第9話 教えられる
怒られる。
人に迫られるのに慣れていないから、怖くて目を閉じた。叩かれるわけないと分かっている。しかし衝撃を覚悟した。
「はぁい。ストォップ」
この声は。場にそぐわない緩い声に、緊張の糸が解けて体の力を抜く。
目を開けた。
「優介君」
「やっほぉ、ただいまぁ」
「お、おかえり」
「おかえりなさい、満重君。今、椿君と話をしている最中ですので、邪魔をしないでもらえますか?」
冷ややかな倉敷先生の声は、直接向けられたわけではない俺さえも怖かった。しかし、優介君は怯まない。
「話しているにしてはぁ、つぅくんが怖がっているよねぇ。そういうのってぇ、良くないと思う」
俺を庇うように、優介君は代わりに話してくれる。自分で言えばいいのだが、何を話せばいいのか思いつかなかった。
「君には関係の無い話です。少し席を外してもらえますか?」
「えぇ。分かったぁ」
俺を置いていくのか。優介君に庇う義理はないけど、裏切られた気分だった。また二人きりにされたらどうしようもない。俺はすがりたかった。しかし巻き込むのも悪い。
伸ばした手を下ろしかけた。しかし、その前に掴まれる。
「それじゃあ、行こうかぁ」
「へっ?」
何かを言う前に、そのまま連れられる。
「ま、待ちなさいっ」
後ろから声が聞こえてくるが、優介君は止まらなかった。むしろ楽しそうに、くすくすと笑いながら、外へと連れ出してくれる。
後ろから追ってくる気配がないまま、そこからだいぶ遠くまで走った。
見知らぬところまで走ると、ようやく優介君が止まってくれる。二人とも息を切らし、疲れているせいで足に力が入らない。
「急に走ってぇ、ごめんねぇ」
「い、いや。むしろ助かったよ。ありがとう」
「それなら良かったぁ」
本当に助かった。あのまま二人きりにされていたら、どうなっていたことか。
お礼を言えば、嬉しそうに優介君が笑う。きっと助けるかどうか迷っていたのだろう。倉敷先生に怒られるかもしれない怖さもあっただろうに、俺のために頑張ってくれた。それが嬉しい。
「何があったのぉ? いつもなら、つぅくんが嫌がることしないはずでしょ?」
「それは……」
「言いたくないことぉ?」
「えっと」
言いたくはない。でも、優介君は助けてくれた。何も聞かずに助けてくれた。それなのに、何があったのか教えないのは良くないだろう。
「実は……」
俺は簡単に何があったのかを話した。竜樹さんのこともだ。キスをされたことを話すのは恥ずかしかったけど、流すように早口で言った。
最後まで大人しく聞いていた優介君は、話が終わると腕を組んで頷く。
「なるほどねぇ。そういうことぉ」
俺よりも理解した様子だ。簡単に説明しただけなのに、飲み込みが早い。
「急に迫られたらぁ、怖くなるのも仕方ないよねぇ」
「……信じられないよ。俺にとっては急なことばかりで、選べって言われても困る」
「そうだねぇ。つぅくんは、俺達のことが嫌い?」
嫌いか聞かれると、そうではないと答えられる。だからといって、好きとも言えないが。
「嫌いじゃない」
「それならぁ、分からないじゃなくてぇ、考えてみてくれると嬉しいなぁ」
「考える」
「そう。選べって強制はしないけどぉ、最初から無理だって決めつけられるのも悲しいからぁ。駄目かなぁ」
そうだ。俺は話を聞いてから、考えずに拒否してばかりだった。絶対に選ばないとしか頭になかった。それは確かに、三人にとっては酷い対応だ。気持ちを無視している。怒られるのも当たり前だった。
「……駄目じゃない。ちゃんと、考えて答えを出す」
「ありがとうねぇ」
「いや。お礼を言うのは、むしろこっちの方だよ。こんな簡単なことも忘れているなんて、馬鹿だった。気づかせてくれてありがとう」
「ううん。全部自分のためだからぁ。少しでもチャンスがほしかっただけだよぉ。俺だって、二人と変わらない」
軽い動作で立ち上がった優介君は、俺を見下ろす。背が高いから、そうなると威圧感が出る。
「俺だってねぇ。つぅくんとちゅうしたいと思うしぃ、俺のことを選んでって思ってるよぉ。でもそれをしたら、つぅくんが困るだけでしょ。だからしない。でもつぅくんにキスしたのは許せないなぁ」
ふに、と唇に指で触れられる。そのまま感触を楽しむようにつつかれて、口を閉じるしかない。
「あはっ。ふにふにぃ。柔らかいねぇ」
体を折り曲げて触るのは大変じゃないのかな。腰が痛くなりそうだ。
「いいなぁ。でもちゃんと我慢するよぉ。つぅくんを悲しませたくはないからぁ。でもいつかは出来るといいねぇ」
最後にキスするみたいに、軽く指を押し付けて離した。少しだけ、本当にキスをされるかと思った。
「先生絶対怒っているだろうからぁ、そろそろ帰ろうかぁ。つぅくん、もう立てるぅ?」
「あ、うん」
手を差し出されて、俺はその手を遠慮なくとった。強い力で起こされ、そしてその勢いのまま軽く抱きしめられた。
「これぐらいはねぇ、許してほしいなぁ」
相談に乗ってくれたのもあり、しばらく抱きしめあっていた。
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