第56話 じゃあ、誰が……っ

 ユーリスに来て、三日が過ぎた。

 セヴェリはいつもクラメル卿やクラメルの騎士達と話をしている。

 結婚の準備というよりは、謀反の準備でこちらに来たと言った方がいいのかもしれない。そう思えるほどに、彼は着々と準備を進めてしまっている。

 サビーナがその話し合いの場に同席することは認められなかった。彼はまだ、サビーナに謀反の話をしてくれていない。ただのメイドに話す必要もない話だというのはわかるが、少し寂しかった。


「サビーナさん、少しお願いがあります」


 レイスリーフェが相変わらずの透き通るような声で話しかけてきて、サビーナは嫌な顔を隠して振り返る。


「なんでしょうか、レイスリーフェ様」

「お遣いを頼まれてほしいの」

「……お遣い?」


 サビーナは眉を寄せた。ここには何人もの使用人がいる。なのになぜ、自分が頼まれなければならないのか。


「失礼ですが、他の人ではいけないのですか? 私はセヴェリ様から離れたくないのですが」

「セヴェリ様は今、お父様とお話をしてらっしゃいますわ。サビーナさんはこの間いつもなにもしてませんから、お暇だろうと思いまして」


 にっこりと微笑まれると、天使の顔をしているだけに断りづらい。まだまだクラメル卿との話し合いは続くであろうし、この屋敷に世話になっている手前、お遣いくらいはしておいた方がいいのかもしれないと思い、サビーナは頷く。


「わかりました。どのようなお遣いですか?」

「この手紙を、セイラン地区に住むトナード卿に渡してください」

「すみません、セイラン地区って……」

「南の方ですわ。街の者に聞きながら行けば、辿り着けるでしょう。では、お願いしますわね」


 この時、サビーナはふとした胸のざわめきを感じていた。それでも手紙を渡すだけという遣いを断ることはせず、すぐに戻って来ればいいだろうと判断して出掛けてしまった。

 そう、サビーナは、そのほんの少しの胸騒ぎを無視すべきではなかったのだ。


 サビーナがレイスリーフェの言いつけ通りにセイラン地区に行き、手紙を渡し終えて帰って来た時、クラメルの屋敷を出てからかなりの時間が経っていた。

 セイラン地区は遠く、しかも道がややこしかったためだ。中々目的の場所に辿り着かず、時間を浪費してしまっていた。途中で諦めて帰って来ればいいものを、サビーナはこの程度の仕事もこなせない人物と思われたくないというちっぽけなプライドのために、そうすることはなかった。


