7:vs.カープ女子シンシア
ショッピングカートをガラガラと音を立てて押していく。
カートの上にはビビが搭乗。バスタブにつかるような仰向けの体勢だ。ぶらぶらと両足を投げだし、へそを露出させたお腹には立派なズッキーニを乗せ、落とさないように両手で押さえている。
カートが上下振動するとビビの身体も小刻みに揺れる。きゃあきゃあとはしゃいでいる。
「海鮮バーベキューだなんて楽しみー」
「そんなことより降りたらどうだ。さすがに行儀が悪いぞ」
「たーのしーい!」
「まったく世話が焼けるぜ」
「焼くのは世話じゃなくて、背ワタを取り除いた海老よ。それに牡蠣と蟹!」
「蟹は買わない」
「え、蟹、買わないの!? そんなあ……」
スーパーでは魚屋コーナーの魚売りがいちばん威勢がいい。なんといっても店員がバケモノだ。
まるまると肥えた鯉に、手足が生えたような生き物。カープマン、あるいは鯉男という種族。
彼らはおしなべて声がデカい。
それだけじゃない。お腹の底から発せられる「らっしゃいよおお」「魚が安いよおお」といった元気な声は、太刀魚だの秋刀魚だの、魚介類のかたちに化けて飛来してくる。
だから魚屋の付近には、たくさんの客が昏倒している。カープマンたちの大声(から生まれた魚介類)にブチ当たってしまったのだ。
とある若いカープマンの魚売りが、声をふりしぼりすぎたため力尽きて伏せた。
作業場から出てきた紅一点のカープマンが、倒れた若い魚売りを引きずって来て、懇切丁寧に介抱してあげた。
そして代わりに彼女が売り場に立ち、大声を張るのだ。
カープマンはいちにちじゅう声を張りつづけている。朝がもっとも元気が良いが、店じまい直前の夕方になっても疲れ知らず。
アグロは歯をむき出しにして何度も顔を振っている。
「なんだこれは……なんだ……これは……」
スーパー中に大音声がこだましている。
「酷い気分だ。大声が頭蓋骨にひびいて、気がくるってしまいそうだ。ビビは大丈夫か?」
「ぜんぜん平気だけど?」
しかし、多くの客は気がおかしくなり、蟹のいる水槽にあたまを突っ込んだり、売り物のミズダコで首をくくっていた。その有り様を目撃してアグロは正気にもどることができた。あんな醜態を晒すものかと。
カープマンに混じって、見た目の異なる店員がいた。
上半身は人体なのだが、下半身がニシキゴイだ。
ありていに言えば人魚。さしずめカープ女子といったところだろうか。
それが紅一点のアルバイトの女の子だった。
紺の前掛けをしたカープ女子は包丁片手に、もう片手には見事な鯛の尾をにぎって見せびらかす。
彼女は息を吸い込み、口蓋垂を見せたかと思うと、店内のあちこちへ向かって、客を失神させるほどの大声を放射させた。
「はああい、いらっしゃいましいいいいいいいいいいいいい!!」
その声は、ほかのカープマンの野太い声にも負けていなかった。
大声はウニにかたちを変えた。ポン、ポン、ポン、と飛んでくる。
声から生まれたウニはまるで大砲の弾のように飛んでくる。
アグロはよける。図体が大きな彼は、そのぶん敵からの攻撃を被弾しやすい。よけるのは大変そうだ。しかし探偵とだけあって、意外な俊敏さを見せる。
次いで、ビビも楽しそうに避けている。朝飯前の軽やかさ。若いだけでアドなのかもしれない。
と、そのとき。
「グワーーー--ーーッ!」
ビビたちの背後で、よけきれずにウニにぶち当たった客がよろめいた。
さらに足下に、顔面に、ウニが飛んできて、次々に刺さる。
ポン、ポン、ポン、ポン……。
こうなると、もうおしまいだ。彼は完全にウニに埋もれてしまった。
ウニまみれの男。天に向かって、黒いトゲ山から腕を伸ばしている。ぴくぴくと小刻みに震えている腕。だれも助けてくれない。悲鳴もそのうち聞こえなくなる。ウニたちに捕食されているのだ。
その間も、いらっしゃいよおお、という大声ばかりが響く。
ついにアグロは魚売りに最接近した。もっとも危険かつうるさいエリアだ。彼は爆弾魔ともいえる姪と暮らしているため、耳をつんざく爆音には慣れているつもりだったのだ。
それでも魚売りの真ん前まで来る頃には、売り物の帆立貝で耳をふさぎながらでないと注文できなかった。
