第50話 じゃあね。月光祭、楽しんできて!

 サビーナは目が覚めるとベッドから降り、カーテンを開けて朝日を顔に受ける。

 窓を開けると少しひんやりとした空気が流れ込んできて、部屋の中を清浄してくれた。

 部屋から見える街の様子はすでに落ち着きがなくなっていて、たくさんの人々が出店の準備等をしているようだ。


 今日は待ちに待った月光祭。


 屋敷の使用人も騎士以外のほとんどが休みで、祭りを楽しむようになっている。

 サビーナもウキウキと胸を鳴らしていた。

 月光祭は大きな祭りで、近隣の街や村からもたくさんの人が集まってくるのだ。よって、この時期の宿屋はいつも大盛況である。


 サビーナは私服に着替えると玄関へ向かった。

 その途中、この屋敷の当主であるマウリッツとセヴェリに会い、サビーナは立ち止まって丁寧に頭を下げる。


「おはようございます、マウリッツ様、セヴェリ様」

「おはよう、サビーナ」


 返事をくれたのはセヴェリだけで、マウリッツはこちらも見ずに玄関へと向かっていった。

 マウリッツはいつもこんな態度ではあるが、意外に使用人からの評価は高い。

 十分な給与の支払いと、無理のない勤務形態。そして必要以上に口出しをしてこないので、使用人には有難い存在なのだ。そのかわりセヴェリにはとてもきつい人物ではあるのだが、それも領主の息子に対して必要な教育なのかもしれない。


「サビーナ、後で」


 セヴェリがすれ違う瞬間、そっと耳打ちをしてくれる。サビーナはほんの少しだけコクンと頷き、二人を見送った後、自分も屋敷を出た。


「サビーナ!」

「お父さん、お母さん!」


 待ち合わせ場所に行くと、すでに両親は到着していた。二人は嬉しそうにサビーナを見て手を振ってくれている。

 サビーナが小走りで 近寄ると、母親が抱きしめてくれた。


「もー、サビーナこの! 連絡もよこさないで!」

「ごめんなさーい。リックが帰ってるからいいと思って」

「リックとあなたは別人でしょ! どうなの、マウリッツ様のお屋敷で上手くやれてるの?!」

「うん、大丈夫」


 そう言うと母親はホッとしたようにサビーナを離し、父親は隣でニコニコ微笑んでいる。

 父親の名前はイーフォ、四十二歳。母親のカティは四十八歳の姉さん女房夫婦だが、カティは少し子どもっぽいのでイーフォの方が年上に見られることがある。


「これからは頻繁に顔を見せにきなさいよ。こっちから娘の顔を見るためだけに、オーケルフェルトのお屋敷に行くわけにいかないんだから」

「あ、うん、それなんだけど……私、オーケルフェルトの屋敷を出ることになりそう」


 そういうとカティの顔は笑みに代わり、イーフォの顔は嬉しそうな、それでいて複雑な顔に変わった。


「あら、サビーナ、誰かいい人でもできたの?! 結婚!?」

「ま、まだ早いんじゃないのか? 相手はどんな男なんだ?」

「や、ちょ、違うから!」


 早合点する二人にストップをかけて、サビーナは慌てて説明した。


「あのね、セヴェリ様が近々結婚なさるのは知ってるよね?」

「そりゃあ」

「知ってるけど、それがどうかしたの?」

「セヴェリ様は結婚したら、しばらくの間はクラメルの屋敷に住まわなきゃいけないらしくって……それでセヴェリ様に、私を専属のメイドとしてユーリスに連れて行きたいって、そう言われたの」


 そう伝えると、カティとイーフォは顔を見合わせて少し寂しそうな顔をした後、互いに頷き合っていた。


「そうか……でも一生向こうにいるというわけじゃないんだろう? しっかり務めを果たしてきなさい」

「会えなくなるのは寂しくなるけど、子どもはいつか親元から巣立っていくものだしね。リックのように二十九歳にもなって家にいられるのも困りものだし、自分の思うように頑張ってみて」