 屋敷に戻ってまず最初に行った場所は、セヴェリとクラメル卿が会合しているはずの部屋だ。

 しかしそこにはすでに誰の姿もなく、次にセヴェリの部屋へと向かい、部屋をノックした。


「セヴェリ様……セヴェリ様!?」


 応答が、ない。嫌な予感が過ぎり、サビーナは思わず扉を開けた。


「セヴェリ様!!」


 ガコンとはしたない扉の音が響くも、そこにはセヴェリの姿がない。サビーナの顔から血の気が引いていく。


 まさか……

 まさか。


 不安で鼓動がどんどん大きくなり、目の前が真っ白になってきた。

 が、倒れている場合ではない。今のセヴェリの状況を早く確認しなければ。

 サビーナは急いでレイスリーフェの部屋へと向かい、失礼などとは考えもせずに、その扉を荒々しく叩いた。ガンガンという耳障りな音が辺りを震わせる。


「レイスリーフェ様! レイスリーフェ様!!」

「こちらですわ」


 振り返るとレイスリーフェが階段を降りようとしていて、サビーナは彼女に慌ててついていく。


「屋敷内では静かにしてくださらないと困ります」


 そう言いながらさっさと玄関に向かうレイスリーフェ。サビーナは彼女を引っ捕まえたい衝動を抑えながら、冷静なふりをして問いかける。


「レイスリーフェ様、セヴェリ様が見当たらないのですが」


 レイスリーフェは首と目だけで後ろのサビーナを見て、また視線を前に戻している。

 イライラとする時間が流れた。レイスリーフェはなにも言わずに玄関にいた熟練の騎士と若い騎士を連れて外に出ている。


「お答え頂けないのですか!? セヴェリ様はどちらにいらっしゃるんですか!!」


 クラメル邸の門を出ようとした時、サビーナはたまりかねてそう叫んだ。

 レイスリーフェは、羽虫がうるさいとでも言いたげな目で、ようやく体ごと振り返る。


「セヴェリ様は帝都へと向かわれました」

「帝……都?」


 その行き先の意味。それを考えて、サビーナは凍りついた。


「ま、さか……」

「ええ、マウリッツ様が摘発されたのです。それによりセヴェリ様も帝都に連行せよというお達しが来ましたの。今クラメルの騎士が、セヴェリ様を帝都へと移送中ですわ」

「……う、そ……」


 目の前が真っ暗になる。

 マウリッツが摘発された。セヴェリも帝都へと移送中。

 その先、彼らがどうなるかなど想像に難くない。

 謀反を企てた罪で裁かれる。もしかすると……処刑も、あり得る。


「レイスリーフェ様、どうして……っ!! まだ結婚までには時間があったはずです!!」

「勘違いなさらないで。密告したのはわたくしではありませんわ」

「じゃあ、誰が……っ」


 いや、今は誰が密告したかは問題ではない。

 密告されたことにより、すでにセヴェリが帝都へと移送されていることが問題なのだ。

 帝都とランディスの街は近いので、マウリッツはすでに連れられてしまっていることだろう。しかし、セヴェリなら急げばまだ間に合う。

 サビーナが厩舎の方へ体を向けた瞬間、待っていたかのように二人の騎士に行く道を塞がれた。


「どこへ行くというんですか、サビーナさん」


 冷静なその美しい声に、サビーナは苛立ちを覚える。斜め後方からの声に、サビーナは振り返らず拳を強く握った。


「セヴェリ様を、助けに」

「おやめなさい。あなたまで連行されたいんですの? セヴェリ様が謀反を企てているのを知らなかったと言い張れば、あなたが捕まることはありませんわ」

「止めないで下さい! 私がセヴェリ様を、お助けしなければ……っ」

「止めますわ。リックバルドさんからあなたを頼まれていますもの」


 レイスリーフェが背後でなにか合図をしたのか、目の前の熟練騎士がサビーナに手を伸ばしてきた。


 捕まっては駄目だ。

 男の力で拘束されてしまえば、逃げ出すのは現実的に不可能。

 そうなればセヴェリの元へは行けなくなる。

 彼を救い出せなくなってしまう。


 ヒュッと風を切る音が鳴る。

 と同時に目の前の騎士の胸から、血飛沫が舞い散った。

 その男は、呆気なくドスンと仰向けに倒れる。


「なっ!! き、貴様ぁああ!!」


 もう一人の騎士が剣を抜き、サビーナに向かって振り下ろしてくる。

 熟練の騎士を先に倒しておいて正解だった。若い騎士はサビーナに刃が届く瞬間、僅かに柄を握る手を弱めた。


「はああーーッ!!!!」


 人を斬るとき、躊躇してはならない。その一瞬の隙が命取りになるのだから。

 サビーナは下方から鍔を引っ掛けるようにして斬り上げる。

 若い騎士の剣が弾き飛ぶのと同時に、彼の体が二つに裂けていく。



 血の味がした。



 なんの罪もない者を斬り伏せて、その返り血がサビーナの顔を叩きつける。

 後悔を感じる暇などなかった。

 必死だった。

 ただ彼を救うために、夢中だったのだ。


「な、なんということを……」


 サビーナの狂気じみた行動に、レイスリーフェはガクガクと震えている。

 そんな彼女を引っ掴み、サビーナは厩舎へと急ぐ。


「一番の早馬を出して!! 早く!!」


 中にいた馬の世話係に叫んだ。レイスリーフェの喉元に剣を当てて睨むと、「こ、こいつです」と一頭の馬を指差している。レイスリーフェを脅して先に乗せると、サビーナもその馬に飛び乗った。

 屋敷の方から断末魔を聞いた騎士達がこちらに向かってくるのがわかる。


「ここに来る騎士達に追ってくるなと伝えて!! 追ってくれば、レイスリーフェ様の命はないから!!」


 そう言うと、サビーナは帝都に向かって一直線に馬を走らせた。


 セヴェリを助けるために。

 セヴェリを生かすために。

 己の使命をまっとうするために。

 デニスとの、約束のために。


 サビーナは、休むことなく馬を走らせるのだった。

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