第12話 竜樹さんは
「出て行くって、どういうことですか?」
「言葉通りの意味だ。もう共同生活なんてうんざりなんだよ。だから出て行く。それだけだ」
「でも、どうして」
「どうしてもなにもないだろう。お前と結婚する気がないから、こんなくだらないところから出て行くだけだ」
あまりにも突然すぎる。頑なな態度に、俺は手を伸ばした。
「触るな」
しかし触れる前に、強く睨まれてしまい手が止まった。そこまで言われたら、もう触れない。力なく手を下ろすと、竜樹さんは深く息を吐いた。
「面倒だ。お前も、俺がいなくなってせいせいするだろ」
「そんなこと」
「それじゃあ、おれを選ぶって言うのか?」
目と目が合う。その瞳は、すでに諦めているようだった。しかし、どこか懇願もしていた。俺の答えに期待している。それを読み取っても、彼の望む答えを返せそうになかった。
「俺は……」
俺が選べないのを、竜樹さんは分かってしまった。舌打ちが聞こえる。
「そういうことだ。俺がいなくても、別に変わらないだろう」
吐き捨てると、もう俺の言葉なんて聞こえないとばかりに去っていく。
引き止められなかった。引き止めても、俺は竜樹さんを選ぶとは言えない。変な期待をさせられなかった。
俺が固まっている間に、竜樹さんは荷物をまとめて最後まで何も言わずに出ていった。扉の閉まる音を聞いて、俺はようやく動くことができた。
「これで、これで……良かったんだ」
選ぶために時間をかけて考えさせてくれというのは、俺のわがままだ。巻き込まれた方からすれば、たまったものではない。
竜樹さんの方から見切りをつけたのなら、俺が引き止める権利はなかった。俺もそうだが、彼にだって選ぶ権利はあるのだから。
それなのに、どうしてだろう。胸が痛くてたまらない。
「……っ……ふっ……」
俺が泣いてどうする。泣きたいのは俺じゃないはずだ。そんな資格はない。それでも涙が止まらず、一人取り残された部屋で、優介君が帰ってくるまで泣き続けた。
「つぅくん、大丈夫ぅ?」
帰ってきて泣いている俺を発見し、ものすごく驚いたらしい。ずっと傍から離れない。
もう涙も止まり、だいぶ落ち着いてきた。
安心させるために、俺は笑顔を作る。
「大丈夫だから。心配かけてごめん」
上手く表情を取り繕ったと思ったのに、優介君は顔をしかめた。
「無理はしなくていいんだよぉ。悲しい時は悲しいってぇ、我慢せずに言ってぇ。それとも俺ぇ、そんなに頼りない?」
「そんなことないよ。優介君のおかげで、すごく助かっている。でも、頼りすぎるのも良くないと思って……」
「頼ってくれたら頼ってくれただけぇ、とっても嬉しいよぉ」
本当にそれなら、遠慮なく頼らせてもらおう。後悔しても知らないと心の中で警告しながら、俺はまた涙が溢れてくるのを自覚した。
「そうそう、泣きたい時は泣いてすっきりするのが一番だよぉ」
泣き出した俺に今度は驚くことなく、優介君は抱きしめてくる。体が包み込まれて、気持ちが安心する。こんなにもすっぽりと体を包まれると、自然と顔がほころぶ。でも涙も止まらない。
「ありがとう。実は、竜樹さんと話をしようとしたんだけど、駄目だった。もういいって、この家から出て行くって……俺は、止められなかった。止める資格が無いって」
話すうちに、さらに涙が止まらなくなった。出て行く竜樹さんの後ろ姿が、今でも思い浮かぶ。悲しかった。本当にいなくなってしまったのだと、そう実感した。
「つぅくんは悲しいのぉ? たっつんがいなくなってぇ」
「辛い。辛いけど、俺が引き止める理由がなくて。竜樹さんを選べるかどうか分からなくて。そうしたら、そのままいなくなった」
ぐずぐずと鼻を鳴らし、俺は優介君にしがみつく。涙と鼻水で服を濡らしても、文句を言うことなく背中をさすってくれる。
「俺っ、竜樹さんとっ、このまま終わるのは嫌だっ」
「うんうん。そうだよねぇ。きっとたっつんもそうだと思うよぉ」
「でもっ、話を聞いてもらえなかった」
話し合おうとしたのに、拒否された。いくら話をしようとしても、話を聞いてもらえなかったら、どうしようもない。
「竜樹さんは、帰ってくるつもりがないんだ。話も聞いてもらえないのに、もうどうすることも出来ない」
「本当にそうかなぁ」
「でも、聞いてくれなかった」
「たっつんもぉ、今は少し頭に血がのぼっているだけだからぁ。きっと後悔しているはずだよぉ。怖いと思うかもしれないけどぉ、もう一回だけ頑張ってみない?」
「……もし駄目だったら?」
「その時はぁ、俺がいーっぱい慰めてあげるからぁ安心してぇ」
「そっか、それなら安心だ」
心強い味方がいると分かれば、また話をする勇気が湧いてきた。涙と鼻水も止まり、次に出てくるのは恥ずかしさだった。
「えっと、ごめん。あの、色々と汚して」
優介君の服は俺のせいで酷い有様だった。改めて見ても酷くて、俺は何度も謝る。
「いいんだよぉ。役得だからぁ」
しかし優介君は優しいので、穏やかに許してくれた。
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