第32話 最悪な中で
誰かの声が聞こえた気がした。それは、俺を安心させるものだった。
助けに来てくれる。根拠はないけど、そう思った。
俺のために用意したという部屋に連れてこられて、まっさきに服を着替えさせられた。それは、前にも着せられたフランス人形みたいなヒラヒラの服だった。
何が怖いって、その服がピッタリだったことである。まるでオーダーメイドしたかのように俺の体に合っていて、今の姿を前々から知っていたみたいだった。
たとえそうだったとしても、ここまで正確に分かるのだろうか。最初からサイズを把握していたとしか考えられない。そんなことが可能なのか。お金を使えばなんでも出来る。そういうことだろう。
二回目だからか、それとも成長してメンタルが強くなったのか、まだ心は壊れていない。
ヒラヒラの服を着せられてはいるが、それ以外は相手の機嫌を損ねないようにすればいいからか。
苦痛ではあるが、まだ大丈夫だ。これが一生続くとなれば、頭がおかしくなりそうだけど。
一日中、向こうが家にいることはない。仕事に行っているみたいで、俺が自由にできる時間もある。
ペット見守りカメラで逃げていないか確認される。でも直接的に見ている時以外は、生活に最低限の動きは許してもらえるのだ。これで食べること、寝ることすらも許してもらえなければ、とっくに本物の人形になっていた。
きっとみんな、俺がいないことをおかしいと思ってくれている。心配して探しに来てくれているはずだ。すぐに見つけてくれる。
そう期待して待っていた。
「もしかして、前みたいに助けに来てもらえると思っている?」
それは突然聞かれた。独り言なのか質問なのか答えに困り、ただ相手を見つめた。
「前の方が可愛かったのに、なんか気に食わないんだよね。希望を捨ててない感じが。きっとすぐに助けてくれるはずだから、待ってれば大丈夫とか考えているんでしょ?」
何も答えない方がいい。そう思っていることがバレたら、ずっと機嫌が悪くなって俺のささいな動きも、それこそ呼吸さえも許してくれなくなる。
鼓動が早まったのが、相手に聞こえている気がした。距離があるのにも関わらずだ。こちらをじっと見ていて、一挙一動を見逃さないとばかりである。
「ねえ、どうなの? あのいけ好かない男が助けに来るって、本当に思っている?」
息を止めた。彼が言っているのは、竜樹さんのことだろう。忌々しげな表情に、強い憎悪が伝わってきた。当時のことを思い出して、俺を手放す原因になった竜樹さんを恨んでいるのか。完全にお門違いな恨みだ。
「でも残念だったね。この場所が知られることはないから。絶対に。あいつも、ここには来られない」
どうして、そんなに自信満々なのか。前回失敗したのに、ここまで自信を持って言われると嫌な予感がする。
「どうしてかって顔をしているね」
表情には出さないように気をつけていたのに、伝わってしまうぐらいに出てしまった。
機嫌が悪くはならなかったが、その代わりくすくすと嬉しそうに笑っている。不気味な笑い方だった。
「この場所が知られるはずがないからね。僕からたどっても行き詰まる。ここは、僕が用意した場所じゃない。僕の家も関係ない。全く思ってもみない繋がりのおかげだ」
そこまで言うのだから、本当に見つからない可能性が大きい。もし見つけられたとしても、それはだいぶ時間がかかった後かもしれない。俺はそこまで気持ちを持たせられるのか、自信が無くなってしまった。
「そうそう。その顔が見たかったんだ」
俺の絶望を感じとって、恍惚とした顔で頬に手を伸ばしてくる。するすると撫でられ、そしてべろりと舐めてきた。
ぞわりと鳥肌が立った。しかし悲鳴は飲み込む。
「もっと絶望して。そうすればそうするほど、椿君は美しくなるから」
涙ごと舐めとると、さらに絶望を深めさせるためか、すぐに部屋から出ていった。残された俺は、先程の会話を脳内で繰り返しながら、相手の思うつぼにはまった。
もう何日経ったのだろう。数える気力もなくて、ただただ無気力に流していた。
最初はそれでも、助けに来てくれると信じて待った。みんななら、きっとこの場所も見つけ出してくれると。
でも時間が経過するにつれて、どんどん信じたい気持ちがしぼんでいく。本当に来てくれるのか。どうして、まだ来てくれないのか。
人形としての生活を強いられる中、そのことばかり考える。
「……ど、して……」
話をしなさすぎて、声がかすれた。大きな声を出すと気が付かれるから、このぐらいがちょうど良かった。
俺の居場所を、ちゃんと探してくれているのだろうか。もしかして、本当に見つからなくて諦められてしまったのではないか。
諦めていなかったとしても、ここにたどり着くまでに、一体どれぐらいの時間をここで過ごさなければいけないのか。
考えれば考えるほど、精神が疲弊していく。
「……っ」
涙が自然とこぼれた。誰かの名前を呼んだつもりだったが、もう自分でも誰の名前を呼んだのか分からなかった。
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