第17話 知りたい恋





「恋って、一体なんでしょう」


 優介君に教えてもらってから、何かが見えた気がしたのだが、また分からなくなってしまった。そのため、一番答えてくれそうな倉敷先生に聞いてみることにした。


「これはまた、難しい質問ですね」


 俺の問いかけに、倉敷先生は顎に手を当てて考え込む。


「……恋、という字は戀とも書けるのを知っていますか?」


「戀。初めて見ました」


「この漢字は、江戸時代の都々逸で『いとしいとしというこころ』と書かれています。とても面白いと思いませんか?」


「いとしいとしというこころ、なんだか綺麗な言葉ですね」


「恋というのは人それぞれです。燃えるような恋もあれば、陽だまりのように穏やかな恋もあります。人と違うからといって、おかしくはないです。むしろ自分の気持ちを大切にするべきでしょう」


「気持ちを大事にする。まだ分からないとしてもですか」


「それが恋に変わるまで、大事に育てていくのも楽しいですよ」


「育てていくんですか。倉敷先生はどうですか?」


「私?」


「先生は、どんな恋をしていますか?」


 倉敷先生がどんな恋をしているのか、とても気になった。倉敷先生の書く物語は、恋愛が絡むこともある。美しい初恋もあれば、ドロドロとした不倫沙汰まで、さすがに公私混同はしないが、どんな恋をしてきたのか知りたくなる。


「私の恋は……まるで空のようです」


「空、ですか」


「ええ。とても綺麗で、いつまでも眺めていたいですが、時には恐ろしいものに変化する。危険もあります。しかし、憧れが消えることは無いです。そして、手を伸ばしても届かなかった。そのもどかしさは、とても耐え難いものでした」


「辛いと思ったことはないんですか?」


「辛い。そうですね。辛いと思うのが普通なのでしょう。しかし、私はこの気持ちを持ち続けて良かったと思っています」


「そういうものですか?」


 辛いのに、持ち続けて良かったと思うなんて、やはり大人の意見だ。辛いことばかりだと、俺には耐えきれない。


「それに辛いことばかりではありませんよ。楽しいことだって、いっぱいありますから」


「例えばどんな時ですか?」


「そうですね……今こうして話ができることでしょうか」


 さらりと口説かれた気分だ。俺は予想もしていなかった攻撃を受けたように、一瞬呼吸が止まる。俺の話だったのか。今気がついた。


「さ、さすが倉敷先生。口が上手いですね」


 俺はいたたまれなくなって、軽口でごまかそうとした。そうしないと、どんな顔をしていいのか分からなかった。


「私の言葉が、ただの軽口だとは思わないでください。こういった仕事をしていますので、言葉というものを私は大事にしております。嘘やごまかしの言葉は言わない主義です」


「へ、えっと」


「私は、椿君と一緒に過ごすことが出来て、毎日が幸せな気持ちであふれています。この気持ちは嘘ではありません。君には伝わってほしいです」


 倉敷先生は微笑む。その表情に、彼の気持ちが伝わってくる。心臓が騒いで、彼の顔が見られなくなった。


「椿君は、他の二人を好ましく思っていますね。私のことも好意的に見てはいるかもしれませんが、それは憧れの延長にすぎません」


「それは……」


 違うと言ったら嘘になる。嘘が下手だから何も言えなかった。こういう時に、優しい嘘が言えるようになりたい。俺はまだまだ子供だ。


「いいんですよ。分かっていたことですから。私の小説が好きだというのは嬉しいです。この前、本棚を見ましたが、私がデビューしてから全ての本がありましたね。あそこまで集めてくれるなんて、作家冥利に尽きます」


「倉敷先生の小説に出会えて、俺の人生は変わったんです。本当はサイン会やトークショーに行きたかったんですけど、タイミングが合わなくて今まで駄目だったんです」


「タイミングが……そういうことですか。こうして会えて良かったです」


 いつの間にか手が握られていた。あまりにも自然だったから、気がつくのが遅れた。しかし、嫌な感じはしない。


「やはり、私はまだ意識してもらえていませんね」


 ふりはらいはしなかったのに、悲しそうにされてしまった。


「もし、今こうして手を握っているのが須藤さんだったら、どうですか?」


「……竜樹さんだったら」


 こうして握られていたら。いや、握られる前に気がついて、たぶん逃げている。


「……彼の方が優勢ですか。それでは満重君だったらどうでしょう」


 優介君だったら。きっと嬉しそうに笑うだろうから、俺もつられて笑ってしまうのだろう。


「……友情と測りかねている、といったところでしょうか。しかし、私にも、まだまだ逆転する余地は残っているようですね」


 俺には聞こえないぐらいの声量で何かを言ったかと思えば、そっと手を引き寄せられる。そして手にキスされた。手の甲ではなく、左の薬指だった。


「いつかここに。私が贈った指輪をはめていただければ、これ以上に幸せなことは無いでしょうね」


「あ、へ、は」


 まさかこんなことをされると思ってもみなくて、言葉が出てこない。そんな状態の俺を見て、彼は満足そうに笑った。


「少しは意識していただけましたか?」


 俺の知らない顔だった。






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