第30話 蘇るトラウマ
あまりの恐怖に動けなくなった俺は、そのまま工場から連れ出された。
何度も抵抗しようとした。もう子供じゃないのだから、本気で抵抗すれば相手も怯んだはずだった。
でも無理だった。俺は誘拐された当時に戻ってしまった。怖い。それだけしか、頭になかった。だから、傍から見れば素直に車に乗りこみ連れていかれた。
車内では、のんきな鼻歌が響いた。それが俺を、どれぐらい怖がらせているのか知らずに。もしかしたら嫌がらせかもしれない。そうだとしたら効果は絶大だ。
拘束されているわけではないのに、体が震えて縮まることしか出来ない。
そして、どこをどうやって走ったのか覚えることのないまま、大きなマンションの前に着いた。まさかここなのか。もっと古くて小屋みたいな所に連れていかれると、勝手に考えていたので、拍子抜けしてしまった。
「ここが、僕と椿君の新しいお城だよ」
でもそう言われた瞬間に、マンション全体が気持ちの悪いもののように思えた。お城という言葉に、当時の光景がフラッシュバックした。
父から話に聞いていた通り、俺はこの人に人形としての扱いを受けていた。彼は昔から、人形が好きだったらしい。小さい頃、祖母が持っていたドールが初恋で、その気持ちをバレた父親に取り上げられたことでおかしくなってしまった。
表面上は執着を上手く隠していたようだったが、人形への恋心は年月が経つにつれて、どんどんねじ曲がっていった。自分だけの人形を欲した。それがどうして人間を人形にすると決めたのかは、さすがに分からない。
その哀れな犠牲者として選ばれたのが、俺だったわけだ。当時の俺は、まあたしかに子供というのもあって、可愛らしかった。
近い場所に住んでいたのも、運が悪かった要因の一つだ。四人で遊んでいるところを偶然見て、俺に目をつけた。時間をかけて俺のことを調べあげ、そして一人だったタイミングで連れ去った。
そこから先は、思い出さない方が良かった記憶かもしれない。幼い俺が封印した理由が分かる。
どうして昔の話を、ここまで詳しく説明できるのかというと、監禁されている間に向こうが勝手に話してきたからだ。俺はそれを鮮明に覚えていた。
「椿君。ほら、帰ろう。僕達だけのお城に」
帰るなんて、そこは俺の家じゃない。ふざけるな。気持ち悪い。もう俺は子供じゃない。一緒になんて行かない。
言ってやりたいことはたくさんあった。でも一つも口から出せなかった。催眠術にでもかかったみたいに、口が開かない。
黙っている俺を見て、相手は満足したらしい。
「そうそう。よく覚えているね。動かない、口を開かない。約束したよね。守れて偉い偉い」
手が伸びてきて、頭を撫でられる。触れられる瞬間、思わず目をつむってしまった。その動作は、お気に召さなかったらしい。舌打ちが聞こえてきた。
「いや。やっぱり離れていた間に、忘れたことも多いみたいだね。まあ、いいよ。これから時間はたっぷりあるんだから、また覚えればいい。じっくりとね」
嫌だ。嫌だ。
またあの時間を、人形としての生活を強いられる日々は嫌だ。
カタカタと震える。恐怖で声が出ないのか、記憶を思い出して声が出ないのか、自分でも分からなかった。
「ああ。本当に椿君は、僕の理想だ。会えない時間は、気が狂いそうだったよ。だから、さあ。早く安心させて。昔みたいに、綺麗に着飾ってあげるからね」
「ひっ」
車から引きずられ、外に出される。プライベートのしっかりしているマンションなのか、それとも時間帯が悪かったのか、中に入っても誰ともすれ違わない。助けを求められなかった。
俺はボロボロと涙を零し、これからの生活を想像して絶望した。
竜樹さん、倉敷先生、優介君の顔が浮かぶ。助けてほしい。今すぐ、ここに現れてくれないか。そう願っても、誰も現れなかった。現実は、俺に優しくなかった。
何も障害なく部屋までたどり着くと、カードキーで解錠する。無駄にセキュリティが高い。きっと値段もそれ相応なのだろう。竜樹さんには及ばないにしても、おそらく平均以上には稼いでいる。俺にとっては最悪なことだ。
中は、随分と綺麗にされていた。特に驚くことではない。前の時もそうだった。整理整頓された部屋が、逆に気味の悪さを増長させていた。
「椿君のための部屋も、ちゃんと用意してあるんだよ。もちろん喜んでくれるよね」
後ろから、肩に手を置かれる。首の後ろにかかる息に鳥肌が立つ。あまりに距離が近い。でも振り払えなかった。
幼少期のトラウマは、簡単には克服できない。あれから、年月が経っているのにも関わらずだ。
「早く椿君の部屋に行こう。君がいてこそ、完成するんだ」
強く押されているわけでも無いのに、自然と足が前に進む。目的地は、廊下の突き当たりの部屋らしい。そこに行ったら、もう二度と帰ることは出来ない。それなのに足が止まらない。
扉が開かれる。その先に広がる部屋は、俺のトラウマをさらに刺激した。
「おかえり。僕のお人形さん」
また、俺はここで人形にされる。今度はもう、逃げられない。
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