第51話 お礼のお礼なんて、もらえないです!

「おっ」


 サビーナが一人で祭りを見て回っていると、こちらに気付いた男が声を上げて近付いてくる。


「おい、サビーナ。一人か?」

「うん、デニスさんは……仕事じゃなかったの?」


 デニスは帯剣してはいるものの、なぜか騎士服ではなかった。オーケルフェルト騎士隊員は漏れなく警備に当たっているはずだが、なにかあったのだろうか。


「午前中は休みって急にセヴェリ様に言われてよ。そんかし午後から明日の昼まで警護を仰せつかってる」

「午後から? セヴェリ様の警護?」

「ああ、遠出するらしいぜ。わざわざ祭りの日に出掛けなくったっていいのにな」


 サビーナは思わず眉を顰める。まさか、出掛ける際の警護をデニスに頼んでいるとは思っていなかった。なにか嫌な予感がサビーナの頭を掠めていく。


「まぁ逢い引きしたくなる気持ちはわかっけどな」

「あ、逢い引き!?」


 サビーナが驚いて声を上げると、デニスの方が驚いたように目を丸めていた。


「んだよ、びっくりするじゃねぇか」

「だってそんな、逢い引きとかじゃ……」

「もうすぐ結婚だっつーのに、待ちきれないんだぜ、セヴェリ様。レイスリーフェ様と何度非公式で会ってっことか」


 そうデニスが楽しそうにカカカと笑い、サビーナはハッとした。

 デニスは、セヴェリが遠出してレイスリーフェと会うと思っている。恐らく今までにそういうことが何度もあって、その度に護衛役をデニスに任せていたからだろう。

 それともサビーナが勝手に期待してしまっていただけで、本当にレイスリーフェとの密会なのだろうか。また前回のような話し合いに立ち会ってほしいだけなのかもしれない。


「どした、サビーナ」

「う、ううん。なんでもない」

「あのよ」

「え?」


 サビーナが顔を上げると、デニスは照れ臭そうに言った。


「今から一緒に祭りを見て回んねぇ? 昼まではまだ時間あるしよ」

「え!? でも……」

「こんだけの人なんだ。だーれも俺らに注目なんかしねーって。行こうぜ」


 そういうとデニスは強引にサビーナの手を握り、さっさと歩き出してしまった。

 少々困惑しながらも、デニスのこの強引さが嫌いではないから困ったものだ。

 思わずにやけてしまいそうになる顔をこらえながら、サビーナもデニスの手を握り返した。

 それに気付いたデニスがこちらに顔を向けて、目を細めてくる。美形のこういう顔は反則だと思うので、本当にやめてほしい。


 二人は手を繋いだまま出店を見て回った。

 小腹が空いたというデニスは、パニーニを買って食べながら歩いている。

 サビーナは出店の一つに惹かれて中を覗いた。そこには色々な形をした瓶が置いてあり、それには様々な絵が描かれている。

 それを端から順に見ていると、パニーニを食べ終わったデニスが一緒に覗き始めた。


「なんか欲しいもんあんのか?」

「うん、オレンジの描かれた小瓶が欲しくて」

「ここにあるよ」


 店の女主人がサビーナの言葉を聞くなり、それを手に取ると押しつけるようにして渡してくる。

 サビーナが勢いに負けるように手に取ると、確かにそこにはオレンジの絵が描かれてあった。小瓶は綺麗に色付けされてあって、セヴェリが持っていてもおかしくはない。それにきっとアデラオレンジの種をいれても、良い音がなるはずだ。

