永遠を舐めて死ね

eLe(エル)

第1話

「もう、もういっそのこと舌を噛み切って死んでしまおうかしら……」


 スウィーシは自室の窓辺でひっそりと涙を流していた。


 スウィーシは元農民の娘ながら、この都一番の商工会の息子であるリックの妻だった。何故スウィーシが結婚出来たのかと言えば、事実親から売られたのだった。



 数年前、普段農民が出入りする場所には出向かないリックが偶然、村長と話をするタイミングで見掛けたスウィーシに一目惚れした。その時スウィーシは九歳だったが、リックは迷うことなく彼女を手に入れるよう、すぐに手を回した。


「……いや、結婚なんてしたくない」


「馬鹿なことを言うな。お前が犠牲になるだけで、この村が幸せになるんだ」


「そうよ、お父さんとお母さんを助けたいと思わないの? この、親不孝者!」


「なんで、どうして……」


 リックはキャンディをコロコロと口の中で転がしながら両親に破格の金額を提示し、彼女との婚約を取り付けた。


 人身売買は許されていなかったが、リックの商会は都一番の規模であり、事実上の絶対権力を保持していたのだ。そのため、不満があったとしても抵抗することは出来なかった。ただ、彼女の両親はむしろ嬉々ききとして、金に目がくらんで彼女を引き渡してしまう。


 それは、到底許されることではなかった。けれど、今はどうすることもできない。ただ、耐えることしかできず、彼女はリックの屋敷に連れていかれてしまった。



「おい、俺様の妻になったからには、一通りの家事や身の回りの世話はしてもらうからな。ノロノロ動くなこのグズ!!」


「い、いやッ!!」


 リックの屋敷に来てから、彼女はほとんど奴隷扱いだった。家政婦がやるような仕事も任され、寝る時間もなく動き回る。食事は一日一回、リックが適当に食事で残したものを分け与えられた。言うことを聞かなければ手製のむちで叩かれた。


 彼は十六歳で、身長は百五十センチ程度。小太りで顔にできものをたずさえて、常に脂っぽい顔だった。掃除も身の回りの世話も家政婦任せともなれば、身嗜みだしなみも悪い。不潔で傲慢ごうまん、商会の仕事は何もしていない。偉そうに出来るのが不思議だった。


「ね、ねぇ……どうして、どうしてこんな酷いことをするの?」


「ひどい? 馬鹿なことを言うなよ。お前は農民で、庶民だろ? 一生畑をたがやしてまともな生活が送れなかったはずのお前が、暖かいベッドで眠れてるだけありがたいと思え。そんなことも分からないのか?」


「で、でも……私、ほとんど眠れてなくて、お腹も空いて……」


「はぁ……どこまでも農民ってのは低俗だな。いいか、土いじりをしてれば済むお前らと貴族の俺様とでは、時間の価値が違うんだよ。こうして一秒過ごす間に、一体幾らの金が舞い込んでくると思う? ただ座ってるだけで、だ。これが俺の力。金を稼ぐ力があるから、お前ら庶民を食わせてやってんだよ」


「……じゃあどうして、私が」


「ふん、自惚うぬぼれるな。他の庶民より、少し見てくれが良かっただけだ。……そういや、お前もそろそろ十歳だったな?」


「ひっ……」


 そうしてリックは彼女の身体を眺めてから、舐めていたキャンディを口から取り出して、舌舐めずりをした。手招きをすれば丸っこい指でスウィーシの身体のラインを撫で、思わず彼女は短い悲鳴を上げてしまう。その気味の悪い笑みがたまらなく不快で、彼女の目には涙が溜まっていく。


「た、助けて……村に、返して、ください……」


「は、諦めろ。お前はもう、俺の貴重な時間を使った消耗品だ。替えなんていくらでもいるが、まだ使える。使えるうちは、俺の所有物だ。俺の金で買ったんだ。文句は言わせないぜ?」


 スウィーシは成す術なすすべ無く、絶望するしかなかった。



 そうして十年が経った。リックの父親は引退し、彼が事実上の商会の会長となる。スウィーシは今もリックの妻として健在だった。ただ、身体はやつれ、衣服は古いものばかり。表情は暗く、目は死んでいた。具合でも悪いのか、今にも倒れそうな様子だった。


 今日はリックの会長就任を祝うパーティが屋敷の大広間で開かれていた。当然のようにスウィーシの席はなく、リックのかたわらに使用人と並んでたたずんでいた。


 ただ、彼女はジッと何かを見つめていた。リックの背後から何かを念じるようにして。


「……おい、スウィーシ! 飲み物が足りなくなる。さっさと補充しろよ、グズ。ったく、本当に気が利かない女だ。いやぁ、申し訳ない。妻とは名前ばかりで、十年経ってもこの通り。家政婦の仕事一つ出来ない無能っぷりに困っておりますよ」


 リックに言われて彼女は表情一つ変えぬまま、頭を下げてキッチンへ。リックは数人の貴族仲間と談笑をしながらも、ひたすらにスウィーシを罵倒ばとうし続けた。


「時間感覚がズレておるんですよ、何せ畑の娘ですからね。ご存知ですか? 丸一日かけて、ただただ土をいじるんですよ、農家というあの手のやからは。それで仕事をした気になっているというのだから、商人にとってみれば虫唾むしずが走るのなんの」


 貴族連中まとめてドッと笑いが巻き起こる。じっとその様子を窺っていると、スウィーシが戻ってくる。


「遅い!! 全く、お前は今日も食事抜きだな。はは、見ましたかコイツのやる気のない顔を。我々商人の時間は有限、こうして皆様との談笑の時間すら貴重であり、浪費するだけの時間は苦痛でしかない。それが分かっていれば、予め準備をしておく、走って取りに行く、そういう行動があってしかるべきだろう、なぁ無能の穀潰ごくつぶし? 聞こえてるか、うん? そういえば、今日は随分と薄汚れてるな。……どれ、主人直々に洗ってやるよ」


 そういって手元のワイングラスを持って、彼女の頭に浴びせかけた。辺りにはワインの匂いが広がり、当然彼女は頭からワインの色に染まった。リックは何の反省の様子を見せることなく、むしろ笑って席に戻った。


 この程度は日常茶飯事さはんじ。彼女はそれを、十年経験した。


「あーあー、折角の美味いワインが台無しだな。庶民はそれでも舐めておけ」


 そう言ってからリックはテーブルにあったキャンディーを一つ手に取り、口に含んだ。


「さて、それで……ん? 何か変な味が」


 コロコロと口の中で味わっているのを、確かに見た。彼女の方を見れば、今日初めて目の奥に生気を見せた。ならば、行動するのみだ。


 俺ももう、我慢の限界だった。指を鳴らす。


「「「大人しくしろ!!!」」」


「ッ! な、な、なんだ!?」


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