「……海老烏賊秋刀魚𩸽鮭牡蠣蛤栄螺それとこの帆立ぇ!」
紅一点のカープ女子は、左右に首を振ってあきれてみせた。
「あら、お兄さん。商品ならここらじゅうに並べて置いてありますわ! ハンバーガーの注文じゃなくってよ!」
アグロはあたりをすばやく見回しながら、眼前のカープ女子と対峙している。紺の前掛けにはマジックで書いた下手な字が見られた。シンシア、と。名前って前掛けに書くものなのだろうか。ともあれ、彼女の名前が判明する。
彼は帆立貝で耳を押さえたままだ。
こんなところ早く出ていきたい。その一心だ。
カープマンたち同様、シンシアの大声もすべて魚介類に形を変えて飛来する。なかなかの危険地帯なのだ。
「バーベキュー二人前用に、きみが適当に用意して入れてくれないか?」
カープ女子ことシンシアはうなずいた。納得したようだ。
「了解っ! 了解でえええええええええええす!!!」
なめらかな尾びれを左右に振りながら、大声を放った。
アグロは思わず眼を見開く。
シンシアの口から出た声は、巨大なカジキへと形状変化して、頬を高速でかすめた。
「あっぶな!」
思わず帆立貝を落としてしまった。
シンシアはゴム手袋をしたまま活きの良い魚介類をつかんで大きな袋にほうりこんでいく。
「そういえばお兄さん、いい蟹が入っていますわ! 蟹はどうです?」
「いいや、けっこうだ。蟹はいらない」
「でも、今朝あがったばかりの新鮮な蟹なのですわ!」
「そいつはよかった、でも蟹はいらないんだ」
沈黙が続く。
「でも、たまに蟹ってのも悪くないと思いましてよ?」
「そうかね」
「そうですわ!」
「わかったよ。きみがそんなに言うなら、蟹は買わないことにした。すまんな」
シンシアは眼を丸くして、ぽかんと口を開けていたが、ばかにされたのだと気付いて憤慨した。
「ああ、もう! 根本的に考えの相違が見られますわね! 蟹を買うとそこのお嬢さんを喜ばすことができますし、ほかの魚介類とはひと味もふた味も違うゴージャスな味わいを楽しめますわ。蟹は特別な魚介類なんです! 頭ごなしに否定しないで、いまいちどよく考えてみることをおすすめしますわ! なんといっても、わたしたちカープマンあらためカープパーソンが売っている蟹なんですよ?」
「ほお、カープパーソンが売っていたら、ほかの店の蟹とどう違うというのだ。値段が高いことを抜きにしても?」
「そうですね……ほかとどう違うかって、同じ海で獲れたものなのですから、べつにどうも違いはないのですが」
「やれやれ」
「……あっ、強いていえば、そこそこ目利きの仕入れ人がいますよ!」
「そこそこじゃ困るな」
ビビが横から「蟹蟹蟹」と耳打ちする。至近距離のささやき。「蟹、たべたいな」
「おやぁ? お嬢さんも蟹が食べたいって言ってますわね!?」
シンシアの眼が輝きだした。
「おい、こら、黙っとけ」
シンシアは息を大きく吸った。そして、大声を吐く。
「蟹いかがっすかあ! 鮮度と味は保証しますわああ! 買ってくれると、わたしもうれしいですわあああああああああああああああっ!!!」
鼓膜に穴が穿たれそうなほどの声量。
頭も混乱してしまいそうだ。
「わかったよ! 蟹を買うからその大声をやめろ! あとスーパーで働かず、オペラ歌手でもめざしたほうがいいぞ!」
その一言にシンシアが身体を硬直させる。
「……なんで、知ってますの?」
「え、歌手なのか?」
「いや! ちがいます! ちがうんですっ!」
シンシアは身体を震わせた。
青みがかった透き通る髪から、ニシキゴイの白色の尾びれの先までわなわなと震えが止まらない。
「わたしはオペラ歌手をめざしていました。お母さまがオペラ歌手でして、わたしもそうなることを望まれていました。歌うのは好きでした。しかし才能の無いわたしは、いっこうに芽が出ず、稽古の時間を増やされるばかり。一日36時間に及ぶスパルタ教育の末に、わたしは花の十代をおよそ半分の時間で走り切ってしまいました。おかげですっかり老いてしまいました!」
「大変だったな。でもきみは若くきれいだよ」
「ほんと?」
「どんなことがあったか話してみな」