 両親の言葉に、サビーナは強く頷いた。

 二人の応援の言葉が、胸に沁みる。

 生まれてからずっとランディスで育ってきたサビーナは、いくらセヴェリがいるとはいえ、別の街に住むというのは勇気のいることだ。

 今までのようにリックバルドもそばにいないし、人間関係も一から築き直しである。不安がないわけではなかったが、それでもセヴェリの傍にいてあげたいと思った。


 三人は、リックバルドが演武をする特設舞台へと向かう。

 そこはもうすでに人でごった返していて、舞台から少し離れたところにしか席を取れなかった。

 しばらくすると領主であるマウリッツが開催の挨拶をし、セヴェリもそれに続いて月光祭を楽しむこと、でもハメを外し過ぎないようにと茶目っ気たっぷりに挨拶している。

 堅苦しい挨拶しかしないマウリッツより、セヴェリの方が民衆に人気があるのも頷ける。彼に黄色い声が飛んでいるのも、気のせいではない。

 セヴェリは結婚間近だというのに不謹慎だなぁとは思いつつ、その気持ちがわからなくもないから困ったものだ。

 そして二人の挨拶が終わると、開幕に月に捧げる演武がなされる。

 リックバルドと隊長のシェスカルが舞台へと上がり、いつの間にか会場は荘厳な雰囲気に包まれて静まり返った。

 ふと両親を見てみると、真剣な顔つきで舞台を見つめている。これで世代交代となり、最後の演武だということを聞いているのだろう。

 サビーナもまた舞台に目を向けた。リックバルドとシェスカルは互いに一礼してから構え、そのまま暫く隙を窺うかのようにジリジリと弧を描きながら足を擦り運ぶ。

 そしてダンッという激しい踏み込みと共にリックバルドが斬りかかり、シェスカルがそれを見極めて弾く。

 そこからの攻防は観客に息を吐かせる暇もなかった。次々と繰り出される斬撃、それを躱し、受け止め、鍔迫り合い、ギラギラとした刃の音がここまで聞こえてくる。

 最後はリックバルドの気合いの声と共に、シェスカルを打ち負かした。シェスカルはドンッと後ろに派手に倒れ、演技だとわかっていながらも大丈夫なのかと心配する。

 演武が終わって数秒、しんとしていた会場だったが、その後一気に拍手喝采が巻き起こった。

 シェスカルが立ち上がり、二人は観衆に向けて一礼すると舞台を降りていった。


 サビーナの胸は感動で胸がいっぱいになった。

 あれは、あの演武は、今まで見てきた中でも最高のものだ。

 これが最後だなんてもったいないが、来年はデニスの演武が見られると思うと、複雑な心境である。


「うう、グスッ。本当に立派になったなぁ、リックくんは……」


 隣でズビズビと鼻を鳴らすのは父親のイーフォだ。ちなみにイーフォは、月光祭の度に同じ台詞を言っては泣いている。毎年恒例というやつである。


「やめてよ、お父さん、恥ずかしい。リックはもう三十になろうかっていうオジさんだよ。立派じゃなかったら困るでしょ」

「それでもなぁ……うう、ズビズビ」

「リックったら、ますます大胆かつ繊細な立ち回りをするようになったわね……背後から気配を消して斬りかかっても、受け止められちゃうかもしれないわ」

「ちょっとお母さん、お願いだから物騒な真似はしないでね……」

「冗談よ、するわけないでしょ!」


 カラカラと笑う母親をジト目で見上げた。この人なら本当にやりかねないから怖い。


「じゃあ私たちはこのまま祭りを見て回るけど、あなたはどうする?」

「私は昼から予定が入ってるから、遠慮しとくよ。夫婦水入らずで回ってきて」

「そうか? じゃあまぁ行くが……いつでも家に帰ってきていいんだからな」

「ユーリスで勤められないくらいつらかったら辞めちゃいなさい! 手紙をくれれば、母さんが迎えに行ってあげるわ!」

「う、うん、ありがと……でも大丈夫だから。私、セヴェリ様のお傍にいたいんだ」


 そう言うとカティは目を丸めた後、なぜか少し悲しそうに眉を下げた。


「……そう。わかった。母さん、サビーナのことを全力で応援するわ。自分のやりたいようにやりなさい。私は絶対にあなたを否定したりしない。あなたが下す判断を、母さんは信じてるから……だから」


 カティはまたもサビーナを抱擁する。ふわっといい香りが鼻を掠めた。母親特有の、優しい花のような香りだ。


「自分が正しいと思う道を、迷うことなく行きなさい。サビーナならそれができるわ。だって、私の子だもの」


 そっと抱擁を解くと、カティはウインクして笑った。その顔を見てサビーナもまたクスリと笑み、コクリと頷く。


「うん、ありがとうお母さん」

「サビーナ! と、父さんだってサビーナのこと信じてるからな! 応援してるからな!」

「う、うん、わかってるよ、お父さん」


 こちらは苦笑いで返すと、サビーナは一歩下がった。


「じゃあね。月光祭、楽しんできて!」

「あなたもね、サビーナ」

「楽しんでおいで」


 サビーナは大きく「うん!」と返事をし、手を振って別れる。

 二人は仲良く寄り添っていて、昔から今も変わらずラブラブの夫婦だ。

 そんな二人を背に、サビーナは祭りの雰囲気を楽しみながら歩く。


 だがサビーナは知らなかった。

 これが愛する両親との、今生の別れになるということを。


 ──自分が正しいと思う道を、迷うことなく行きなさい。サビーナならそれができるわ。


 ただなぜか、カティのそう言った言葉だけは、やたらとサビーナの心に響いていた。

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