第43話 早く私を部屋まで連れて行ってください!

 真っ暗な意識の中に、男の声が入り込んでくる。

 どこか遠くから鳴るように響いていたそれは、体を揺さぶられることで耳のそばで聞こえるようになった。


「サビーナ……おい、サビーナ! そろそろ帰らねぇとまずいぞ」

「う……え? 今何時ですか」

「九時半だ。住み込みのメイドは、十時までに戻らねぇとヤベーんだろ?」

「九時半!?」


 ガバッと起きると、まだ酔いが残っているようでフワフワするが、眠る前より随分とマシだ。


「帰る!」

「ああ、急げ!」


 フラフラと立ち上がったサビーナの手をいつものように握って、デニスは玄関まで連れて行ってくれる。


「一人で帰れるんで!」

「バッカ、フラフラしてんのに放っとけっか!」


 送りは要らないと言う時間すら惜しく、サビーナは急ぎ足でオーケルフェルトに向かった。

 別に十時を過ぎたところできついお咎めがあるわけではないようだが、決められたことを守るというのは、主に対する最低限の礼儀であり忠義だ。

 ようやく最近セヴェリといい関係を築けてきているというのに、こんなことで信用を失うわけにはいかない。

 オーケルフェルトの屋敷が見える最後の一本道で、焦りながらサビーナは叫ぶように聞く。


「今何時ですか!?」

「九時五十五分だ」


 デニスは自分の懐中時計を開いて教えてくれた。サビーナもセヴェリから貰った懐中時計があるのだが、焦り過ぎですっかり失念している。


「良かった、ギリギリ間に合いそう! もうここまででいいです!」

「倒れられたら困るからな、部屋まで送るぜ」

「いえ、いいですから」

「エスコートは最後までしろって隊長がうるせーんだよ」

「じゃあ、門! 門まででいいんで!」

「遠慮すんなって、部屋まで行ってやるよ」


 最初に食事に行った時のデニスはどこへやら、やたらと部屋まで送りたがってくる。こんな時に限って勘弁してほしい。


「いえ、誰かに見られると困るんで!」

「リックバルド殿に知られると困るんだろ? わかってるって! 門兵と見回りの騎士には口止めしといてやっから!」

「う、うう……」


 本当はバレて欲しくないのはリックバルドではなく、セヴェリの方なのだ。こんな夜更けに二人でいるところを見られたら、またあらぬ誤解を生み出しかねない。

 そう考えているうちに、門をくぐり抜けて屋敷の扉まで来てしまった。


「あの、本当にもう大丈夫ですから!」

「なに言ってんだ、もう時間ねーぜ! 行くぞ」


 繋がれた手をグイッと引っ張られ、屋敷の中に連れられてしまう。

 もうこうなったらセヴェリと出会わないことを祈るのみ……だったのだが、甘かった。


「遅かったですね?」


 玄関のホールから見上げると、階段を上った先にいるセヴェリと目が合った。

 ほとんど覚めていた酔いだったが、一気に抜けていくのを感じる。頭の中が急速に冷凍されたようだ。


「セヴェリ様、遅くなってスンマセン! 実は俺ン……」

「あーーーーっ! あの、友人と飲んでしまって! たまたまそこにデニスさんが居合わせて! 酔ってしまった私を心配して送ってくれただけなんです!」

「あ? あんた、何言って……」

「えーっと! ですからそれだけです!」


 訝しげな視線を送るデニスを隠すように、サビーナは一歩前に出て叫ぶ。するとセヴェリはどこか冷ややかな視線のまま、笑った。


「そうですか。あなたは未成年ですが、もちろんどなたか成年の方と一緒だったのでしょうね?」

「は、はい、もちろん! 友人のお姉さんが一緒でした!」

「ならなにも文句はありませんよ。ギリギリですが、規則の時間内ですしね。ではおやすみ、サビーナ、デニス」

「お、おやすみなさいませ、セヴェリ様!」


 サビーナが頭を深く下げると、セヴェリは去っていった。なんとか言い訳できただろうか。

 とりあえず言い逃れられたことに安堵していると、今度は後ろから刺すような視線がサビーナを突き抜けた。


「んだよ? 今の」

「えと、早く私を部屋まで連れて行ってください! ほら、フラフラですしっ」

「ああ? あんたさっきまでは……」

「ほら、早くっ」


 今度はサビーナが手を引っ張って部屋に入らせた。当然のことながら、デニスは不服顏だ。


「おい、どういうことだよ。何でセヴェリ様にあんなウソつくんだ?」


 あっちを誤魔化せたと思ったら、今度はこっちだ。溜め息を吐く間もなく、サビーナは頭を捻らせる。


「えーと、だってほら。デニスさんの家でこんなになったなんて言ったら、デニスさんの心象が悪くなるじゃないですか。もしかしたらデニスさんの家に出入り禁止になっちゃうかもしれないし、仕方なくああ言ったんです。わかってくれますよね?」

「あー、なるほどな」


 なんの疑いもなく大いに納得してくれるデニス。有難いが、やはり少しは疑問を持った方が良いのではないだろうか。


「でもセヴェリ様にウソをつくってのは、やっぱりいい気はしねーな」

「嘘も方便って言葉がありますし! 私、またデニスさんのお家に行きたいですし!」

「……ホントか?」


 デニスの顔が可愛くキラリと輝く。酔いがまだ残っていたのか、クラリとなってしまった。


「はい、本当です」

「良かった……父ちゃんがごめんな。もう来てくれてねーかと思ったぜ」

「私の方こそお家に誘ってもらったのに、あんな醜態……ごめんなさい」

「気にすんなって、父ちゃんのせいなんだからよ。じゃあ、明日に響かねーようにさっさと寝ろよ」

「うん、ありがとうデニスさん」

「じゃあな!」


 デニスが笑顔で去って行くと、どっと疲れが出てベッドに倒れ込む。


「うー、まだちょっと気分悪いかも……」


 サビーナはようやく酒で昏倒した時の記憶を辿ってみた。

 まず最初に、手土産も持たずにデニスの家に上がり込み。

 挨拶もろくに言えずに席に着き。

 食事の用意も手伝わずに酒を飲み。

 目の前に出された料理をあろうことか手掴みで食べ。

 いきなり帰ると言い出して派手にずっこけ。

 挙句の果てに頂いたものを即リバース。

 しかもその処理をデニスに押し付け。

 人のベッドでグースカ眠り。

 最後は家族の皆へ挨拶も謝罪もせず、無言で家を出た。


「うっぎゃーーーーーーーーーーっ!!」


 サビーナは顔から火が出る勢いで叫ぶ。思い返すと恥ずかし過ぎて死にたくなってきた。

 もし目の前に毒の入った瓶があったなら、飲み干してしまっていたことだろう。

 失礼とか醜態とか、そういうレベルではない。生ける恥伝説になってしまう。


「ぎゃーーーー!! もーー、私のバカーーーーッ」


 サビーナはその日、ベッドでのたうち回りながら夜を過ごした。

 もう二度とお酒は飲まない、と心に決めて。

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