「はい。わたしはいつものように歌の稽古中に、ささいなことで母と喧嘩してしまいました。とつぜん頭の中でなにかが切れるような音がして、母の前で『オペラ歌手なんてなるつもりはない』って言ってやったんです! 勢いのまま家を飛び出し、海へ飛び込んで、それ以来、家に戻っていません。やがてここに拾われたのですが、今さら、家に、なんて……戻れませんっ!」
いつしか涙をこらえて、息を整えている。
シンシアは口蓋垂を見せる。
「わたしは、わたしは……薄情な娘ですわあああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」
今日一番大きい声だ。
今度は声がサメの姿になって飛んで来る。大型トラックほどもある巨大サメだ。
避けきれなかった。サメはアグロにクリティカルヒットし、全身をがうがう噛み付かれている。
ビビがサメを払ってあげて、愛する者の頭部や腹部を撫でさすってあげる。
「可哀想なダンナさま……ぜあぜあ~」
「ぜ、ぜあぜあ……」
シンシアはよろめいている。頭が酸欠になったのかもしれない。
「わたしは、わたしは……」
震えるシンシアの全身が半透明になった。頭から尾の先まで、髪と同じ薄いブルーに染まっている。
勢いよく、その場でジャンプしたかと思うと、床にできた水たまりに頭から飛び込み、最後に鯉の尻尾もぬらりと吸い込まれた。
「消えた?」
と思う間もなく、アグロの目の前に水たまりが生成され、そこからシンシアがザバアッと飛び出してきた。両手で背広の下衿をつかんで離さない。前後に揺さぶりながら、胸を押し付けている。と同時にガンガン頭突きもしている。
「最近、売り上げが落ちてきているんですうう! 買ってくださいいい!」
彼はその両手をはたき落とす。
「そのような剣呑な近づきかたをする女は好かんね」
蹴りを入れる。だが素早く尾でガードされる。靴に彼女のウロコが付着する。
手加減はいらないようだ。ウロコが付着したキラキラの靴で、尾びれを力強く踏んづけた。
「あぁっ、そこ踏まないでください!」
デコピン。
「ほぎゃーっ!」
さらにもう一発。おまけにもう一発。ついでにもう一発。逡巡ののち、もう一発。
「……仕方ないな、きみのためにも蟹を買ってあげよう。家を離れて暮らすのも大変だろうから」
結局、蟹を買ってしまった。
会計を済ませて、ダッシュで退散する。
「ありがとう、お兄さん! またのご来店、お待ちしておりますわああああああああああああっ!!」
その声に振り向く。
威勢のいい声が、今度はダツと呼ばれる顎のとがった魚の大群にかたちを変えて飛んできた。瞬時に見切る。
「まだ飛んでくるのかよ!」
ナイフのようなものが頭部めがけて飛んでくる。しかも三連続。ダツ・ダツ・ダツ。しゃがむ。すぐさま足下に飛んできた。ジャンプする。
魚介がたんまり入った大袋を携えたビビは、バク転交じりに楽々よけながら、魚売り場と距離を離していく。
「おもしろいお姉さんだったねー!」
「どこがだよ!」
しかしアグロはよけきれない。もはやナイフの雨だ。いや、なんとかよけきる。最後のダツを右手でつかんだ。まるで短刀のようなおそろしい魚のすがた。思った以上の鋭利さに凄味のある笑みを浮かべた。彼は自分の名刺を魚の身にうまく差し込んだ。
「……困ったらいつでも頼ってくれよな!」
投げナイフの要領で投げ飛ばしていた。
生ぐさい短刀は一直線に投げられた。ダツはシンシアのおでこに突き刺さる。
「ほぎゃぴ」
彼女はぐらりと傾いて気を失った。ダブルブル、50点。ダツでなくダーツなら。床に冷たく横たわり、決着がついた。
この日以来、彼女は魚売りの仕事を辞めたという。そして、一日中カーテンを閉め切った部屋にこもるようになった。
煙草を吸うようになり、バーボンを飲むようになった。酒のせいで喉はつぶれ、聴くに堪えないひどい声になった。だが数年後、その声を活かしてブルース歌手となるのだった。やはり歌うことが好きだったのだ。彼女の公演では、客席じゅうに生ぐさい魚介類が散らばっているのは言うまでもないとしても。
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