第11話 倉敷先生と
俺の強い口調は、思っていたよりも効果があったらしく、倉敷先生は話をするのを止めた。
こちらを窺う姿は、どこか怖がっているふうにも見える。そんなに怖がる必要はあるのか。どちらかというと、俺の方が怖い。
「……俺は、今までずっと逃げていました。婚約者なんて断ればいいと、それしか考えていませんでした」
「それも、仕方ないことでしょう。突然婚約者が、三人もいると言われれば、困惑するのも当たり前です」
「いえ。俺はみなさんの気持ちを考えていませんでした」
ずっと、自分のことしか考えていなかった。
「ちゃんと考えようと決めたんです。向き合おうと決めたんです。だから、ちゃんと話してください」
これで話してくれるだろうか。不満に思ったことを言ってくれるだろうか。俺は口下手だから、これ以上は何かを言うのは難しい。
倉敷先生の答えを待つ。下を向いてしまった彼は、唇をもごもごと動かした。
「私は……結局は、きっと嫉妬していたんだと思います」
ぽつりぽつりと、言葉を重ねていく。
「保護者の顔をして、優しい大人のふりをして、それで椿君が私を好きになってくれればいいと、そう計算していたんです。ずるい人間なんですよ」
懺悔するように言っているが、そこまでのことだろうか。別に普通のことじゃないか。
「打算的だったとしても、倉敷先生はきちんと家事をしてくれたりしたじゃないですか。それはなかなかできることじゃないですし、とても助かっています。計算でもいいと思いますよ。誰だって、ずるい考えを持っているものですから」
「私に幻滅しないのかい?」
「幻滅? どうして幻滅するんですか?」
そう聞く意味が分からなかった。幻滅なんてしない。普通のことなのだから。
心底分からずに首を傾げていると、倉敷先生が眉を下げて笑った。
「そうですね。君はそういう人でした」
倉敷先生も、まるで俺のことを知っているような言い方だった。優介君の時と一緒だ。会ったことがないはずなのに、どうして昔から知っているような言葉を口にするのだろう。
「今まで、会ったことは……ないですよね?」
その質問に、倉敷先生もまた悲しそうな表情を浮かべた。一人ならまだしも、二人がそう言うのならば、やはり俺がなにかを忘れてしまっている可能性が出てきた。それが全く思い出せない。
「そんな顔をしないでください、別に責めているつもりはありませんよ。いつか……いえ、大丈夫ですから」
逆に気になってしまう。俺の忘れた俺の記憶。そこには、優介君と倉敷先生がいるはずだ。簡単に思い出せないということは、ずっと昔のことなのか。
「とにかく勝手に嫉妬して、勝手に避けて申し訳ありません。椿君を悲しませてしまいましたね。なんて酷いことをしてしまったのでしょう」
「俺も、色々と駄目でしたから。こちらこそごめんなさい。これから、まだ一緒に暮らしてもらえますか?」
「当たり前じゃないですか。むしろこちらがお願いすることですよ。私も、まだ婚約者候補でいいのでしょうか?」
「当たり前じゃないですか」
三人と一緒にいて、そしてもっと知っていく。そこには倉敷先生がいなくてはならない。俺はそっと彼の手を握った。
「これからもよろしくお願いします」
握った手は、緊張のせいか冷たかった。とても緊張していたみたいだ。俺は自分の体温を分けるように、力を入れて握る。
「椿君の手は、温かいね」
「昔から子供体温なんですよね。冬は重宝されますけど、夏は近寄るなって言われてしまいます。酷いですよね」
「こんなに温かいと眠くなりそうですね。とても温かい。心も温かくなってきました。椿君は、魔法が使えるのですね。凄いです」
「俺が魔法が使えたら……もっとみんなが幸せになれますよ。使えたらいいのに」
そう思ったが、魔法なんて使えるわけが無い。ただ体温だけを分け与えながら、俺は魔法が使えれば無くした記憶を思い出すのにと、心の中で考えた。
「椿君は、もう使えていますよ」
その言葉は、ただ俺を慰めるためだけのものだったのか。それとも。
倉敷先生とは、新しい約束をした。
家事を遠慮せずに手伝わせてもらうこと。隠し事、我慢をしないこと。強要をしないこと。本当に執筆活動で忙しい時には教えてくれること。
きちんと約束を交わした。もし破ったら、罰として一週間なんのお世話を受けないと決めた。罰として成立するのかと思ったが、俺以上に倉敷先生が嫌がっていた。
そんなにか。そんなに嫌かと、逆に驚いてしまった。
とにかく倉敷先生との関係は、上手く改善できた。むしろ、さらに仲良くなった気がする。
これは、竜樹さんとの話も上手くいきそうだ。そう期待した俺は、その勢いのままに竜樹さんとの話し合いの場を設けた。
「俺は、話をするつもりはない」
「そう言わないでください。大事な話なんです。だから、避けたことは謝りますから、どうか話をさせてください」
「そう言われてもな。俺だって忙しいんだ。俺と話なんかしたくないだろう。それなら、これからも関わらないでいればいいじゃねぇか。……この家から、俺は出ていくからな」
「……へ?」
突然の言葉に、俺は口を開けて固まった。
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