6:見えない星空と謎の少女
夕暮れのキャンプ場。
小さな翼を生やした悪魔の女の子ビビが、草地の上を駆けて駆けて駆け、むせかえるほどの草の匂いを吸い込み、また声をあげて走りまわる。
それから楡の木に身を隠し、顔だけをのぞかせ、愛する者に向かって微笑んだ。
視線の先にいるのは、背広に身を包んだアグロと呼ばれる黒ずくめの男。中年と呼ぶにはまだ若いが、ビビのおじにあたる。彼も種族は同じだ。
彼は黒い前髪をかき上げてから、サムズアップで応じた。そして辺りを見回す。
「不思議なものだ。ここが依然として、万貨店の中だとはな……」
二人はプラネタリウムを観るために万貨店へ来ていた。
その中は都市がいくつも入るほど広く、端から端までどれくらいの距離があるのかはまるで見当がつかない。
プラネタリウムのあるフロアまでは歩いて三日ほどかかるという情報を得ていた。
万貨店は別名ナンデモニウムと呼ばれ、文字どおりなんでもある。
たとえば、キャンプ用品売り場なんかも。
そして、信じられないことに、キャンプ場までも。
キャンプ用品売り場に隣接するスペースに、本物の大自然と見紛うほどの人工キャンプ場が広がっている。どうやら最近できたばかりらしい。
草地をセキレイが忙しなく走っていき、どこかでヒバリがさえずる。鱒の泳ぐ小川まで流れている。
そして、人工の夕空。
寸分の狂いもなく、本物にしか見えない夕焼けがおとずれた。
二人でテントを組み立てる。寝袋も二人ぶんある。これで一夜を明かせる。安全が保証されているかはわからない。なんにせよ万貨店の通路で野宿よりはましだとの判断だ。
「夜になれば星空が見られそうだ」
「でもここ、人工の空なんじゃないの?」
「どうせプラネタリウムも偽の星空なんだ。わざわざ行かなくても、ここの夜空で満足できるんじゃないか?」
ビビは不満げになにか言おうとした。そのときだった。
「星は見えないと思います」
ビビの声ではなかった。
二人の背後に見知らぬ少女が立っている。
はかなげな銀髪の少女。ツインテールに菫色のリボン。ビビと同じくらいの小柄な背丈だが、質量はビビよりもずっと物足りない感じだ。軽やかな身というよりは、まるで虚ろそのものを抱えているような身体。
吹けば飛ぶような身を二本の足で草の上に支えている少女が、底光りする眼を瞬かせて言い放った。
「ここで見られる星々は、プラネタリウムと比較すれば、決して鮮明に像を結ばないでしょう。しょせんここはキャンプ場。技術力ではプラネタリウムとは雲泥の差があるようです。星を見たいのでしたら、ぜひプラネタリウムにお越しください。あそこには夜空を見上げる本当の喜びがありますから」
少女はよどみなく一気呵成に話すと、あとは色素の薄い唇を引き結んでなにも喋らなかった。
謎の少女は首飾りをしていて、胸元にぶら下がった輝石の中に黒いタールのような液体が波打っていた。
ビビとアグロは顔を見合わせた。また少女のほうを向くと、いつの間にか少女は姿を消していた。
「あれっ! いなくなっちゃった! なんで?」
「なんでだろうな」
そんなわけで二人は、あの少女の正体を大喜利形式で当てに行った。
「透明人間!」
「幽霊じゃないか」
「マジシャン!」
「鳩のほうかもな」
「地獄の傀儡師!」
「…………」
「パルクール指導員!」
「いやいや」
らちがあかないので、足が速いだけの子ということで結論が付いた。
「まさか一人じゃないよね? こんな危ない万貨店に」
「さあな。家族のいるテントにでもダッシュで戻ったのだろう。プラネタリウムからの帰りなのだろうか」
それから二人はテントをそのままにして、買い出しの旅にでかけることにした。
アグロは振り向く。やはりそこはキャンプ場。
鬱蒼と繁る林。夕空を背に寝床へと帰っていくカラスたち。これが屋内だなんて信じられなかった。
ほんとうは、デンジャーマスクが教えてくれた簡易宿に泊まるはずだったのだ。
行ってはみたものの、受付の女の鼻持ちならないほど傲慢な対応が気に入らなかったせいだ。ビビがロビーに投げ込んだダイナマイトによって簡易宿は木っ端微塵になった。
宿を支える骨組みは、飲み終わったチューハイの空き缶を積み重ねてできているほど簡易的だったらしい。
受付も宿泊客もロビーもまとめて酒くさいとあれば、引火は早かった。延焼はいまでも続いているとか。こんな危険な貧乏宿には泊まらなくて正解だ。
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