5:メチャリブレのデンジャーマスク
まるで深更の路地裏のような万貨店の暗い通路を、ビビとアグロは、腕や肩を互いに突っつきあいながら歩いていた。二人は仲良し。
二人は正面から異常な男がやってくるのを認めた。
上半身が裸の筋肉質の男だ。頭部にはリアルな虎のかぶり物、口元は迷彩色の防塵マスクで覆われている。
彼はメキシカンバトルサーカス「メチャリブレ」の団員レスラー、デンジャーマスクなのだった。
有名人に会えてビビは大はしゃぎ。
「メチャリブレのデンジャーマスクだ!」
「何の何だって?」
「メチャリブレのデンジャーマスクよ!」
「何?」
「メチャリブレのデンジャーマスク!」
「何だって?」
「メチャリブレの、デンジャーマスク!」
「え?」
「メチャ、リブレ、の、デン、ジャー、マスク!」
「は?」
「ダンナさまも聞いたことがあるはずだわ。超有名人じゃないの。空中ブランコに乗って颯爽とリングに舞い降りるパフォーマンスで有名な!」
「は……知らん」
当のデンジャーマスクは人差し指をチッチッチッと左右に振ってみせた。
片足で立ち、反対の脚の片膝を突き出す。猫の手のように丸めた両手で、虚空をがむしゃらに引っかく。
最後は拳を天に向かって突き上げた。
「A・B・C……デンジャー・デンジャー!」
「デンジャーだっ! 初めて生で見た! 感動した!」
お決まりのポーズらしい。
アグロはうさんくさい眼付きで、デンジャーマスクにプラネタリウムまでの道のりをたずねた。
「あ、はい、ここからだと徒歩で三日はかかりますね」とデンジャーマスクは夢みたいなことを言った。
「三日!?」とビビは素っ頓狂な声をあげて、床から少し浮上。
「嘘じゃないだろうな」とアグロが責める。
デンジャーマスクはよわよわしくうなずいた。
「はい、まさにプラネタリウムから帰ってきたところなんです。たしかにプラネタリウムはこの先にあります。だけど、気を付けてください。万貨店にはいろんな誘惑、妨害、罠があります。スリや暴漢も多いです。ここから先は、娘さんと二人っきりというのはすこぶる危険ですね」
「娘じゃないもん」とビビは叫んでアグロを力づよく指さす。「こちらはダンナさまよ」
「こちらは姪です」とアグロが控えめに指さして訂正。
はあ、とデンジャーマスクは言った、
「道中にはいくつかの簡易宿があります。夜はそこに泊まるといいでしょう。いくらか安全は保障されています。くれぐれも万貨店のフロアで野宿だけはしないでください。ぜったいに、です」
「家具売り場で寝るのはどうか」
「……家具売り場なんて危険すぎます!!!」デンジャーマスクは顔を真っ青にして叫んだ。「ダイナソーマスクの《かみつきぶん回し》より危険です!」
「メチャリブレの話を二度とするな」
「とにかく家具売り場では寝ないでください! あそこの店員が、ごろつきどもにふかふかベッドを占領されないように、どれだけ気を揉んでいるかわかりますか? 家具売り場ってのはですね、もっとも腕っぷしの強い者を採用している売り場のひとつなんですよ。それくらい、ふかふかベッドはみんな大好きなんです! 悪漢どもはそこを手に入れようと、常に眼を光らせています。そう、極悪ピエロ同盟やサルミアッキマスクよりもおそろしい悪党がね」
「ははあ……」
アグロは遠い目をした。先ほどの家具店での自分は、悪漢と同一視されていたのだと容易に推察された。完璧なキングベッドのふかふかの至福がよぎる。背中にまだ残っているやわらかい感触。
ビビのほうを向く。
「はてしなく遠いみたいだけど、帰ってもいいんだぜ」
「やだ。絶対に行く」真剣な眼付きだ。「だって……ダンナさまと二人っきりで……薄暗い空間……満天の星……ロマンチックな雰囲気……そして……ウキャーッ!」
「ウキャーってなんだよ。でも決まりだな。とはいえちょっとした冒険になりそうだ」
デンジャーマスクは虎の耳部分を掻きながら、二人の顔を眺めた。それからアッと声をあげ、口早にたずねた。
「あ……そうだそうだ、真野に会いましたか? まのちゃんですよ、まのちゃん!」
「真野なんて知らないね」
アグロはビビを見たが、彼女は首を傾げている。
「なら、いいのですが。プラネタリウムに行くのなら気を付けてください。真野は偽のプラネタリウムに客をおびき寄せ、自分の養分にするのです。真野に要注意! アイツはとんだ嘘つき野郎ですよ。可愛らしい少女のすがたにだまされないことです。とって喰われたくなければね」
それからデンジャーマスクは小さく一度うなずいた。
「ご武運を祈りますぞ。お二人とも、お手を拝借。いいですか? 二人の旅路の安全を祈って、拳を突き上げろ! A・B・C、デンジャー・デンジャー!!」
ビビも拳を突き上げて舞い上がる。心の底から湧き上がる楽しさを全身で表現して、高らかに叫んだ。
「デンジャーッ!!」
「デンジャーじゃ困るんだがな、まったく……」
二人の行く手にはてしなく黒い通路が伸びている。
その脇には、絶えず点滅する青い矢印。
アグロは「真野」と低く呟いてみたが、その声は通路の奥の暗闇へと吸い込まれていくようだった。
それからポケットにしまっていた夏ミカンを取り出し、片手でお手玉しながら、そのどこか朗らかな黄色を推進力に冒険の旅路を歩み始めた。
思い出したかのようにビビが言う。
「あっ、デンジャーマスクって、力に溺れて殺人快楽にめざめてからは、メキシカンバトルサーカス連盟を追い出されて、いまは通り魔として賞金首になってるんだった! すっかり忘れてたわ!」
アグロが後ろを振り向くと、何人もの通行客がまるで墓参シーズンの霊園の駐車場くらい雑に並んで横たわっていた。
死体はいずれも二つ折りにされて冷たくなっている。
「はは……」
乾いた笑いを漏らしつつ、ポケットに夏ミカンをしまうのだった。
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