 前回プレゼントした不出来な物は回収して、これに変えてもらおう。


「あの、これください」

「二千ジェイアね」


 女主人が無表情にそう言と、デニスはあり得ないというように口を尖らせている。


「ちょっとねーちゃん、ぼったくり過ぎだろ? 」

「手間賃が掛かってるんだよ。私は一切まけるつもりはないからね」

「にしたってよ……」


 まだ食い下がりそうなデニスの手を引いて、サビーナは訴えるように言った。


「い、いいよデニスさん! 人にあげるものだから、あんまり値切りたくないし」

「え? 俺に?」


 サビーナの思考は一旦停止してしまった。なぜか彼は、盛大な勘違いをしてしまっている。


「えっと、これは……」

「ああ、懐中時計の礼か? 別に返しを要求するつもりなかったんだけどな……まぁ、サビーナがくれるっつーんなら……」


 彼は嬉しそうにはにかみながら、勘違いを加速させていく。今さら、『これはセヴェリ様にあげる物です』と言える雰囲気ではない。

  サビーナは提示された額を女主人に支払い、小瓶を手に入れた。

 そしてワクワクしているデニスを見上げる。こんな顔を見てしまうと、あげないわけにはいかなかった。


「あの、これもし良かったら……懐中時計に比べたら安いものだけど」

「サンキュー! マジで嬉しい!」


 そう言って喜んでくれる顔を見るのは、すごく嬉しい。でもデニスにために買った物ではないので、罪悪感がチクチクと胸を刺した。


「で、これなにするもんなんだ? なんで小瓶?」

「えーっと……特に理由はなくって、なんとなく……」

「そっか。折角だし、身につけておきてえな。……そうだ」


 デニスは組紐を売っている店を見つけ出して適当に紐を買うと、蓋のコルクに穴を開ける道具を借りてそれを通した。


「それ、どうするつもりです……」

「うん? 腰のベルトに付けとく。そうすりゃ、ずっと身につけていられんだろ?」

「いやいやいやいや! そんな、身に付けるようなものじゃ……! それなら、なにかもっといいものを買ってきますから!」

「いいって! 二千ジェイアでも、新米メイドには痛手だろ? 俺はこれで十分。気に入ったしな」


 そう言ってデニスはベルトに括り付けてしまった。セヴェリとのペアルックが完成である。サビーナの作ったお粗末な物と比べれば、こちらの方が何倍も良かったが。

 うーんとサビーナがそれを見てうなっていると、デニスは奥の店を見てハッとしている。


「サビーナ、ちょっとここで待っててくれ。すぐに戻っから」

「え? う、うん」


 サビーナが了承すると、デニスは悪戯小僧のように笑って人ごみの中を行ってしまった。

 どうしたんだろうと待っていると、本当にすぐにデニスが駆け戻って来くる。


「どうしたの、デニスさん」

「へへっ、小瓶の礼!」

「ええ?!」


 見せられた手の中には、前髪を留めるための小さなクリップが入っていた。布で作られた小さな小さな花が三つ付けられていて、見るからに可愛らしい。


「お礼のお礼なんて、もらえないです!」

「安もんだし気にすんなよ」


 デニスはそのクリップをサビーナの前髪に留めてくれた。いつもあるはずの前髪の左半分がなくなり、スースーする。


「ど、どうですか?」

「すっげー似合ってるぜ! めちゃくちゃかわいい!」


 臆面もなくそう言われ、サビーナは大いに照れた。デニスは真っ直ぐで嘘の付けない男だということはわかっている。つまりこれはお世辞などではなく、彼の本心だ。


「あ、ありがとう……」


 サビーナは生まれて初めて卑屈になったりせずに礼を言うことができた。

 デニスの言葉なら信じられる。似合うと言ってくれたことが嬉しい。可愛いと言ってもらえて、なんとも言えない幸福な気分がサビーナを支配する。

 デニスは嬉しそうにニカニカしていた。自分の容姿で彼を喜ばせていると思うと、照れくさくも自信を持てる気がする。


「じゃ、じゃあ私もなにかお礼を……!」

「それじゃあ礼が終わんねーだろ。まぁそういうのもいいけどよ、今日はとりあえずお礼のしあいは終わりな。なんか食いもん買おうぜ。腹減った」

