第29話 その人物





 どうやら眠っていてしまったらしい。いや、気絶か。

 目を覚ました俺は、手と足が縛られているのに気がついた。テープや紐だったら何とかなったかもしれないが、これは結束バンドというものだろうか。がっちりと固定されていて、少し動かしてみても無駄だった。


 目隠し猿ぐつわをされていないから、状況を把握することは出来る。ここは、先ほどまでいた工場の中だろうか。やはり使われていないらしく、埃をかぶった機械が見えた。窓もところどころ割れているところがあって、そこから光が差し込んでいる。真っ暗ではないけど、薄暗くて恐怖を増長させる。


 どうして、こんなことになっているのだろうか。意識を失う直前の記憶が曖昧だった。待ち合わせをしていて、相手が少しだけ遅れていて。


「それから……どうなったんだっけ?」


 なにか、とてつもなく怖いことが起こって、それで気絶した。そのなにかが、今は混乱していて思い出せなかった。

 俺が勝手に気絶したおかげなのか、まだ拘束される以外に危害は加えられていない。痛むところは無いので、今のところは元気だ。でも、だからといって安全なわけではなかった。


 犯人は、やっぱり会う予定だったgiasさんなのだろうか。行きずりの犯行とは考えづらい。

 後悔先に立たずと言うが、安易に会うべきではなかった。大丈夫だと勝手に判断して、その結果がこれだ。

 ここから抜け出すことが出来たら、どんな説教でも受けよう。それには、とにかくまずは逃げなくては。


 俺は必死に顔を動かして、辺りを観察する。近くに犯人はいない。音も聞こえないから、どこか別の場所に行っているのだろう。それなら多少大きな音を立てても、相手には気づかれづらい。

 手足の拘束が解ければ、逃げられる可能性も格段に高くなるのだが。結束バンドか。たしか、いい方法があった気がする。昔どこかで見たのを思い出そうと、必死に頭を働かせる。

 そうだ。確かロックの部分を解除出来ればいいんだ。分かったはいいが、解除するのに必要な道具なんて。

 俺はついているらしい。拘束されている時点で不運かもしれないが、すぐに手頃なものを見つけたのだ。運がいいとしか思えない。

 それは太い針金が突き出ている部分だった。どうして、その状態になっているのかは知らない。何かの拍子に飛び出たのだろう。太さが解除をするのに、かなり丁度よさそうなのだ。

 まずは、手の部分から解こう。俺は必死に体を起こした。そして、針金の先をロックの部分にねじ込む。最初は上手くいかなかったけど、力の入れ方のコツを掴むと後は早かった。

 こんなことをするなんて初めてのことだったから、手首に擦り傷はできてしまったが外せた。

 手の方を外せたら、後は早かった。足もすぐに外すと、凝り固まった体を伸ばす。第一関門は突破した。気付かれずに逃げられれば、助けを求められる。俺はまた周辺を確認した。時間はかかってしまったが、まだ気づかれていない。そのままいなくなってくれていれば一番ありがたいけど、そこまで楽観的な考え方をするのは危ない。


 なるべく息を潜め、姿勢を低くすると出口へと向かった。裏口を選んだのは、もう一つの方を開ける時に音がしそうだと推測したからである。裏口はよくあるドアノブのついたタイプだったので、こっちの方が逃げやすそうだった。

 音を立てないように、ただそれだけを意識して扉の前まで来ると、耳をすませる。動く音は聞こえない。人はいなさそうだ。

 ドアノブをゆっくりと開け、誰もいないのを確認すると外に出た。外は砂利になっていて、雑草が所々に生えている。工場のものなのか、鉄くずも落ちていた。

 右と左、どちらに進むか。俺には、どちらも行き止まりに見えた。でもそんなわけない。必ず出口はある。

 自分を落ち着かせるために深呼吸をすると、右に進むことに決めた。辺りを警戒しながら小走り。一番奥まで来て、そしてその先を確認した。

 まだ道は続いている。正解みたいだ。人の気配もなく、胸を撫で下ろしながら逃げられそうな方に曲がる。

 姿勢を低くしたまま移動するのは、やり慣れていないせいもあるけど腰が痛い。それでも命の危機だ。わがままは言っていられない。

 そのまま進んでいくと、出口らしきところが見えた。

 そこを抜ければ、とりあえずはなんとかなるはず。俺は緊張から解放されたくて、思わず走ってしまった。出口が輝いている。あと少し。

 何かを掴むように手を伸ばす。それは自由を掴むはずだった。


「椿君。どこ行くの」


 どこから現れたのか、全く分からなかった。気づいた時には、手首を掴まれていた。その腕の主を辿っていく。

 駄目だ。止めた方がいい。そう本能は警告している。でも見なければ、一体誰なのかを。


 俺はまるでスローモーションのように、ゆっくりと顔を向ける。

 そうだ。俺はこの人が恐ろしくて、怖くてたまらなくて気絶してしまったのだ。


「せっかくまた会えたのに。久しぶりだから、もっと楽しもうよ」


 蓋をしていた記憶が、一気に溢れ出す。

 この顔を、この声を、俺は覚えている。


「今度は、誰にも邪魔をさせずに、ゆっくりとね」


 そこにいたのは、俺を昔誘拐した男だった。腕を掴んだまま、ニタリと笑う。その笑みに、俺は一気にトラウマがよみがえって動けなくなった。




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