第16話 好きを知っていく





 竜樹さんが戻ってから、しばらくは何も起こらなかった。みんなそれぞれ様子を伺っているようで、休戦状態だった。

 喧嘩をしなければみんな大人なので、俺の精神的には安心できる日が続いた。


 しかし、ただの同居生活ではないので、穏やかな時間が続くわけがなかった。

 それぞれを恋愛対象として見ると決めたはいいが、具体的にどうすればいいのか困るところだ。三人は違う魅力を持っていて、判断が難しかった。


「困ったなあ……」


「どうしたのぉ?」


 思わずこぼしてしまった弱音を、優介君がすぐに拾った。

 今は一緒に、授業で出された課題をしているところだ。俺と優介君は、得意と苦手が全く逆なので、教え合うにはうってつけだった。

 その最中に、いつの間にか考え込んでしまっていたらしい。


「あ。えっと、この問題が解けなくて」


「どれどれぇ」


 慌てて問題のせいにしたが、すでにほとんど解き終わっているところだった。あとは答えを書くだけなのに、解けないのはありえない。優介君もすぐに気がついた。


「なにかぁ、悩み事があるんだよねぇ」


 見抜かれた。困ったと口にしていたのだから、悩んでいるのが分かりやすかったかもしれないが、本人に直接言うのはよろしくない気がする。


「そうかも。でも大丈夫だから」


 これは、俺一人の問題だ。誰かに手伝ってもらえない。

 大丈夫だと言って話を終わらせようとすると、優介君が音を立ててノートを閉じた。


「えーっと、課題終わった?」


 大きな音に驚き、おそるおそる尋ねる。機嫌を損ねることでもしてしまっただろうか。


「んー。つぅくん、ちょっと俺の目を見てぇ」


「へ? うん」


 声色から怒っていないと分かったが、頼み事の真意が読み取れない。害になるようなことはしないと信頼して、課題から優介君に視線を移す。

 いつになく真剣な眼差しだ。


「目をそらさないでぇ」


「わ、分かった」


 人と目を合わせるのは緊張してしまう。それが優介君だとしてもだ。

 しかし、そらすなと言われてしまったから、離すことが出来ない。


「今、何が見えるぅ?」


「なにって……優介君しか見えない、かな」


「そうでしょう」


 何がしたいのだろう。自慢げに笑う姿は癒されるが、目的が不明だった。


「難しく考えることはないんだよぉ。こんなふうにぃ、誰かのことしか見えなくなるものだからぁ」


 俺の悩み事なんて、とっくにお見通しだったらしい。


「その人のことしか目に入らない、その人のことばかり目で追っているぅ。俺はぁ、そういうことだと思うんだよねぇ。まぁ、一つの例だと思ってぇ」


 その人のことしか目に入らなくなる。確かに、今の俺はそういうことはなかった。


「恋っていうのは、どうにかできるものでもないからねぇ。いつの間にかぁ、好きになっているものだよぉ」


「優介君もそうだったの?」


 彼の言葉には重みがあった。ただの話ではなく、きっと実体験だ。


「……うん。そうだよぉ」


 目を見開いた優介君は、ふにゃりと顔を緩めた。そして俺の肩に寄りかかってくる。

 ふわふわの髪が、首にあたってくすぐったい。猫に擦り寄られているみたいで、思わず笑ってしまう。


「つぅくん、大好きだよぉ」


「……ん。あのさ、優介君と俺って、昔どこかで」


 聞こうとした質問は、途中で遮られる。


「それはぁ、まだ駄目かなぁ」


「いつかは教えてくれる?」


「そうだねぇ。時が来たらかなぁ」


 顔は見えないが、悲しい表情をしていると分かった。なんだかもどかしくなって、俺は優介君の背中に腕を回す。そして、背中を軽く叩いた。


「そんなことされたらぁ、寝ちゃうよぉ。つぅくんはあったかいねぇ」


「優介君の方が温かいよ」


 ポカポカとしていて、俺の方が眠ってしまいそうだ。まどろみながら背中を叩いていれば、優介君がしがみついてくる。


「おれのことだけをぉ、みてくれたらぁ、うれしいなぁ。そうしたらぁ、しあわせだねぇ」


 笑い混じりのその声を聞きながら、俺はそのまま寝てしまった。だから、どう答えたのか自分でも分からない。





 好きという感情を、自分で作りだすことは出来ない。自然と好きになっているもの。

 また優介君に教えられた。

 どれだけ俺が、今まで恋と無縁だったのかを突きつけられた。

 こんなことにならなければ、まだまだ知らなかっただろう。興味が無いわけではなかったが、特に焦ってもいなかった。


 こんなことを言うと後付けに聞こえるかもしれないけど、俺はどこかでこの状況になるのを感じていたのかもしれない。

 どこかで、俺は三人を待っていて、だから恋をしてこなかったのか。そう思うようになった。自分でもありえないと分かってはいるが、しっくりくるのだ。


 恋をしたい。その人しか目に入らないような、そんな恋がしたい。

 竜樹さんも、優介君も、倉敷先生も、みんな恋をして輝いている。その輝きが羨ましかった。


 俺も、あんなふうになれるだろうか。確かなことは言えないけど、してみたいと思うぐらいには、みんなのことを好きになってはいる。

 まだ恋愛とは言えないけど。





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