第18話 伝わっていく気持ち





 ああ、知れば知るほど恋というものが分からなくなる。

 俺は本当に、誰かと結婚するのだろうか。全然そんな気がしなくなった。自分の気持ちが分からないなんて、どうなっているんだ。俺は馬鹿なのか。


 優介君も倉敷先生も、二人とも話をしている時の表情が生き生きとしていた。あんなふうに人を好きになれるなんて、しかもその対象が俺だなんて、いまだに驚いてしまう。

 昔会った時のことを思い出せば、納得できるのか。そんなに、昔の俺は二人に好かれるような行動をしたのか。全く覚えていない。


「そういえば、昔の俺ってどんなだったかな」


 子供の頃、ぼんやりと覚えているのは小学生までだ。それより前となると、全く思い出せない。

 もしかしたら、この頃に二人と会ったのかもしれない。


「椿は昔から可愛かったな」


「竜樹さん。聞いていたんですか」


「たまたまな。盗み聞きしていたわけじゃないから、そこら辺は誤解するなよ」


 独り言だったはずなのに、返事があった。しかも竜樹さん。仕事じゃなかったのだろうか。


「あー、今日は早く終わって。出先からそのまま帰ってきたんだ」


 疑問が顔に出ていたようで、どうして早く帰ってきたのかの説明をしてくる。そういうこともあるのか。確かにそのまま帰ってきたらしい竜樹さんは、スーツをくつろげ出す。

 ネクタイを緩める姿は、意識してやっているわけではなさそうなのに色気が出ている。これは、危ない。ずっと見ていたら、それこそ優介君の言う通り妊娠しそうな色気だった。

 直視出来ずにいると、にやりと笑われる。


「何見ているんだ、すけべ」


「すけっ!?」


 ジロジロと見ていたのは認めるが、決してやましい気持ちはなかった。しかし、すけべという言葉に、図星をつかれたように焦ってしまう。


「ち、違いますっ!」


「焦ると余計に怪しいなあ。まさか、スーツが好きだったなんてな。ほら、遠慮せずにもっと見ろよ」


 ニヤニヤとしたまま、俺にスーツ姿がよく見えるように動く。似合っているからこそ悔しい。否定しながらも、視界に入ってしまう。フェチでは無いが、格好いいと認めるしかない。


「もう、からかわないでください!!」


 あまりにもしつこいから、本気を混ぜて怒った。絶対に見るものかと視線をそらせば、今度は竜樹さんが焦り出す。


「わ、悪かった。調子に乗りすぎた」


 その姿には、いつもの余裕が全くなくて、別にすごく怒っていたわけではないけど続けてみた。


「竜樹さんなんて、もう知りません」


 そっぽをむくと、一瞬だけ視界にうつった竜樹さんが絶望した表情を浮かべていた。俺としては、からかいの仕返しだった。しかし、予想以上に打撃を与えたらしい。

 そうなると、今度は俺がいじめているようで居心地が悪くなる。


「えーっと、竜樹さん。言いすぎました。すみません」


 こんなことで喧嘩に発展したくはない。謝るが勝ちだと、俺は彼の方を見た。顔を手で覆ってしまい、どんな様子なのか読み取れない。しかし体が震えていた。

 まさか泣いているのか。そう思った俺は、パニックになって反射的に動く。


「ご、ごめんなさい。傷つける気はなかったんです。からかわれた仕返しをしただけで。な、泣かないでください」


 あの竜樹さんが泣いている。絶対に泣くようなタイプだと思っていなかったから、余計にどうすればいいのか困ってしまう。


「大丈夫、大丈夫ですから。ね?」


 困りすぎて、まるで子供を泣き止ませようとしている行動になる。

 竜樹さんを座らせて、頭を抱きしめると心臓の辺りに耳が来る位置に調整した。

 心臓の音には安心させる効果があると、昔テレビで見たことがある。大人に聞くのか分からないが、やらないよりはマシだ。

 ぎこちない手つきで頭を撫でていれば、竜樹さんの震えが激しくなった。落ち着かせるはずなのに、どうしてだ。これ以上どうすればいいと、助けを求めて周りを見た。しかし、誰もいない。


「……くくっ」


 抱えている頭から、笑い声が聞こえてきた。震えているのは、どうやら笑っているせいだったらしい。心配して焦っている俺を見て、随分と楽しんだようだ。趣味が悪い。


「……竜樹さん?」


「……くくっ。だいぶ焦っていたな。」


「騙したんですか!」


「別に騙したわけじゃない。椿が勝手に誤解しただけだ」


「誤解するような行動をとったじゃないですか!」


「俺は別に嘘泣きしたつもりはないんだけどな」


 ムカつく気持ちを込めて、力を入れて竜樹さんの胸を叩く。痛いはずなのに、竜樹さんは嬉しそうに笑う。


「いいじゃないか。俺は抱きしめてもらえて嬉しかった。椿に触れられるだけで、昔からドキドキしている。小さい頃から、椿は誰にでも優しかった。そんな椿を俺も好きなんだ」


 竜樹さんが、胸を叩いていた俺の腕を掴む。そしてまるでダンスするみたいに、右へ左へ動かしてくる。


「いつでも俺に話を聞いてくれ。昔のことが知りたいんだよな。なんでも教えるから。俺に聞いてくれ。俺だけにな」


「あ、うん」


 あまりに顔が近いから、心臓が騒ぐ。こういうのが積み重なっていけば、いつかは恋になるのだろうか。




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