「今パニーニ食べたばかりなのに?」

「いいんだよ、昼から仕事なんだから今のうちに腹にためとかねぇと」


 サビーナはクスリと笑って頷き、出店を回って色んな物を一緒に食べて歩いた。


 お腹がパンパンに満たされた頃、祭りは最高潮の賑わいを見せている。

 しかしもう約束の時間だ。二人が祭りを楽しめる時間はここまでだった。


「じゃあ俺、仕事だから戻るわ。一旦家に帰って着替えなきゃなんねーし」

「うん、祭りに付き合ってくれてありがとう。すっごく楽しかったです!」

「ああ……えーっと……そんでさ」


 デニスはなぜか言いにくそうに言葉を途切らせている。どうしたのだろうと覗き込むように見ると、彼はスッと真っ直ぐにサビーナに視線をくれた。


「俺、あんたとちゃんと付き合いてぇって、今めちゃくちゃ思ってる」

「え! ええ!?」


 予想だにしない言葉に、サビーナは顔を熱くした。思わず周りを確認してしまう。周りは雑踏で煩く、誰もこちらなど気にしてはいなかった。

 美形がこんなジャガイモに告白しているなど、周りにどう思われるだろうという羞恥と、誰に対してでもない申し訳なさがサビーナの身を縮こまらせる。

 しかしデニスは、そんなサビーナの様子になど気付こうともせず。


「サビーナのこと、好きになっちまったんだ」

「え! ちょ! シーッ! シーーッ!!」


 デニスは声のトーンもそのままに、告白をしてきた。

 サビーナは慌てて自分の唇に人差し指を当て、『静かに』のポーズをとるも、やはりデニスには理解できていないらしい。誰か彼に空気を読む装置を搭載してほしいと切に願う。


「リックバルド殿が良く思わないのもわかってっけど、どうにか説得してみせっから。俺とのこと、真剣に考えてみてくれねーか?」


 結局デニスはこちらの気も知らず、すべてを言い切ってしまった。サビーナは耳まで熱くなってあたふたあたふたするばかりで、心が追いついていかない。

 告白したばかりの男は平常モードで、己の懐中時計に目をやっている。


「おっと、時間ねぇな。じゃあな、サビーナ!」


 デニスはそんなあたふたするサビーナを置いて、あっさりと帰っていった。こっちは心臓がバクバクとなりっぱなしだというのに。

 デニスの姿が人ごみに消えて見えなくなるまで見送ると、今あった出来事を思い返す。


──サビーナのこと、好きになっちまったんだ。


 そしてその言葉を思い出して、サビーナはキャアと心の中で叫んだ。

 デニスの顔を思い浮かべると、息をするのも忘れるくらい体が熱くなる。そしてにやけてしまいそうになる口元を、手で必死に押さえた。

 こんな状態でいたら死ぬかもしれないと思うくらい、身体中がなにかを欲している。

 我慢できなくなったサビーナは、唐突に走り出した。なぜかジッとしていられない。とにかく今は体を動かしていないと、おかしな雄叫びでも上げてしまいそうだ。

 なにかを振り切るように、それでもデニスのことで頭をいっぱいにしながら、サビーナは走り続ける。

 そして祭りの中心を外れて人気のないところまで来ると、その足を緩めて止めた。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」


 ゴクッと空気を飲むように嚥下すると、ようやく少し落ち着いた息を吐き出す。

 そして抱えきれない思いを背負うように、膝を抱えて座り込んだ。 心臓は全力疾走のせいか、まだドクドクと波打っているのがわかる。

 サビーナは胸に当てていた手を、そっと髪に移動した。そこには小さなクリップ型の髪留めがある。

 いつもは見せていない額が少し気恥ずかしく、それでいて胸がキュッと痛んだ。

 頭の中にいる……いや、胸の中にいるデニスが消えてくれるまで、その痛みは引きそうにない。


「デニスさん……」


 彼を思うと、なぜかサビーナは泣きそうになってしまっていた。

 この気持ちはなんなのか。考えれば考えるほど苦しくて、ぎゅっと胸を押さえた。

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