第35話 途切れかけの気力




 もう、限界が近い。

 助けに来てくれるという期待も、時間が経つにつれて小さくなっていった。一生このまま、人形としての過ごすのではないかという絶望がつきまとい、俺を内部から徐々に壊していく。


 そんな俺の姿は、相手にとって理想だったらしい。ここ最近は機嫌がよくて、少しぐらいの動きなら大目に見てもらえるようになった。そのことをありがたいと思うなんて、完全に毒されている。


「今日も綺麗だよ。椿君」


 丁寧に髪をとかされ、そしてお気に入りなのだろう白を基調としたフリフリのドレスに着替えさせられる。


「これは、僕の初恋の人が着ていたものを忠実に再現したんだ。椿君によく似合っている」


 満足のいく出来になったらしく、色々な角度から眺め始めた。俺はこの状況が馬鹿らしくなって、自然と口角が上がった。


「椿君も嬉しいの? そうだよね」


 勝手に自分の都合のいいように解釈するので、やけを起こして口を開く。


「……そ、んなわけ……あるか」


 前よりも、さらに声がかすれる。でも、なんとか言葉になった。

 俺が話したことで、機嫌が良かったのが一気に落ちる。


「僕、話していいなんて許可出てないよね? いつの間に、そんなに悪い子になったの?」


 ここで止まらなければ、危険だった。それでも、俺はもうどうでも良くなっていた。止まる理由がなかった。


「……おれは……あんたの、にんぎょうじゃ……ない……」


 この言葉を、ずっと言いたくてたまらなかった。我慢していた分、言った後にはしてやった感が湧いてくる。

 でも、それは同時に命の危機でもあった。


「なんだろうなあ。人って、慣れると駄目なのかな。それとも、優しくしすぎたかな。もっと厳しくするべきだったってこと?」


 ブツブツと呟き、そしてなんの予備動作もなく髪の毛を掴んできた。髪の毛が数本抜ける音がした。痛い。

 謝った方がいい。冷静な部分がそう忠告するが、ヤケになった気持ちの方が勝った。声も段々と出せるようになったから、余計に止まらなくなる。


「うるさい……変態。気持ち悪い。小さい頃の抑圧を、人に押し付けるな。俺は人形なんかじゃない。人間だ」


 今日、俺は殺されるだろう。それぐらい、相手から殺気が放たれた。


「駄目だなあ。やっぱり、彼女以上に素晴らしい存在はいないか。椿君だったら、上手くいくと思ったんだけどなあ」


 目からハイライトが消えて、そして髪の毛を掴んでいた手を乱暴に振り払う。その勢いで床に俺は倒れ込んだ。体勢を立て直そうとしたが、その前に上に乗りかかられた。

 馬乗りの状態で、俺を見下ろす姿は危うさしか無かった。


「失敗作はいらないよね。どこで間違えちゃったんだろう。頑張って理想の彼女を作っていたはずだったんだけどな。この失敗は次に活かそう。ああ、本当にどうして上手くいかなかったんだろう。最悪の気分だよ」


 首に手がかかる。そのまま遠慮なしに力が込められて、一気に酸素が無くなる。ハクハクと口を動かし酸素を取り込もうとするが、どう頑張っても無理だった。


「いらないものは処分しなきゃ。次は完璧な人形を作るんだ。僕だけのお人形。可愛い可愛い人形を」


 この人も、とても可哀想だ。

 幼少期に周囲からおさえつけられて、厳しい環境の中で、慰めとなったのが初恋だという人形だったのだろう。でもそれも取り上げられてしまい、ぐちゃぐちゃの執着だけが残った。

 そんな時に俺を見つけ、取り上げられた人形と重ね合わせる。子供だった俺は恐怖で従順だったから、自分の好きなようにコントロール出来て楽しかっただろう。邪魔が入ったせいで、今の俺でも上手くコントロール出来ると期待していたのか。とんだ思い違いだ。


 人形として一生を送るぐらいだったら、ここで死んだ方がマシである。このまま首を絞められれば、俺は死ぬ。それでも後悔はなかった。いや、最後にみんなに会いたかった。


 俺が死んだら、俺は構わないけど、みんなは悲しむ。悲しむだろうし、俺を助けられなかったことで、一生自分を責めるかもしれない。それは嫌だった。死ぬ後悔はなくても、みんなを悲しませる後悔はあった。

 ごめんなさい。俺がもっと強ければ、ここから一人で抜け出せたかもしれないのに。助けてくれるまで耐えていたのに。もう限界だったのだ。


 もう俺は死ぬ。言い残した言葉。言いたかった言葉が残っていた。俺は目の前も真っ暗な中で、力を振り絞って笑った。


「……き……」


 それを伝えたかった人は、ここにはいないけど、どこかから届いてくれればいい。

 さらに絞める力が強くなった瞬間、一気に外が騒がしくなった。最初は死ぬ間際に、自分の願望が形になったのかと思ったが、どうやら実際に起こったことらしい。

 首を絞める手が離れて、そして一気に酸素を取り込んだ体から、大きな咳が出る。咳き込む背中を、誰かがさすってくれた。


「大丈夫か!?」


「大丈夫ですか?」


「大丈夫っ?」


 これは俺の夢じゃないか。都合のいい幻を見ているんじゃないか。明るくなった視界で、三人の顔が見える。

 都合のいい幻ではなかったら、こんなのはヒーローだ。俺は涙を流して、目の前にいる人に抱きつき、そのまま意識を失った。





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