第57話 私は、忠告したのに……

 レイスリーフェを後ろに乗せて、風を切るようにひた走る。

 彼女はこのスピードに怯えて、落ちるまいと必死にしがみついていた。

 サビーナは顔についた血を、グイと肩口で拭い取る。


 サビーナと同い年くらいの騎士だった。

 最初に斬った方の騎士は死んだかどうかわからないが、若い方は完全に絶命しただろう。


 サビーナは興奮からか肩で息をしていた。

 脳内が沸騰しているようにさえ感じる。


 もう後には戻れない。


 なにをしてでも、セヴェリを生かす……と。


 そうして馬を走らせること数分。


「いた!! あそこだ!!」


 後方からの気配に、サビーナは首だけで振り向いて確認する。

 そこにはクラメルの騎士が三名、馬に乗って追いかけてきていた。

 他の騎士はこのスピードにまだ追いついてないだけなのか、それともサビーナの言葉に従って追ってこなかったのか。

 どちらかはわからないが、三名ならばどうにかなるかもしれない。

 いや、どうにかしなければならない。

 サビーナは極めて冷ややかな目をレイスリーフェに送った。


「レイスリーフェ様、あの三人はあなたが死んでもいいと思っているようですよ」

「そんなわけは……っ」

「下がるように言ってください。じゃないとあなたを本当に殺します」

「……本気なのですか……」

「冗談であんな若い騎士を殺したりしません」


 ゴクリ、とレイスリーフェが息を飲むのがわかる。

 サビーナのこれは、脅しであって脅しではない。

 レイスリーフェを殺す覚悟はできているのだ。

 その覚悟を感じ取ったのか、数秒の後、彼女は了承してくれた。


「わかりましたわ……彼らに追わないように言えば良いのですね」

「理解が早くて助かります」


 サビーナは追ってくる三人に弓使いがいないのを確認してから、速度を少し落として追いついてくるのを待つ。


「レイスリーフェ様!! 今お助けしますぞーー!!」


 比較的老齢の騎士がそう叫んでいる。相手が剣を抜いたので、サビーナもまた剣を抜いた。


「さがりなさい、ヴィルヘルム!! 追ってきてはいけません!! 本気でわたくしを殺すつもりでいるんです!!」

「しかし……このまま引いて、レイスリーフェ様が無事でいる保証はないのです! しがみついている手を離しなされ!! そこから飛び降りれば……っ」


 すかさずサビーナはバックガードの要領で、後ろにいるレイスリーフェに剣を当てる。ギラリと剣が光るのを見たレイスリーフェの手が、ブルブルと震えながらもサビーナの体を強く掴んでいるのがわかった。


「三人ともさがって!! 本当に、殺されてしまいますわ!!」

「っく、レイスリーフェ様……ッ」


 ヴィルヘルムと呼ばれた男の、後ろについていた二人の騎士が、速度を落として視界から消えていく。

 しかし老齢の騎士だけは、未だ速度を変えずに追ってくる。


「ヴィルヘルムッ!!」

「お願いじゃ、お願いじゃあ!! レイスリーフェ様だけは……ッ」

「そう思うなら、追ってこないで!! しつこくすれば、本当に殺すから!!」


 サビーナがそう叫ぶと同時に、ヴィルヘルムの顔付きがスッと変わる。


「これだけ頼んでも、か?」


 サビーナを射抜くような鋭い眼光。

 ヴィルヘルムは情けない老齢の騎士から、精悍かつ威厳のある顔へとその様相を変えたのだ。

 その顔を見た瞬間、サビーナの手がビクリと震えをみせる。


 ──ゾッとした。


 この老齢の騎士は、ただの頑固じじいかと思っていたが違う。そんな風に装っていただけだ。

 場数を踏んでいる凄腕騎士の顔だった。

 六十を過ぎているであろう年齢だというのに、汗ひとつ掻かず追ってきている時点で気付くべきであった。


「レイスリーフェ様を渡すんじゃ。今なら殺しはせん」


 ヴィルヘルムは急に速度をグンと上げた。

 一瞬早く反応したサビーナが、馬を左方へと移動させて逃げるように走らせる。

 それに合わせるかのようにヴィルヘルムも同じように寄せてくる。

 迫りくるヴィルヘルムを見て、サビーナは己が斬られるシーンを明確にイメージしてしまった。

 レベルが違うということを、一瞬で認識してしまったのだ。


 剣を交わしても、弾かれて刺される。

 逃げることに専念しても、やはり追いつかれて斬られてしまう。


 ならば。


 サビーナがこの老齢の騎士から逃れられる方法は、ひとつしかなかった。

 サビーナは剣をチャキンと逆手に持ち替える。

 そしてまるで彼を憐れむかのような冷涼な瞳を、ヴィルヘルムに向けた。


「あなたのせいで、レイスリーフェ様は死ぬ。私は、忠告したのに……」


 ヴィルヘルムの顔がハッと喫驚に変わった瞬間。

 サビーナは剣を、背中にしがみついている人物に思いっきり突き刺した。

 己の剣が血肉を吸う、グジュグジュという嫌な音が脳に響いてくる。


「う……あ……」


 レイスリーフェの、サビーナを掴んでいる手が緩められていく。

 彼女の美しい声が、絶望で満たされる。


「レイスリーフェ様ぁぁああッ!!!!」


 ヴィルヘルムが剣を振り上げた瞬間、サビーナはレイスリーフェに刺していた剣を抜き取る。

 そしてさらに左方へと馬を揺さぶり、ヴィルヘルムの剣を避けると同時にレイスリーフェを馬から振り落とした。

 ドスンと音を立て、レイスリーフェは血飛沫を舞い散らせながら地に落ちて転がる。

 それでもヴィルヘルムはサビーナを追ってくるつもりのようだった。

 速度を落とさず迫ってくる鬼神のような老齢の騎士に、サビーナは恐怖を覚える。

 剣を収めて手綱を握り直すと、一人分軽くなった馬の速度を最大にまで上げた。

 しかしそれでもヴィルヘルムは狂気の顔のまま追ってくる。


「戻って!! レイスリーフェ様を死なせる気!? 戻って医者に診せないと、あそこで本当に死ぬことになるからっ」

「う……っく!!」


 そう言うとようやくヴィルヘルムは馬の速度を落として、旋回した。

 レイスリーフェがまだ生きているのかは、サビーナにはわからない。

 しかしなんとか老齢の騎士を振り切り、殺される恐怖から解放される。


 セヴェリ様……!!

 今すぐ助けに行きます!!


 サビーナはカラカラになった喉をゴクンと己の唾液で潤し、再び帝都へ向けて進路をとるのだった。

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