
次の食べ物を入れる準備がととのったのだろう。
すさまじい風が起こった。イエティが、五人を吸い込もうとしている。
あの中に入ったら一巻の終わりだ。
五人は必死で耐えた。だが、つかまるものが無い。
ついに宙に浮かんだ五人は、椅子やテーブルもろとも、あっという間にイエティの口の奥へ吸引されてしまった。
「踊らない無礼者はこうなるのだ! おいしく召し上がられてくだされなーのだー!」
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